第71話 ESCAPE
「もっとも女の子を取り合うには少しだけ歳を取り過ぎている気もするわね」
病院に出勤する純が声を掛ける。
「アナタたちがどれだけ言い合っても答えなんて出て来るわけがないじゃない。アナタたちが同一の存在なら答えなんて出ない」
「栗原さん。じゃあどうしろって言うんですか」
廬が尋ねると「とりあえず、解散しなさい」と言う。
「ドッペルゲンガーが互いに会う事が出来ないように、アナタたちは一度解散して仕切り直すの。醜態を晒さないで頂戴」
惨めで仕方ないと純は肩をすくめた。
「此処はアタシに預けなさい。それ以外にキミたちには解決策なんてない。次に会った時に殺し合いでも殴り合いでもしなさい」
「殴り合いが後に来るって……看護師としてどうなんですか」
「病院の敷地内で暴れたらキミたちを全治五か月の刑に処す」
「わかりましたよ。仕切り直します。良いな?」
「異論はない。母さんが無事であるなら俺だって文句は言わない。お前がこの件に関わる事を俺はまだ認めてないけどな」
「お前は俺の親か何かか」
「ガワを貸しているから兄と思ってくれて良いぜ。じゃあな」
勝手な事を言って偽廬は廬の横を抜けてその場を離れた。
純と二人残された廬は「すいません」と謝罪した。
「彼は、噂の偽物クンかい?」
「噂? なにか噂になっているんですか?」
「研究所から連絡があってね。次期所長。水穏佐那チャンから糸識クンによく似た男が瑠美奈チャンに近づくかもしれないから厳重警戒をしてほしいってね。その連絡を貰ったのが三日前で、まさか本当に現れるなんて思わなかったけど」
「? 栗原さんには、あいつと俺の違いが分かるんですか」
廬ですら分からないのに純が分かるなんてと目を見開いた。
「アタシは精神科医を担当してた事もあってね。人間の言動にはよく気が付くのよ。アナタと彼とでは見た目は似ていても言動は異なっているわ」
偽物が現れた事で純は常に瑠美奈と共に居た。片腕がない為、役に立たないかもしれないが肉壁くらいには使えるだろう。瑠美奈がその気になれば純を守ってくれるとも考えている。
病院内に行き、純は看護師の服に着替えて廬のもとへ戻って来る。
「いざと言う時は瑠美奈チャンに事情を説明して対応してもらうつもりだったわよ。アタシも命は惜しいものね」
「それが一番ですよ。瑠美奈だって自分の所為で傷ついて欲しくないでしょうから」
「ふふっ。あの子は優しいものね。だからこそ、アタシが頑張らないと」
瑠美奈の病室に行きつく。廬はノックをして純と共に入る。
瑠美奈は「廬」と客人を迎える。数日前より元気そうな顔色。
「きょうははやいね?」
「ああ、用事が色々終わったんだ。やっと……」
やっと。廬は情報を手に入れた。
「瑠美奈、身体の具合はどうだ? 動けそうか?」
「うん。もうだいじゅうぶ」
そう言ってベッドから立ち上がる。ちゃんとバランスを取り歩けている。
瑠美奈が無事に両足で歩いている所をみて廬は安堵する。
「瑠美奈、手伝ってほしい事があるんだ」
「? てつだい」
何を手伝えば良いのか瑠美奈は内容を聞く前に了承する。
「こらこら、キミたち。そう言う次の予定を決めるのはアタシの許可を得てからじゃないのかしら?」
「栗原さん、ダメ?」
瑠美奈は真っ直ぐと純を見つめる。
根負けしたのか深い溜息を吐いた。
「……はあ、構わないわよ。だけど次に怪我をしたら暫くは病院から出られないと思いなさい」
「うん、わかった」
「そう! ならいいわ! 元気に退院をしてよし!」
「それ、貴方が決めて良い事じゃないですよね?」
「先生に一任されているから大丈夫よ。アナタたちのバックアップはアタシが務めるの。何が合ってもね。それが政府と研究所の間で取られたこの病院の在り方。アタシは口は堅いつもりよ。そんな拷問だって耐え抜いてみせるわ」
「そうならないように努めます」
「そうしてくれると嬉しいわ。頼んだわよ糸識クン」
筥宮だけじゃない。設備が整っている病院は新生物が怪我した際に優先的に治療する義務がある。隠し通す為に徹底的にするしかない。
たとえ、関わってしまったことで狙われて拉致に遭っても堅く口を閉ざす。危険な目に遭うのは新生物だけじゃない。その周囲の人ですら危険にある。
「びぃ」
不意に聞こえたその音と言うより声。廬が耳にした声は、ベッドの下から聞こえて来た。黒い球体。軟体動物がじとーっとしたつぶらかな瞳を廬に向けていた。
「い、イム」
それはホテルのリュックサックに押し込められていたイムだった。
景光の襲撃以来、瑠美奈の背中にいた為、病院からずっとベッドの下にいた。
何を食べたのか黒くなっている。
「びびびぃ! びぃびびぃ!!」
「わっ!? なんだっ」
イムは廬の顔面に突っ込み歯のような、堅い部分が廬の顔をガジガジとしている。
「痛いっ! 痛い! イムっ! やめろっ!」
「んびびぃ! びぃびびぃ!! びぃ!」
「イム、ずっとほうちされてておこってる」
「当然よね! なんてったって病室で待機を言い渡されているんだもの!」
「っ……知って、いたんですか。イムのことッ」
「そりゃあね! 瑠美奈チャンを保護した後、荷物を回収して危険物がないかを確認するのが初めの仕事なのよ。リュックサックを開いたらバーンっと本当に驚いたわ。だけどまあ、その子は見る限り危険性はないから瑠美奈チャンの病室に置いておいたのよ」
「この、状況で! 危険じゃないって言うのか!?」
引き剥がすのに必死になる廬に純は「まあ、それは自業自得ってやつね」と笑っている。
「今の今までイムクンの事を忘れていたキミに落ち度があるとアタシは思うわね」
やっとのことを顔から離れたイムを両手で掴む。
「連れて行けって言うのか?」
「びぃ」
「連れていってあげてもいいんじゃない? どうせ、キミ、計画なんて立てていないのよね?」
「別に計画がないわけじゃないですよ。計画したって成功しない確率の方が高いから実行しないだけです。……ってどうしてわかるんですか」
「アタシは一応精神科医だったのよ? キミくらいの精神感を読み取る事なんて序の口」
「それで納得出来たら、哲学者は必要ないですよ」
なんて肩をすくめる。




