第62話 ESCAPE
筥宮総合病院にて。
廬は覚悟を決めていたはずだと言うのに足が竦んでいた。一緒に来ていたさとるが「日を改めますか?」と気を利かせてくれたが逃げていたってどうしようもない。
死刑を待つ罪人のようだった。
瑠美奈に会って何を言えば良い。今までどう言う会話をしていたのかすら憶えていない。たった二日前の事なのにだ。
「そんな身構えなくても瑠美奈はまだ起きてないよ」
瑠美奈の病室からやって来たであろう儡が呆れた様子で言う。
見慣れた姿だったがどこか疲れた顔をしている。
眠れていないのか目の下には薄い隈が出来ている。
「まさか先生を連れて来るなんてね」
右腕を摩って儡は目を伏せた。華之は無事に病院に来たようだ。
生憎ともう死んでいるから瑠美奈と話なんて出来るわけもない。
「君を研究所に送った瞬間、研究所が襲撃されているなんて……もしかして疫病神だったりする?」
「俺が知りたいくらいだ」
廬が疫病神ならすぐにでも研究所と手を引いても良いが瑠美奈の件を知って以来それも叶わない。
「昨日、瑠美奈が癇癪を起してね。大変だったよ」
「華之さんを食べて?」
「そう。深夜に運ばれてきた先生が解体されて、瑠美奈に食べさせたよ。その瞬間、看護師の一人が腕を無くしたよ」
「……それ、賠償は」
「政府の方でどうにかしてくれるよ。だけど可哀想な事をした。優しくしてくれていたのにね。…………実のところ、思い上がっていた。瑠美奈が心を許していたって僕が許すわけがない。そもそも瑠美奈が暴走している時に近づくとか、多分あれだよね。有名な漫画をパクッて瑠美奈を猛獣か何かだと思ったんだろう? きっと自分なら大丈夫とか思ったんだ。残念でした。鬼化した瑠美奈は容赦なく相手を痛めつけるんだよ。馬鹿」
「おい。心の声が漏れてるぞ」
「僕は何も言ってないよ?」
キラキラとにっこり微笑む天使の笑みはただの悪魔だ。
「瑠美奈が危険なのは承知しているはずだからね。違法生物を匿っているのと同義。勿論、政府の命令で拒否権がないのは言わずもがな。瑠美奈はまた普通じゃない子になった」
宝玉を二つ持っている上に両親を食べてしまったと言う絶望感を瑠美奈は味わっている。
「終わらせてあげる事は出来るよ」
「……仮に終わらせても、世界は許してくれないんだろ」
「ふふっ。分かって来たね。……だけど安心したよ。君がいない間に景光が襲って来なくてさ。君、僕を瑠美奈の生贄にしようとしていただろ?」
「気が付いていた。いや、俺の真意を読み取ったのか」
儡に瑠美奈を託したのは、万が一景光が病院に襲撃してきた際、儡は意味もなく死んでやるつもりもないだろうと瑠美奈に自分を喰わせると思っていた。
廬だってその可能性は捨てきれなかった。襲って来なかったのは本当に運が良かったのだ。儡が死んでしまえばこの先動きづらくなるのは分かっていたし、出来る事なら生きていて欲しい存在だ。
「君は本当にどれだけ親しくなっても一度決めた事を捻じ曲げようって言う気はないんだね。それ程瑠美奈が大切かい? そこまでして瑠美奈を生かしたい?」
「……確かに異常だと言うのはわかってる。あり得ない話だ。たった一人の女の子の為に他人を喰わせようなんて」
「その異常性が合って僕は助かっているわけだけどね。異常、狂っているから君は此処に立っていられる。普通なら君は命欲しさに行方不明になっているはずだからね」
「気は紛れた?」と儡は言った。
気晴らしの為に他愛無い話をしてくれた。気を遣ってくれたことに申し訳なさを感じながら「覚悟はしてる」と答える。
瑠美奈がいる病室へ向う。さとるは身の保証の為にホテルへ向う。ホテルまでの道を儡が案内のために同行した。
今は、病室で瑠美奈と廬だけがいた。
鬼化していない。見慣れた瑠美奈が眠っていた。
「ごめん」
簡易椅子に腰かけて廬が俯く。覚悟は出来ている腕でも足でも腸でも持って行けばいい。瑠美奈にはその資格はある。謝っても許されない事をしている事も自覚している。
どうして自分がこんなにも瑠美奈を大切に思っているのか分からない。瑠美奈を死なせてはいけないと心から思っている。
「ごめん……っ。本当にごめん。たった一人の家族を……俺は」
『今は瑠美奈を死なせてはならないのです。原初の血を途絶えさせてはいけない。途絶えてしまえば厄災が人々を滅ぼしてしまう』
華之の言葉が脳裏をよぎる。
(何が原初の血だ。何が厄災だ。……っそんな意味分からない超常現象の所為で瑠美奈が一人になって良いわけがないだろ)
痛いほどに拳を握る。
父親を無理やり喰わされて、今度は母親まで喰わされて、平気でいる方がどうかしている。
「俺が憎いなら殺してくれて構わない。顔も見たくないならもう会う事もしない。俺はお前の言われた通りどこかで死んでやる。お前の為なら俺はなんだってする。そんな事で許されるなんて思ってもいない」
何でもいい。何を要求されても、どんな死に方をしても、どんなに痛めつけられてもうやめて欲しいと懇願したとしても傷つけられる。それが瑠美奈なら廬は受け入れる。それ程の事を廬はしてしまったのだから……。
「廬までいなくなったら……わたしはほんとうにひとりになっちゃうよ」
「っ!?」
ハッと顔を上げると真っ黒な瞳がこちらを見ていた。
嫌悪、憎悪。そう言った相手を拒絶する瞳は向けられていなかった。
瑠美奈が口にした言葉。
ひとりになっちゃうよ。
儡がいる。見つけることが出来れば憐だっている。瑠美奈が一人になるなんて事はない。特に憐なんて瑠美奈を悲しませる奴が現れたら八つ裂きに出来るだろう。精神を崩壊させて廃人にする事だって出来る。
「俺はお前の母親を……華之さんをお前に喰わせた張本人だ。俺を殺す権利がある」
「ころさない。わたしは廬をまもるってきめてるから」
「やめろ。慰めのつもりか。俺はお前の家族を殺した男だ。赦されるわけがない」
「ゆるす、ゆるさないはかんけいない。わたしはみてないから。廬がせんせい……おかあさんをころしたしょうこはないから」
「……」
そんな事を言っていたら何とでも言える。本当は華之を救う為だとか、本当は廬を庇ってしまってとか……ありもしない事を瑠美奈に言いふらす可能性だってある。
それなのに瑠美奈は廬を守ると言い続けるのだ。
廬も大概だが、瑠美奈だって大概だ。