第23話 ESCAPE
佐那は目を覚ますとそこは病室だった。
研究所の部屋じゃないと言うのはすぐにわかった。窓の外の景色が明らかに違う。
立派な家々が立ち並んでいる。遠くで電車が走っている。都会からやって来る電車だ。
此処は、御代志町の大きな病院だ。都会に比べたら個人病院より少し大きいくらいでしかないがそれでも十分な設備が整えてある。
「気が付いたのか」
「! ……糸識さん」
椅子に座っていた廬が目を覚ました佐那に気が付き声を掛けた。
白いシャツに上着を羽織っている廬は今日は仕事は休みなのだろうとすぐにわかった。
「どうして」
「此処に連れて来てくれたのは真弥、……俺の友人だ。昨夜、憐と一緒にお前は現れた。お前は俺の腹をナイフで突き刺したんだ」
「っ……!?」
その言葉に佐那は全てを思い出した。憐に洗脳術を使われて意識が朦朧としていた。憐の言葉しか聞こえず彼の言うことを聴かなければならないと言う錯覚に陥った。そして、言われたままに佐那は廬を支給されたナイフで刺していた。
手に残る人を刺した感覚に佐那は震えた。
「ごめんなさいっ。あ、あたしっ……なんてことを」
「気にする事じゃない。痛みはない」
事実、痛みどころか傷が無いのだから痛むものも痛まないと言った方が正しいかもしれないと廬は心のうちで言う。
昨夜、廬は病院に運ばれた。怪我はなく気を失っているだけだと言われ一晩病院で過ごして帰宅した。真弥に瑠美奈を預けているので午前は自由にする時間を得ていた。病院に戻ってきて佐那の病室に来た。目が覚めなければ大人しく帰るつもりだったが無事に目を覚ましたお陰で軽い話は出来ると廬は安堵した。
「憐はお前に何をしたんだ」
「……正直、余り覚えてない。裏切り者だって言われて隔離された」
憐は旧生物の中でも今もっとも嫌っている廬の側についたと思って激怒した。佐那に洗脳術を施した事で一矢報いてやろうと考えていたのだろう。まるで負けず嫌いの子供だと廬は思った。
「憐の親は誰なんだ?」
「稲荷さんの同期しか知らない。だから稲荷さんの後遺症が何なのか、たぶんホワイトも知らないと思う」
廬は真弥からヴェルギンロックを出た後の事を聴いていた。形状違いの銃の事と憐の後遺症の事を一応は耳にしていた。綿葉からの情報なために信憑性は皆無だったが廬は腹を刺されて気絶して一部始終を見ていない。棉葉の根拠のない言葉を証明する事が出来ない。
棉葉を信じられないわけじゃない、そもそも信じていないのだからその言葉を真に受けることが出来ない。真弥の事は信じている。事実真弥は廬と佐那を助けてくれたのだから信じる他ない。
「……瑠美奈は知っている?」
「可能性は、だって瑠美奈は……」
そこで言葉を詰まらせる佐那。その先を言えないとばかりに顔を背けた。
追及したところで話してはくれないだろうと廬は諦めた。
洗脳と言うのはまだ続いているのか。憐がどう言った術を施したのか。明確な情報がない以上、やはり頼るのは棉葉だ。それしか方法が無い。海良には申し訳が無いが棉葉を心から信じるには廬は棉葉が纏う雰囲気が気に入らない。
そんな時、病室の扉が激しく開かれた驚いてそちらを見ると中学生ほどの茶髪の少年が焦った顔で入って来た。
肩が上下させて息遣いも荒い。此処まで走って来た事が容易に想像出来た。部屋を間違っているという訳ではなく明確にこの部屋だと知って入室してきた。
佐那は少年の事を知っているようで別段怯えた素振りはない。
「お前は誰だ」
廬はもっともな事を尋ねる。少年は「俺は、周東聡」と答えた。
聞き慣れない名前に若干身構えると佐那は続けて言った。
「あ、あの糸識さん。彼はその……あたしのファン一号の子」
「ファン?」
「そうだよ。俺は人魚姫の追っかけで人魚姫のボディーガード」
その言葉でやっと合点がいった。ヴェルギンロックで真弥と棉葉が言っていた茶髪の少年とは彼の事だ。そして、ドッペルゲンガーの子供。つまり新生物だ。
様子からして廬に危害を与えに来たわけではなく純粋に佐那の心配をしてやって来た。
「ボディーガードと言う割には全然守れていないようだ」
「っ……俺だって人魚姫の傍にいたい! だけど憐さんが今回は必要ないって言うから引き下がったらこのありさまよ。本当にどーしようって感じ」
廬の言葉に不機嫌になりながら語る。聡は憐より下の位にいる事が容易に理解出来た。
「てか、あんた誰? 俺の人魚姫とどう言う関係なわけ?」
「恋人だ」
「は?」
「以前のライブ以来交際している」
淡々と言う廬の言葉に聡は冗談だと一歩後ずさる。
そして覚悟を決めたように拳を握った。
「ど、どど、どーせ。その場しのぎの交際だろ! 俺は将来人魚姫の旦那としてデカくなるんだよ」
「動揺が凄いが大丈夫か?」
子供の戯れ。佐那の将来の旦那。
その瞳は真っ直ぐで揺るがない。将来あと四年ほど大きくなったら本当に花束を持って佐那に会いに来そうな勢いだ。
聡の言う通り確かにその場しのぎの交際だ。恋人らしいことは何一つとしてしていない事に気が付いた。と言っても交際して三日四日しか経過していない。
「デートするか?」
「えっ……!」
「恋人だろ? 佐那の体調が良ければ何処かに出かけないか? 研究所以外の話もしたい」
「え、えっと」
「断ろう!!」
佐那が考えている間に横から聡が「そんな奴より俺とデートしよう!」と遮る。
「そもそもお前、ライブの時、何処で何をしていたんだ。俺の事を知らないって事はライブ会場にはいなかったんだろ」
「チケットが買えなかったんだよ!」
チケットは研究所から支給されることはなく実費で参加しようと思ったが告知が利いてチケットを手に入れることは出来なかった。
一方で廬と瑠美奈は真弥にコネがあり参加する事が出来た。真弥はこの町ではかなり顔が広いしその性格上いろんな人の為にボランティア活動をしている。ちょっと無理な頼み事も真弥が口を開くことで二つ返事だった。日頃の行いだろう。
「それに人魚姫ってのは活動中の名前だ。彼女の本名を知っているのか?」
「そんなの当たり前だろ? 佐那ちゃん!」
「それは俺がさっき言ったからだろ。苗字は?」
「ぐっ……」
忌々しいと廬を睨みつける聡とは別に「水穏佐那さん、ですよね?」と聡の声に似ているが少しだけ高い声が聞こえた。
病室の入り口には見舞いの花束を持った聡と瓜二つの少年が立っていた。
双子だと言うのは聞いていた為、驚きはしないと思っていたが寸分の違いすら見逃してしまう程にそっくりで黙っていたらどちらがどちらなのか分からない。唯一比べるとしたら前髪が左右対称と言うことくらいで、逆にされてしまえばお手上げだ。
「初めまして、糸識廬さん! 僕は、周東聡と言います」
そして聡よりも礼儀正しいさとるに「あ、ああ」とこちらも戸惑ってしまう。
にこにことした笑みに気圧される。
さとるの笑顔も虚しく聡によって壊された。
「遅いぞ、さとる」
誰よりも先に来たことを優越に思っているのか自慢げな顔をしている。
同じ時間に出たのにどうして聡の方が早く到着したのかさとるに問い詰めるとその手にある物を掲げて行った。
「水穏さんが気に入る花を探していたんだよ」
「活けても良いですか?」とさとるは佐那に尋ねる。了解を得て花瓶に花を活ける。
見舞いの品一つもなし、手ぶらで行くなんて失礼だろうとさとるは常識的考えを聡に説くが聡はそんな堅苦しい事を言われるために尋ねたわけじゃないと「黙れよ」と一蹴した。