第29話 ESCAPE
瑠美奈の恋人。そう言った儡の瞳は今だけは真実を言っているのだと真っ直ぐ廬を見つめていた。
「そうか」
だけど廬は素っ気なく。だからなんだと言いたげに冷めた顔をしている。
「ふふっ。君は僕と似ているね。僕は自覚しているけど君はしていないという点においては僕の方が優秀だ」
「……何を言ってるんだ」
「飼い主が誰であるかも自覚してないなんてね。糸識廬、君事故に遭ったことあるでしょう?」
事故に遭ったことを儡が知っていることに廬は驚いた顔をする。
「儡っ!」
「瑠美奈、その男の事を教えてあげるよ。その男は確かに仕事の異動命令でこの町にやって来た。けどね、それは所詮表の事情でしかない。勿論、彼はその事に気が付いていない。彼からしたら与えられたことをする機械でしかない。自動で思い通りに動いてくれる。プログラムされた人形」
「何を言ってるんだ」
「裏側の計画は語らない。語ってしまえばバレてしまうから行動する方には何も伝えられない。だから君は何も知らない。可哀想だと思うよ。何も知らない僕みたいだ」
「俺がお前だと言うなら何が目的なんだ」
「君と同じだと認識したくないけれど、僕が此処にいる目的と言えば一つ。瑠美奈、君を悲しませたくはないけど君の本性を彼に伝えるべきだ。これからも一緒にいるのならね」
儡は瑠美奈に近づく。真っ白な瞳の奥に渦巻く黒。
「本当にキミは忌々しいよ」
「ッ……」
「うわっ!?」
瑠美奈は廬を後ろに突き飛ばす。驚き尻もちを付き顔を上げると瑠美奈が儡との間に立っていた。
そして、その下でぽたりと何かが流れた。赤い雫、血だ。
「瑠美奈!」
「本当に嫌いだよ。キミの事」
「わたしもあなたはきらい」
黒い刀身のナイフが瑠美奈の腹部に突き刺さる。互いに睨み合う。
まるで痛みを感じていないように瑠美奈は微動だにしていない。
互いに嫌悪している。恋人だと言っておきながらナイフを向けて嫌いだと本人に口にする。
「浸食する痛みは君の本性を暴く。君はもう本性を見せるしか道はないんだよ。そんな状態で君はこの町で暮らしていける?」
「っ……聡っ!!」
「へ、あ……はい!!」
今までにないほど、と言うよりいつもより少し大きな声で瑠美奈は聡を呼ぶ。
見ていることしか出来なかった聡はハッと我に返り自分のやるべきことを認識して、廬に近づいた。
「ちょっと立って! こっちに行くよ」
「え、どこに」
「いいから! 早く!」
廬の腕を掴んで強引に立ち上がらせた後、その場を離れた。
「聡君を使って彼を離すなんてそれほど彼に君の真の姿を見せたくないの?」
「まだしんずいにきがついてない。しらないままのほうがいいにきまってる」
「目隠しして過ごせる日がいつまで続くのかな?」
「いつまででもつづかせる。かれはむかんけいしゃ。わたしをりようしたいならこそくなてをつかわないでどうどうときて」
「姑息な手が嫌いかな?」
腹部に刺さるナイフを瑠美奈は引き抜いた。どばどばの表現が似合う程に大量の血が瑠美奈から流れ出る。これでは死んでしまうと瑠美奈は刺された所を押さえながら思う。
「さて、これで君は本性を曝け出さなければ無くなったわけだけど……運が良い事に君はいまこの場所にいる」
儡の言っている意味を理解している瑠美奈は「そんなことするわけない」と引き抜いたナイフを凝視する。
禍々しい気配が感じて来る。一体どう言った特異能力を施したのか。
「素敵だろう? 君の為にこしらえたんだよ。宝玉の力を封じる為に宝玉を持つ者を制圧する為の刃。この一年でそれだけしか作ることが出来なかったけど、君だけを支配するには十分だよね?」
手にあるナイフを握り瑠美奈は顔を上げて儡に向けた。動くたび血が流れる。
長時間の行動は死期を早めてしまうと瑠美奈は早急に儡を仕留める為に動いたが軽やかに躱す儡。まるで瑠美奈の行動を先読みするように一切の攻撃を受けない。
「宝玉の力を使っても構わないよ。僕は憐と違って君と約束事はしていないからね」
「そんなことしなくても、わたしならあなたにかてる」
「本当に? 手負いの獣が僕に勝てるのかい?」
「ておいだからなんでもできる。儡、あなたをころせばほうぎょくをかいしゅうするだけ」
「手厳しいね。君にそれ程までに嫌われていたなんて知らなかった。悲しくなってしまうよ」
なんて言うが儡は一切心を痛めている様子はなかった。
寧ろ瑠美奈に嫌われることを望んでいるように言葉を選んでいた。
儡は非常口に逃げる。堅牢な扉を容易く抜けて人気のない病院裏に来る。
憐のように地上を歩けない後遺症ではない儡は何処でも行けた。それを追いかける瑠美奈。
一方で聡に連れられた廬は何が何だか分からず病院の入り口ホールに来ていた。
そこでやっと聡の手が離され自由になる。今からでも瑠美奈のもとに行けると踵を返した時、聡が止める。
儡がどう言った人物か知りたくないか、と言えば足を止めて聡を見て儡が何者なのか聞かせて貰おうと言う体制をするが生憎と言葉が上手くない聡では説明のしようがない。
「そ、それは……その、お姉ちゃんの恋人で研究所の、ホワイト隊のリーダーで」
口ごもる聡に流石の廬もそれ以上は期待していなかった。
「俺は瑠美奈の所に行く。問題は?」
「お姉ちゃんはいま、廬さんに会えない。会ったら今後もう会えない」
「どう言うことだ」
「お姉ちゃんは怪我をした。それってもう治らないって事なんだ」
出来れば言いたくないし無断で言っていい事じゃないのは重々承知もしている。
けれど此処で言わなければ廬は突っ込んでいくに決まっていると聡は怒られるのを覚悟で言った。
「瑠美奈お姉ちゃんが鬼だってのは言うは知ってるね?」
頷くのを確認して聡は情報を整理しながら言葉を紡いだ。
瑠美奈の後遺症のこと、怪我をした後の事を……。
「怪我をしたらもう二度と治らない。だから儡って奴に刺されたら瑠美奈はもう」
「……本当なら治らない。けどお姉ちゃんは運が良かった。そう、運が良かっただけだ。鬼であるお姉ちゃんは、あの状態じゃあ傷は治らない。鬼化したとき、お姉ちゃんは人間を食べることで一時的にでも身体を活性化させて傷を癒す事が出来る」
鬼化。瑠美奈が人の姿をしているのは仮の姿で本当の姿がある。
本来の力を発揮する事が出来る原初の鬼。
物理時間が停止してる為、成長はしないが怪我も治らない。
ならどうやって今まで無傷で生きて来たのか。切り傷もかすり傷も存在しない瑠美奈。そんな事は本来あり得ない。
一度だって怪我をする。それも五年前、研究所を支配したと言うのならその時だって傷を負ったはずだと廬は気が付いた。
無双したわけもない。瑠美奈だって不可能はある。研究所側だってただただ制圧されていたわけじゃないだろう。新生物を研究してその資料を用いて反乱の対策を講じていたはずだ。瑠美奈がどれだけ強く宝玉の加護があっても決して傷を負わないなんて事はない。
ならばどうやって傷を治しているかなんて、よくある話だと今更思った。
鬼が何を食べて生きているかなんて考えるまでもない。
鬼が人を食べるなんて聞き飽きるほどによく聞く話。
瑠美奈もそれは同じだ。傷を治す為に人間を食べて活性化する。
「だから、今廬さんが瑠美奈お姉ちゃんに会いに行ってもきっとペロリと食べられて終わるぜ」
「……自我はないのか」
「あるけど……怪我をしたら気性が荒いのはどこだって同じでしょう?」
瑠美奈は全てを制した個体だ。暴走して自我を失うなんてことはない。
きっと瑠美奈は鬼化した姿を廬に見せたくないだろう。怖がられることを嫌がる。
折角見つけた憩いの場所を失いたくないから遠ざけた。
「だからさ、廬兄ちゃんはお姉ちゃんの帰りを待っててくれね?」
「……俺にはどうする事も出来ないのか」
「出来ない。だって兄ちゃんには力とかないし。合ったとしてもお姉ちゃんの役に立つ能力じゃないだろうし俺と同じってわけよ」
廬はやるせ無い気持ちになる。何も出来ないのは前から分かっていたことだがいざ目の前でそれを突き付けられてしまうと心が痛い。
それに儡が言っていた言葉も気になる。
『男は確かに仕事の異動命令でこの町にやって来た。けどね、それは所詮表の事情でしかない。勿論、彼はその事に気が付いていない。彼からしたら与えられたことをする機械でしかない』
廬の知らないことを儡は知っている風に語っていた。
でまかせを言っている可能性もある。瑠美奈を攻撃した相手を信じていいわけがない。
何か出来ることを廬は必死に考えた。