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第61話 ESCAPE

 棉葉が新生物であることは別段驚くことじゃない。

 驚きたいのはどうして今まで廬に協力してくれていたのかだ。

 A型は欲望に忠実だと言っていた。つまり調整されていない比較的に初号体に等しい棉葉は何がしたかったのだろうか。

 勿論、新生物は機械ではない。感情を制御することなど不可能に近い。


 不満を言う研究者や新生物は多い。

 それでも受け入れなければならないのは自分たちの居場所が失われる事を恐れての事だった。


 綿葉は佐那の補佐として研究所を支えることを誓った。

 不満が多い中、ならば素直に政府に殺されることを望むのかと尋ねれば新生物は一様に口を閉ざした。


「どうして研究所に来た」


 状態が収束し始めた頃に綿葉を見つけた廬は呼び止めることもなく尋ねる。


「ん? 気になるのかい? ああ答えなくて良いとも、私は何でも知っているからね。君の思ってる事も手に取るようにわかってしまうのさ」

「……」

「だが、これを言えば君は私に同情の念を向けるからね。それが嫌で仕方ないがない。なぜならそれが私にとって普通(ノーマル)であるからさ。けれど、君たちは異端視するのさ。本当に鬱陶しい限りだ」

「同情するなと言う方が無理だ。人間は同情しなければ生きられないんだからな」

「全く以てその通りさ! ならば、君が生きる為に私に最上級の憐れみを向けてくれたまえ!!」


 先ほどまで言いたくないと言っておきながら言う気満々で寧ろそれがフリになったのかもしれない。彼女のテンションについて行けない廬は口を閉ざした。


「記憶が無いのさ」

「記憶喪失?」

「後遺症だとも。私の後遺症は、年間の記憶を失うこと。私はもう生みの親の事すら忘れてしまった。自分が誰だったのかも思い出せない。だが確かに分かることは私がA型と言うこと。私が君たちの素性を言い当てる事が出来たのは私の力あっての事さ。何も不思議な事じゃない。君は傀儡儡とはもう知り合っていると思うけど彼と似たような力だと考えてくれて構わない。彼より優れた力。彼は人の真意しか読み取る事が出来ない。受け入れてくれた相手の記憶しか見る事が出来ない。だが私は違う。受け入れなくとも君たちの事をひと目見ただけで全て知っているのさ。知ってしまうが生憎来年になれば、その事も全て忘れて一からその人を見なければならない。死んだ者の事を知る事は出来ないけどね」


 それはとても悲しい事だと棉葉は珍しく目を伏せた。

 当然気味悪がられるし不都合な情報を知られてしまう。

 一年の記憶を忘れる。今は廬の事を覚えているが来年になれば初対面になる。

 また会えば棉葉は知り合いのように接するのだ。感情的に言えば赤の他人と知り合いのように装う。気味が悪いと思う。


「忘れたくない物だ。君たちと会った喫茶店での出来事は実に愉快だ」

「俺で遊んでいたようにしか見えないな」

「それが楽しかった。君たちは私と初対面だからこそ、そう言う新鮮な反応を互いにみられる。来年になれば君は忘却した私を知っている」

「……なら俺は来年、初めましてを言うだろうな」


 棉葉がこちらを凝視した時、廬はきっと棉葉の記憶の中から自分が消えた事を察するだろう。そして、そのまま力に甘えて知り合いのように話をするのではなく「初めまして、糸識廬だ」と言うのだろう。


「下手な優しさは他人を傷つけると知っているかい? 私に対しての侮辱だと思わないのかな廬君は」

「俺を弄んだ罰だ。俺はお前の事は気に入らない。お前はこの先も俺への態度を改めるつもりがないなら俺だってお前を愚弄する」


 最悪な出会いを続けよう。


 何でも知っている代わりに何も思い出せなくなる。

 まるでテレビを見ているようだ。本を読んでいるようだ。

 図書館には山ほど本があるのにその本は手に取ることなく背表紙だけで登場人物と起承転結が分かってしまう。そんな退屈な日々は棉葉にとって生きづらい。


 これからだって、それは変わらない。

 廬がたった一人態度を変えたって変わらない。

 たった一人でも理解してくれる人がいたのなら来年なんて来なければ良いなんて思う事も少なくなるような気がした。


「意地悪な若人にお姉さんからとっておきな情報を一つ提供しようじゃないか!」


 今度は何を言われるのか身構えながら廬は言葉を待った。


「水穏佐那君は私が責任もって立派な所長にしてあげるよ。君が望む研究所、元所長が望んだ孤児院に変えて見せるさ」

「……。そうか」


 いつかそうあるように。華之が望んだのは平和。そんな薄っぺらい表現でしか伝える事が出来ないが棉葉がいるのなら大丈夫だと思わせる。


「ただ。君の方は大丈夫じゃないだろうね~」

「瑠美奈のことか」

「実の親を二度も食べてしまって、果たして彼女は正常な判断が出来るのか。兄の二の舞になってしまわないかお姉さんは心配だな~。なんて言っても彼女がギリギリ生きているのは、大切な人がこの世界で生きているからなんだからね」

「ああ、わかってる。俺はきっと瑠美奈に怨まれる。俺が手を下したようなものだ。俺がしているのは鬼殻がしている事と同じだ」

「それは違う。鬼頭鬼殻は私利私欲だけど君は瑠美奈君を救う為にした事じゃないか~。何も悪い事なんてしていないんじゃないのかい?」


 結果論でしかない。

 瑠美奈を救うと決めた以上それに後悔はない。





 電車にて。

 廬は瑠美奈を死なせたくない。瑠美奈は家族を死なせたくない。

 電車に揺らされて筥宮に向かう。向いの椅子に座るさとるは窓の外を眺めている。

 

「水穏さんには兄がいるので大丈夫ですよ。糸識さん」

「そっちの心配はしてないよ」


 さとるは「じゃあ糸垂さん?」と尋ねる。


「ああ、俺が強引な事を言ってあの研究所に連れ戻したけど、これで良かったのか心配だ」

「僕は糸垂さんの事をよく知らないんですが、きっと大丈夫ですよ。なにかあれば聡がどうにかしてくれる」


 棉葉の事は生死の有無で心配しているわけじゃない。棉葉は責任を以て佐那を所長にしてくれるだろう。

 廬の頭の中で一つの疑問があったのだ。それを口にしたって意味がない。

 もう電車に乗り込んで筥宮に向かっているのだ。さとるが解を見出してしまってはまた御代志町に戻らないとならくなる。本当はその方が良いのだろう。

 しかし、今は佐那が立派に成長するのを待つしかない。


「ホワイト隊はどうなる?」

「傀儡さんから定期的に連絡が来るそうなので問題はないですよ。それに病院の方に先生が到着しているはずですから……瑠美奈さんもきっと目が覚めるのも今日中に」

「そうか」


 病院に行けばきっと瑠美奈は廬を許さないだろう。

 長い爪に八つ裂きにされて穿たれても仕方ないその覚悟はある。


「最下層で俺によく似た襲撃者と会った」

「? その物言いだと知り合いじゃないんですね」

「ああ、あいつは俺の事を偽物だと言った。旧生物を複製する事は出来るのか?」

「それは……現実的ではあります。ですが、推奨はされていません。相手が偽物だと気が付いた瞬間、自我意識が否定に入り、その可能性を構築して存在否定を始めて自殺する。人間は必ず自分が本物だと肯定し続けているから存在できるんです。もしも自分が本物ではないと自覚してしまえば半狂乱になる事間違いなし」


 だからもしも廬の前に現れた偽廬が可笑しい話、本物の偽物だった場合廬を否定する事で本物として完成する。

 そして、此処にいる廬は偽廬に否定されることで自殺を促されている。


「鏡を見つめて「お前は誰だ」と尋ね続けたら精神が崩壊すると言い伝えがあります。自分を肯定出来ないで感情が死んでいく。自分が何者か分からなくなる。その現象と同じだと僕は考えています。もしもその方が糸識さんの複製もしくは何らかの特異能力によって生まれたモノなら糸識さんを抹消しようとして来るはずです」

「なら、気を付けた方が良いか?」

「そうですね。こちらを翻弄してくる兆しがあるのなら警戒はしておいて損はないですよ。相手の言葉に意味はないと思い続けて自衛するのも一つの手です。目的を確固たるものにする事こそ偽物に勝つ必勝法です。僕はいつもそうしてます」

「お前たちはどちらも本物だろ?」


 ドッペルゲンガーであっても聡とさとるは別の存在だ。


「聡の奴、僕に成り代わってあることない事言ったり、お金借りたりで……まあ僕もやるけど」


 よく間違えられる所為で一時は髪の色を変えたが、その時運悪くも社会科見学の日で大恥を掻いた。将来有望と噂されていたさとるが不良のようになって保護者の立場にある研究者が学校に呼び出された事もある。

『さとる君、最近なにか気に悩んでいる事でも? おうちの方でなにか』と家庭の心配をされたが単純にただの兄弟喧嘩なのだが、これにも流石の研究者も頭を抱えていた。

『お願いなので頭髪の色を元に戻してください』と言われる始末だ。


 さとるにとって聡に対する鬱憤は山ほどある。それこそ数えきれないほどだ。

 それでもたった一人の兄弟で、たった一人の兄貴なのだと信頼できる相手だと言う。


 筥宮に到着するまでさとるとの話は終わる事が無かった。

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