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第227話 ESCAPE

 船内BARにて。

 酒が飲める人たちはパーティを終えた後も酒を浴びるように飲む。

 泥酔してしまっている人もちらほらをいる。


 カウンターで飲んでいる無名の右隣に鬼殻、左隣に真弥が座る。

 各々好きな酒を注文して談笑をする。鬼殻は皮肉を口にしながら、真弥は素直に笑いながらその言葉を行き交わせる。そこに廬がやって来る。上司である大智はどうしたのか尋ねれば、パーティで飲んだ酒が思いのほか大智には強かったようで部屋で寝ているという。

 BARの隅でイムがチョコと一緒にウィスキーらしきものを飲んでいる。

 見慣れた顔ぶれがBARに集まる。パーティの熱をカジノで発散する人もいれば、此処で追い酒をする人もいる。



 時間が過ぎれば少しずつ人は減っていく。もう飲めないと額を押さえて水を飲む人、泥酔して寝ている人を部屋に連れて行く人。


「お先に失礼します。流石に眠い」


 鬼殻が先に席を立つ。真弥が手を振って見送る。その次に真弥も欠伸をして限界が近い事に気が付いて部屋に戻る事を無名に伝える。

 隅で飲んでいたはずのイムもいつの間にかいない。BARに残ったのは無名と廬だけだった。

 廬は、仕事でいましているプロジェクトの事や、大智が明日は二日酔いだなと無名に笑いながら言う。


 かつてはいがみ合う事しか出来なかった二人が横に並んで酒を飲み交わすなんて想像できなかった事だ。


「胡蝶之夢って知ってるか?」


 無名が唐突に尋ねると廬は「もちろん」と答えて続けた。


「ある男が蝶の夢を見る。綺麗な羽をした蝶の夢。蝶は空を羽ばたいて色んな景色を見る。そんな時、男は目を覚ます。そこで男は思う。自分は蝶が見ている夢なのではないか。蝶こそが本来の自分なんじゃないか……だろ?」

「ああ」

「じゃあ、こういうのを知ってるか?」


 酒に酔っているのか、廬は少しだけ上機嫌に言った。


「ある男の前に自分によく似た男が現れた。そして、自分によく似た男は言った。お前は偽物だ。本物はこの俺だ。ってな。けど、男は否定した。本物は俺だ。お前じゃない。互いに否定を続けた結果、二人は死んだ」

「……穏やかじゃないな」

「どうして死んだと思う?」

「鏡で自分が何者か問うのと同じ現象か?」

「そう。ゲシュタルト崩壊するんだ。俺もお前も、あんなくだらない事を続けていたら意味もなく二人とも死んでいた。本物も偽物もなかったはずなんだ」

「意外だな。お前がそんな事を言うなんて」

「偽物は、自分を偽物と思っていないから本物と言うんだ。けど、本物こそ何処にもない。生きることに正解がないのと同じだ。正解を探したって意味がない。不正解が正解の時だってある……俺たちは、今ここにいる。お前は誰でもないお前自身で、俺も廬に拘らなくても良かったんだ」

「出来れば、今じゃなくて当時知りたかったことだ」

「無理だろ。心の余裕が無かったんだからな。鏡を見たらお前がいる。俺が見ているのは俺なのかお前なのか。まっ! 無事に俺もお前も一人として存在出来てる」


 一件落着だと無名のグラスをぶつけた。


「もう気にするなよ。俺たちは兄弟。それで良いだろ? 弟よ」


 そう言ってテーブルに突っ伏す。

 廬はもう今の人生に満足していると言っているが、本当はまだ許されていないのではと心配になる。


「新生教会の第一責任者ともあろう人が何かお悩みですか?」


 バーテンダーが口にする。

 横を見れば廬は寝落ちてしまった。


「第一責任者、いつの間にかそんな大それた立場になってるなんて思わないだろ?」

「そうですか? 意外と何があるか分からないものですよ。私もかつては学校の教師になるのが夢でした。そして、教師免許を取る所までいった矢先、最後の厄災で配属になる学校が廃校となってしまった。教師の立場ではいられなくなった私が此処にいるのは、本当に運命としか言いようがありませんね」


 教師になるはずだった男が、バーテンダーをしている。

 だから人生何があるか分からない。


「いまから教師になる事も出来ますが、この仕事も悪くない。色んなお客様に会えますからね」


 船旅を楽しんでいる客に他愛無い世間話と少しの知識を添えることで喜んでくれた、そのお陰でバーテンダーの仕事を続けているという。


「天職だな」

「はい。なので貴方も今の仕事に不満がないのなら続けてみるのも良いかも知れません」


 閉店の時間になり、寝ている廬を部屋に届けると言ったバーテンダー。

 無名も自分に与えられた部屋に戻る為、踵を返す。


 酔いを覚ます為にデッキに出る。

 夜風が気持ちよく酔いと一緒に眠気も覚めて来る。


「センチメンタルになってるのか」


 瑠美奈が結婚したことで、まるで止まっていた時間が動き出したかのような錯覚に陥る。現実の時間が動いていた事に気が付いたような。そんな錯覚を感じていた。


「無名?」

「! ……今度は儡か、今日はよく人に会うな。もしくは俺に話をかけて来る」


 今日最後に会ったのが儡かと言えば「僕じゃ不満だったわけ?」と笑っている。


「いや、寧ろお前で良かったよ」

「そう。ならいいや。それで? センチメンタルだって?」

「聞いてたのか」

「忘れた? 僕の特異能力は君の心を見透かすことだよ」

「便利なのか迷惑なのか相変わらず分からないな」

「僕からしたら君のことを知れて万々歳だ。茶化すネタが増える」

「性格悪いのも相変わらずだな」

「君にだけだよ。今の僕は機嫌が良いからね」


 愛している子と結婚式を挙げることが出来た。

 儡にとって今、この時、この上ない幸せを味わっている。


 彼と初めて会った時は最悪な自己紹介だった。瑠美奈の彼氏と言われたが、その時の無名は別に瑠美奈をどうこうしようなんて思っていない為、そうか。と曖昧な感覚だった。


(今になって思えば、儡はあの時から俺が新生物であることに気が付いていたのか)


「お前は、いつから……いや、もういいか」

「まだ君自身の事が気になってしょうがないんだ。良いよ。機嫌がいい僕が教えてあげる。君と会ったあの日に、僕は君の頭の中、記憶の中を知った。今の糸識廬の記憶と同時にA型0号としての記憶を見た。天理累の事も知っていたよ。言わなかったのは……、君を信じてたからかな」


 儡は過去を知る事が出来ても未来を知る事は出来ない。過去を知っても無名を糸識廬として接していた。

 それは一重に儡の優しさだったと勝手に思い込んでいる。

 だが、今になって、彼の口から「信じていた」なんて無名は耳を疑った。


「君が敵じゃないと僕は信じていた。確かに僕は君の事が嫌いだよ。僕たちは似た者同士だ。何も分からない、何も知らない。だから知ろうとする。それで君は知った。僕も知ることが出来た。これでお相子だよ」


 全てではないが、知っていた。疑いはしたが、彼がしている不合理的行動を疑い。儡は、無名の行動は全て一貫して瑠美奈のためやその時困っている者のためであることを知った。

 先を知ることが出来ない儡でも、無名が悪人であることを断言する事は出来なかった。もしも悪人ならば、儡は黒の宝玉に身体を破壊されて死んでいただろう。


「ありがとう。もっと頑張るよ。もっと理解出来るようになる」

「慣れない事をしなくていいさ。今まで通り、君は瑠美奈の理解者であるべきだ」


 憐と儡が互いの理解者のように、瑠美奈にとっての理解者は、無名しかいないのだと儡は言った。


「理解者か。お前がそれを許してくれる限りは俺はあの子の理解者でいたいな」

「あー、だけど僕の瑠美奈に手を出したら許さないからね」

「安心しろ。俺は幸せ絶頂夫婦の間を引き裂こうなんて思わない」


(そんな事は絶対にしない)


 彼らが互いに笑い合っている姿を見ているのが無名は好きだ。

 これからも二人の安念の為に影ながら支えることが出来たらどれだけ幸福な事か。


「さて、僕はそろそろ帰るよ。君も風邪引く前に部屋に戻りなよ」

「ああ、少ししたらな」


 儡は返事を聞いて少し笑いデッキから離れて行こうと踵を返した時、「ああ、そうだ」と無名は思い出したように儡を見て言う。


「結婚おめでとう、儡」


 明日も船の旅は続く。

 明日もきっと何処かで誰かが問題を起こしてその処理を任されるのだろう。


 それでもそれが日常で、それがたった一つのかけがえのないものとなる。

 今感じている気持ちも、かつて感じていた気持ちも全て本物で誰にも譲れない。


 誰かが自分を呼ぶ。その声に振り返る。

 自分が確かにそこに存在しているという安堵すら愛おしくなる。




 ―ESCAPE:完―








 喧噪ひしめく大都会。

 書店で、とある作家のサイン会が行われていた。

 作家に会うのを心待ちにしているファンが長蛇の列を作っている。

 ウェブ掲載していた小説、『ESCAPE』が世界的ヒット。書籍化が決定した。

 世界的に人気となった作家が、今回初めてサイン会を行う事になった。


 作家のSNSに送られた一つのリプライ。

『モーメントエタニティ』とたったその文字だけが送られた。

 悪戯とも取れる文字を見て作家は今回のサイン会の企画を同意したことを誰も知らない。


「あの!」

「ん?」

「は、初め、まして……」

「うん、初めまして」

「! ……あの、私、その、えっと」


 緑色の縁をした眼鏡に黒いワンピースを着た少女の手には一冊の本。

 それは作家が書いた幻想物語だ。

 現代をイメージしているがまるっきり違う世界の話。

 だが、何処か現実的で、何処かであったような話に人々は引き込まれた。

 少女は余り言葉が上手くないのか必死に相手に意思を伝えようとするが思うように言葉が出ない。


「音無さん。妹は貴方の大ファンなのです」


 付き添いで来たのか、兄と思しき男は人好きするような笑みを浮かべて少女が抱えていた本を取り「サインをお願いします」と言う。

 もとからそれを趣旨としているのだから断る事は決してない。

 本を差し出された男の左腕には青い石が施された少し高級そうな腕時計があった。

 

「君の名前は?」

「! ……わ、私……瑠美奈って言います」

「瑠美奈。はい、出来たよ」


 そう言ってサインが書かれた本が返却される。


「あ、ありがとう、ございます……」

「これからも応援してくれると嬉しいな」

「うんっ。する。ずっとする」


 瑠美奈と名乗った少女とその兄は列を離れて立ち去っていく。

 作家はどこか満足そうに「次の方」と列を進行させる。



 少女が抱える本には作者のサインと再会の約束を意味した文字が書かれていた。

これにて終了です!

お疲れ様でした!

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