ティファニア編:旅路
旅館の庭は優雅でよく手入れをされている。
砂利が波打つように敷かれ、植木や池がその情景に花を添える。
そんな庭に、ティファニアとソウエンが向かい合っていた。
手にはお互いの得物を握っている。
普通であれば旅館の支配人が許可するはずがない。
庭師など、その光景を見れば卒倒しただろう。
しかしそこは、権力と金次第である。
このライ皇国において、ライハに逆らう者など皆無である。
「ティファニア殿、普段であれば女性に刀を向けるなど言語道断である。しかし、カラの言葉を信じるのであれば、相当な強者だとのこと。ゆえに、最初から全力でいかせてもらう」
ソウエンは刀を抜き放ち正眼に構える。
その所作だけで、ソウエンが鍛えられた武人であるとティファニアには理解できた。
「わかりました」
ティファニアが小さく頷いた。
それを見て取り、ソウエンも頷く。
「隊長、そうは言っても相手は女性だぞ」
「負けたら恥ずかしいぞ」
「そうだ、もう一つ条件を付け加えて、隊長が勝ったら結婚してもらえよ」
ソウエンの部下たちが口々に囃し立てる。
しかし、当の本人の耳にはそんな言葉など届いていない。
ソウエンはティファニアと相対して、初めてその実力を感じていた。
未だ細剣を抜いていないティファニアであるが、迂闊に踏み込むことはできない。
「どうしました? 来ないようでしたらこちらから行きますがよろしいですか?」
ティファニアは細剣の柄に手を当てながら尋ねた。
「うむ、では参るがいい」
間合いを計りかねていたソウエンが了承する。
次の瞬間、ティファニアの姿がブレて消えた。
たった一歩の踏み込みである。
たったそれだけで、ソウエンはティファニアを見失ったのだ。
「なっ!」
驚愕するソウエンは気配を察知した反射というよりも、半ば勘だけで刀を横一閃した。
しかしその抵抗も虚しくソウエンの刀は空を切り、首筋にはティファニアの細剣が添えられていた。
「終わりですね」
ティファニアの動きをどれだけの人が感知できただろうか。
少なくとも、側で見ていたソウエンの部下やサヤには見えなかった。
「参った。まさかここまでとは・・・・」
ソウエンが両手を上げ、負けを宣言した。
驚愕に目を見開き、ティファニアをまじまじと見る。
パン!
静寂に包まれる中、サヤの一拍だけが響き渡った。
「これで終わりじゃ。いやー、早く皇都へ向けて出発せねばならなかったから助かったぞ。さすがわらわのティファニアじゃ」
サヤは満足し、ティファニアの手を取って馬車へと向かう。
ティファニアが最後に見たのは、驚愕したまま固まったソウエンの姿であった。
それから二日間、ティファニアとサヤは馬車に揺られライ皇国の首都である皇都『朱嘉』へ向かった。
その間ティファニアは、尽きることのないサヤとの会話に勤しんだ。
サヤとの会話で、ライ皇国の内情をかなり詳しく聞くことができた。
現皇帝であるレオ・ライハは名君であり、民に慕われていること。
その皇帝の跡継ぎ争いが行われつつあること。
サヤの兄は八人もいて、兄妹の中でもサヤだけが女性であること。
サヤと同腹の兄は一人で、先日シュタットフェルト魔法学院へ入学したこと。
その自慢の兄は冒険者で白銀級になるほど強いとのこと。
(なお、ティファニアが黄金級であることを告げたら、馬車と併走して中を窺っていたソウエンが落馬した)
朱嘉に到着したティファニアは、まず人の多さに驚いた。
リェーヌも大都市であったが、朱嘉はそれ以上である。
さらに生誕祭中というのも相まって、人から発せられる熱気は最高潮であった。
ティファニアは『千里眼』を使い朱嘉を見渡した。
そしてその広大さにも驚いた。
「どうじゃ? すごいものじゃろ?」
サヤは自慢気にティファニアへ問いかけた。
「はい、ここまでの人の群れは初めて見ました」
素直に感嘆するティファニアに満足し、サヤが嬉しそうに頷いた。
ティファニア達が乗った馬車は都市の中心を進み、皇族領へ向かった。
ライ皇国の国民は馬車が皇族のものであると知り、道をあける。
さらに、サヤが載っていると知るや一目拝もうと歓迎と帰還の祝いの言葉を口にする。
サヤは照れを隠すために表情を消し、馬車の窓から手を振った。
それだけで一層周りの声が大きくなる。
「サヤ、一つ聞きたいことがあるのですが?」
「何じゃ?」
「あの、窓際の美姫とはサヤのことでしょうか?」
国民が口々にこちらへ向けて、そう叫んでいた。
そうなると、その対象者は一人である。
「うぐっ・・・・。まぁ、そうじゃな」
苦虫を潰したような表情でサヤが答えた。
「どうしてそう呼ばれているのですか?」
「わらわに聞くな!」
サヤは機嫌を損ねたようで、プイっと顔を背ける。
どうやら尋ねてはいけない内容だったようだ。
仕方なくティファニアも視線を外へ向けた。
馬車はその後も問題なく進み、皇族領へと入っていった。
後にカラから聞いたのだが、普段兄達の影に隠れて表に出てこなかったサヤを見る機会は、皇族が住む建物の窓の向こう側だけだったらしい。
サヤの美しさも相まって、噂が噂を呼び今に至ったそうだ。
塀で隔絶されている皇族領へは門を通らなければ入ることができない。
逆に言えば、門さえ通れば誰でも入ることができる。
門には驚いたことに門番がいなかった。
不埒な輩がいれば、簡単に侵入できる。
そんなことは誰でもわかるのだが、それでも門番を置かないということはつまり、それだけこの国の治安がいいということだろう。
ティファニア達一行の馬車は門をくぐり、皇族領へ入った。
先ほど通った町並みと皇族領では景色がガラッと変わる。
民家や露店などが所狭しと混在する町に対し、皇族領には建物が少ない。
変わりに、感動するほどの様式美が広がっていた。
例えるならば先日泊まった旅館の庭が見渡す限り広がっているようであった。
「サヤ、ここが貴族領とのことでしたが、民草も気軽に入って散歩でもしているような気がするのですが?」
「そうじゃ。ここは景色がいいし、絶好の散歩スポットじゃよ」
サヤが歩いている老夫婦を指差して言った。
「いや、そうではなくて。門にも門番がいませんし、危険ではありませんか?」
「それはじゃのぉ、父上が『門番を置いて通行を規制するということは、民を信じていない証拠である。余は民を信じ、民と共にある』と言ったからじゃよ。まぁ、塀だけは先々代からあるゆえ、取り除くのがはばかられたのじゃがな」
そう言うサヤの顔は嬉しそうであった。
どうやらサヤにとって父は自慢の皇帝であるようだ。
「では、実際に他国の間者などが暗殺に来たらどうするのですか?」
「その時は自分でどうにかすべきじゃろう?」
なるほど。
自分の身は自分で守れと言うのがこの国の考え方か。
もちろん自分でとは、自分自身の武もあるが、そこにはサヤのように腕の立つ護衛をつけるのも含まれるのだろう。
「見えてきたぞ。あれがわらわの家、『琥珀の館』じゃ」
サヤが指差す方を見ると、白基調の美しい建物が見えてきた。
近づくにつれ、その建物が先日の旅館を凌駕していると気づかされた。
本当に、皇族の特権である。
馬車が琥珀の館の前で止まった。
降りたティファニアとサヤが同時に伸びをする。
その姿をお互いに見合い、微笑んだ。
「今日はゆっくりする。明日は父上と謁見するゆえ、その時に演舞を頼むぞ」
「わかりました。できる限り頑張ってみます」
ティファニアの返事に満足したサヤが続けた。
「ここにも温泉があるから一緒に入るぞ。先日とは効能が違い、肌に良い湯じゃ」
「それは、楽しみです」
すっかり温泉にハマったティファニアは、上機嫌でサヤの後を追う。
その姿に、明日への気負いや心配などはまったくなかった。
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ティファニア編がもう少し続きます。
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