第37話 ESCAPE
ピッピッピッと定期的に鳴る。それが何なのか考えずとも分かっていた。
廬は目を覚ました。左腕にある点滴。自分がいる部屋は、病院にしては少しだけ作りが違う。
先ほどの音は廬の生死を保証するものだった。
(……俺、倒れたのか)
何処かすっきりとした思考で何があったのか思い出そうとする。憐と話をしている最中に『鬼頭鬼殻』と言う名前を聞いて発作を起こした。
『目が覚めたようだね』
その声はベッドから正面に見えるモニターから発せられた。暫くするとひとりでにモニターはつき、女性が映し出される。
研究所の地下五階に隔離されている女性、海良だ。
彼女がすぐに気が付いたと言うことは此処の管理は海良が担当しているのだろうと知る。
廬は声を出そうとすると僅かに掠れた声が聞こえた。
『ああ、お前が倒れてから一か月と少し経過しているから。無理もないさね。水でもなんでも飲んで落ち着くと良い』
そう言うとサイドテーブルからペットボトルが出て来た。なんとハイテクな事だろうと思いながら水を飲み喉を潤す。
少し咳払いをした後、廬は口を開いた。
「……俺は一か月も寝てたのか?」
『そのようさな。まあ宝玉に近づきすぎた奴はたいてい目覚めることはないが、本当に運の良い男だ』
「瑠美奈は?」
『傷は癒えている。癒えなければ一か月、静かなわけがないさね』
嫌がっていたがちゃんと食べて傷を癒した。
瑠美奈は廬より一週間早く目を覚ました。儡はそれから三日後。
どちらも異常はなく無事に生きている。
『お前はただの人間だから目が覚めるのが遅れたのも納得さね』
「……」
『この数日、お前の友人と憐がなにか目論んでいたがあたしには関係ないことだったから詳しくは知らない』
何の為に管理しているのか分からなくなると廬は苦笑する。
暫く待っていたら点滴を取り換える研究者が来るから待っていろとモニターが消える。
儡が正気に戻った事でホワイト隊の方針が変わった。
宝玉を回収して、瑠美奈が支配するかどうかはその時に考える。
瑠美奈はいま、二つの宝玉を支配している。二つではまだ異常はない。
残り四つの宝玉を支配するのに瑠美奈が耐えられるかは別の話になって来る。
そんな瑠美奈と儡だったが……。
「……」
「……」
ひどく気まずい空気が漂っていた。
瑠美奈と儡は互いに椅子に座り向き合っていた。
約一年、研究所を留守にしていた瑠美奈と黒の宝玉に支配されていた儡。
このまま有耶無耶にしてしまってはいけないと憐は考えてこの場を設けたのだった。
「しっかり話し合うまで出て来るのはダメ!」と言ったのが十分も前の事だ。
十分ほど経過しても互いに口を開くことは無かった。気まずく何を話していいのか分からなかったのだ。このまま黙っていたら何も変わらない。
「……瑠美奈」
意を決して儡が先に口を開いた。
「君は知っていたの? 僕が作られていた人形だったって……」
「しらなかった。しっていたとしてもわたしは儡のことがすきだよ」
「……僕は君に愛してもらう資格なんてない。僕が感じているものなんてどれが本物で偽物なのかもはっきりしていないのに」
自嘲気味の言う儡に瑠美奈は「ちがう」と否定した。
「わるいかんじょうじゃないなら、ぜんぶがほんものでいいとおもう。わたしは、このいちねん儡のことしかかんがえてなかったよ。儡がほうぎょくでこわれてしまわないかしんぱいだった。どうすることもできなくて、……もっとちからがあったらっておもった」
鬼の力があっても儡を救うことが出来ない不甲斐なさに瑠美奈は俯いた。
「儡がわたしのこと、きらいじゃないなら……いっしょにいてほしい」
「それは、君が宝玉を集めきって死ぬまでかな?」
「……どうだろう」
その質問は意地悪だったかと儡は瑠美奈を見ると悲しそうな笑みを浮かべていた。
瑠美奈は宝玉を支配して死んでも構わないと言っていた。
その意思だけは誰にも変えられなかった。
「どこかの旧生物じゃないけど、僕は君に死んでほしくはないんだと思うんだ。君に生きてて欲しい」
「……それはむずかしい」
「そうだね。君は頑固だから……だけど、僕は瑠美奈が生きる道を探すよ。僕とこれからも一緒に居て欲しい。君は死ぬまでかもしれない。僕は宝玉を集めきった後も、その先ずっと新生物の寿命が尽きるまで一緒にいたい」
瑠美奈が生きたいと思うまで傍にいると言った廬ではないが、儡だって瑠美奈を死なせたくはない。
この先もずっと宝玉によって奪われた一年の時間を取り戻したいのだ。
「ありがとう、儡。ただいま」
「ごめんね、瑠美奈。うん……おかえり」
儡は少しだけ下手くそに笑い、瑠美奈は優しく笑みを浮かべる。
二人が和解した数日後、廬も目を覚ました頃、突如として憐は皆を集めた。
「はーい! 注目っすよ!!」
やっと廬の身体も本調子を取り戻してきた頃に憐によって唐突に呼び出された。
会議室に集まったのは、廬、儡、瑠美奈、そして憐と真弥だ。
もっとも憐と真弥は海良が言っていたように何かを企んでいたから主犯格として考えて良いだろうと廬は「なんだ」と尋ねる。
「俺たちは都会に行くっすよ!」
「とかい?」
瑠美奈が首を傾げる。
儡は「御代志町から出るってこと?」と瑠美奈と同じく首を傾げる。
「俺たちは、御代志町生まれ御代志町育ち! 御代志町内すらまともに歩いたことがないんすよ!」
バンっと机と背後にあるホワイトボードを叩く憐。
ホワイトボードには「都会進出企画!」と書かれていた。
「協力者は此処にいる天狗」
「天宮司な? えっと、修学旅行をしよう」
「しゅうがくりょこう?」
「それって聡やさとるが行ってる学校の行事じゃなかった?」
「そう! だけど、君たちはもう修学旅行に行ける年でもない。瑠美奈ちゃんは例外だけど」
成人している男たちが修学旅行とはしゃぐなんて余りにも哀れだ。
だが中身はまだ学生気分で楽しんでいるものと考えて良いだろう。
研究所から出たことがないのだから精神年齢も低下している。
廬と真弥はその引率として同行する。
都会と言っても多くある為、何処に行くかと思考を巡らせたとき、廬に白羽の矢が立つ。
真弥が「それで少しだけ廬に頼みたいんだ」と言う。
「廬は都会からこっちに異動してきたって言っていただろ? 廬が前にいた都会の街に行くことになったんだ。廬が案内してくれないか?」
「……それは、構わないが大都会じゃないから面白い事なんてないと思うが」
「田んぼしかない町よりましっすよ。何もねえのに電波環境も最悪でテレビなんてローカルしか映さねえんすから」
グチグチと文句を言う憐。退屈しのぎが出来るものなんてほぼない。だからこそ都会に行き面白いものを見つけに行く。
「僕たちが行くのは?」
儡と瑠美奈が都会に行く理由はなんだと憐に尋ねると「んなの決まってるじゃないっすか」と本当に当然な事だときょとんとした顔をする。
「俺だけ行ったって詰まらないじゃないっすか。俺はお嬢と旦那と行きたいんすよ」
(じゃなかったら逃げる意味がない)
憐は旅行と称してなにかから逃げている。瑠美奈と儡が目を覚ました事で何かが変わった。何が変わったのか正確には分からない。ただこの町から早く出なければと思ったのだ。それで取り残された者がどうなるのか知るわけもない。もしかしたら何もない。憐の勘違いで終えるかもしれない。
それならそれで越したことはない。ただ胸騒ぎが収まらない。一か月前と違い今ははっきりと胸騒ぎがするのだ。御代志町から早く何処か遠くに行きたい。その気持ちが急く。
「……そっか。うん、憐がいない研究所は刺激がないから僕は構わないよ。瑠美奈は?」
「いく。いってみたい。おいていかないで」
のけ者にするなと瑠美奈はむっとふくれっ面をする。
そんな顔も出来るのかと廬は瑠美奈を見て少しだけ驚いた。
準備期間に一週間だと憐は言って笑った。