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第70話 ESCAPE

 包装紙の中にある髪飾り。廬は珍しく口元を歪めながら、帰宅する。玄関の音でばたばたと母親が血相を変えてやって来る。


「ただいま」

「廬っ!? ああ、良かった。帰って来たのね」

「散歩に行っていただけですよ。……それと貴方に伝えて置かないといけない事があるんです」


 廬はこの終わりのない仕事をするつもりはないと終止符を母親に送った。

 状況が呑み込めない母親はぽかんと言いようのない気持ちに苛まれていた。

 それでも言葉は続けられる。これからする事、しなければならない事、してほしい事、母親には酷な話かもしれない。一人で居る事を強いてしまうのは心苦しいとありもしない同情心を見せながら母親ならばできると励ましの言葉を贈る。


「で、でも……私、もう貴方がいないと」

「俺が居なくても暮らせていたはずです。貴方はプライド高い女性だ。父の時だってそうだったんでしょう? 諦めきれなかったから友人としてその笑顔を見ていたかった。俺だって、貴方の笑顔は好きです。素敵な笑顔で、大好きだった。俺が我儘を言って父と遊びに行かなければ、あの事故は起こらなかったかもしれない。そんなたらればが今だって廻る。後悔して、開き直って、また後悔する。俺が居なくても貴方は前を向いて歩くことが出来る。俺は貴方を信じています。俺だってもう貴方を捨てたりしない。貴方を見限った事も撤回します。貴方は俺の為にこの二日母親をしてくれようとしていた。俺が戻れる環境を作ってくれた」


 違和感なく此処に戻って来た。それは紛れもなく廬が此処を自分の帰る場所だと認識したからだ。

 ホテルに行き偽廬を殴る事だって出来たはずだと言うのに偽廬の思惑通り動いている。その事だって癪に障るはずだ。

 母親の事が嫌いで仕方なかった。再会なんて最悪で金を渡して終わりにしたかった。終わりに出来なかったのは、まだ母親に期待していたからだ。


「俺は貴方を信じています。もう一度、やり直してみませんか? もう失うものがないなら大丈夫ですよ」


(俺がこの人を信じたら良い。ずっと信じてる)


 強くその手を握った。


「だって、俺たちは家族ですよ? 俺の諦めが悪いのは貴方譲りだと思いますが」


 血の繋がった親子ならば、似て来るはずだ。頑固な所か。それとも別の場所か。

 廬は母親に失望していながら期待している。


 廬は母親のそう告げて「それじゃあ」と再び家を後にしようとすると呼び止められる。今度は縋りを求めるような声ではない。


「廬、いってらっしゃい」


 それは一度手放した息子の帰りを待つ母親の姿に廬は目を見開いた。


「行ってきます」


 一度は捨てた親子がまたやり直す事は出来ないだろう。

 今後はちゃんと話をする事が出来れば、歩み寄る事が出来る。




 廬と偽廬を比べた時の違いなんてすぐに見つけることが出来た。

 偽廬では母親を死なせてしまうのも納得がいった。


 甘やかしてしまうのだ。甘やかして不出来な事を責められているような気にさせて自殺をさせると新生物の予知で言われたのだろう。

 そして、何とかしてでも泣かせないようにしたかった。そうするには嫌いでも、どれだけ信用ならなくても廬を使うしかなかった。


「偶然だと思うか?」


 立ち塞がる偽廬。

 今日この時、こうなると知っていたように筥宮総合病院の前で待っていた。


「まさか。全部知っていた。お前はあの人があの後、自殺すると知っていたんだ。だからどうにかしたかった。取り柄も生き甲斐も失ったあの人をどうにかして延命させたかったがお前が介入しても惨めになって死ぬと言われて手が出せなかった。だから俺を頼った」

「実の親が目の前で死なれたら、どれだけ辛いか。年齢なんて関係ないだろ?」


 家族を失いたくないのは誰だって同じだと言う。

 研究所の新生物を家族だと言う瑠美奈だってそうだろう。一人でも欠けたらその子の為に、その人の為に涙する。小さな家族と大きな家族の違いなんて然したるものもない。


「何を言った。何を言えば立ち直らせることが出来た?」

「世界は俺が変える。だから貴方は自分を変えてください。それだけだ」

「は? それだけ? ふざけるなよ!」

「ふざけてなんかいない。俺は厄災をどうにかしないとならない。お荷物の母親を背負うことは出来ない。だから生花店で仕事ができるようになったら連絡をくれって言った。研究所の次期所長が引き受けてくれるだろうな」


 偽廬の連絡の後、廬は研究所に連絡を入れていた。

 初めは棉葉にこの件の事を訊いた。


『連絡待っていたよー! お姉さんに訊きたいことがあるんだろう?』

『俺の偽物。まあ、この際詳細は省いて。その男に母親の将来を教えたのはお前だな』

『うん。そうだよ。君たちが筥宮に向かった日に用事があると言ったのはそれでね。君にクリソツな子をクライアントとして仕事をしていたのさ! 勿論、君たちと同じ電車に乗っていたし、君たちがワイワイ騒いでいる姿も見ている。だが生憎と君たちに構っている暇はないから君のお母さんを一目見て御代志に戻ってきてクライアントに報告した。もうじき死ぬだろうってね』


 事の発端は棉葉だったのだ。あのほぼ何でも知っている新生物の所為で廬は無駄な手間を取らされた。棉葉は廬の味方ではない。正直に言えば誰の味方でもない。

 だから偽廬にも情報を流す。特に今回は研究所の危機でもなかった。売れる情報の一つだから情報を取りに行って売った。


 棉葉はただ力を使っただけだ。罪はない。糸識家の事を知ろうと棉葉には関係ない。来年には忘れる事だ。そんな事をいちいち咎めていたら彼女の在り方を否定する事になる。もっとも親しい間柄である廬ならば幾らでも否定する事は出来るが、手間は当然かかる。そんな事をしている暇があるのなら瑠美奈と宝玉を探している。


「自分の立場を利用したのか。自分の立場が世界の為である事で息子を誇らしく思って帰りを待たせるって? 二度と戻ってこないかもしれないのにか?」

「ああ、賢いだろ?」

「クズだな」


 結果として母親は生き続けるのだから結果オーライだ。


「さて、俺の種明かしは終えた。次はお前だ。お前の狙いを聞こうか」

「……」


 偽廬は口を閉ざした。母親を救ったのだから次は偽廬の思惑を語る番だと廬は言葉を待った。


「お前、本気で俺が母親を救う為にお前を寄越したと思ってるのか?」

「どうだろうな。別の思惑があるのなら聞こうじゃないか。安心しろ時間はある」

「時間の心配なんてするわけがないだろ。……はあ。折角、お前を引き離すことが出来ると思ったんだけどこうなるのか。因果なのか、宿命なのか」


 ぶつぶつと偽廬は呟いた。

 こめかみを掻いて「どうしてこうなるかな」と廬を見る。


「余り長い事を言っても分からないだろうから、端的に言えば……俺はお前も救いたい」

「は?」

「宝玉からも厄災からも救いたいと思ってる。お前は俺の偽物だ。それは事実だ。だからこそ、偽物であるお前を救いたいと思った。鬼殻に会ってそう思う気持ちは強くなった。何も知らないお前が俺を演じているのが可哀想に思った」

「……お前は何を知ってるんだ」

「ビルのパソコンに入っていたデータを見たか?」

「新生物のリストか」

「そう。そのリストの中の一番上の項目。A型0号。お前の事だ」

「証拠は?」

「ない。そもそもお前はその事を自覚できない。そう言う後遺症だからだ」


 忘却。棉葉と同じだが、棉葉は情報として過去を知る事が出来る。

 しかしA型0号は知る事すら出来ない。自分を認識できない顔のない個体。


「それはお前の事じゃないのか。お前は事故に遭って俺に同調した。身体も記憶も俺に成り代わろうとしたんじゃないのか」


 廬は言う。

 自分ではなく、偽廬がA型0号として廬に成り代わろうとしてるのではないのかと。

 そうじゃなければ辻褄が合わない。何故、偽廬は黒の宝玉を盗めた。どうして触れられた。廬の姿を借りて研究所に侵入して最下層へ向かうなんて容易だろう。


 何よりもA型0号は事故に遭って行方知れずとなった。捜索はされているがもう政府も諦めているだろう。B型を作りだす時点でもうA型の事など眼中にない。

 これは堂々巡りで答えなんて誰にも見つけ出す事は出来ない。


「自分のことを棚に上げるなよ。それはお前にも言える事だろ? お前の中にどうして宝玉がある?」

「それは、」

「鬼殻が埋め込んだ。そう言うんだろう? 何とでも言える。なら俺が宝玉が持てる事も宝玉を触れることが出来る旧生物の第一号と言えるんじゃないのか? お前の人脈なら俺たちのどちらが本物かなんて簡単に分かるはずだ」


 規格外の事をする男の介入はその先を予想させてくれない。

 答え合わせなんて簡単にできる。そうしないのは怖いからだ。


「お前の絶対的情報網に訊けばいい。簡単に彼女は呼吸する意味を考えるよりも難しい問いも答えてくれるはずだ」


 棉葉に訊けばこの押し問答は解決する。目の前の偽廬か、目の前の廬か。どちらが本物で偽物なのか。簡単に無駄な時間を費やすことなく答えてくれるだろう。

 優しくも無情に……。


「キミたち、病院前で辛気臭い顔をするのはやめてくれないかしら? 女の子を取り合うならもっと強気な顔をしなさいよ」

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