参拾伍殺
――ドンドォンッ!
お姉さんの銃――無銃弾剣銃が私のお腹を抉る。
「ガッハッ!」
私は撃たれる度に口から血を吐き、体がふらつく。対するお姉さんはニヤニヤと笑いながら私のお腹を撃ってくる。
「どうしたの伊佐南美ちゃん。さっきまでの威勢は何処に行ったのかしら」
お姉さんはお構い無しに私のお腹に銃弾を撃つ。その都度私のお腹には被弾した傷が増え、血も余計に流れる。見えない銃弾なのだから頭を狙えばすぐに済む筈なのに、お腹ばかり狙ってくるあたり、私をじっくりと嬲り殺しにするつもりだ。性格悪いなー。私が言えた義理じゃないけど。
しかもお姉さんはお腹を抉るついでに、黒牙の中に入れている暗器を悉く破壊していってる。このせいで武器が残り数本程度になっちゃった。
「……こっのっ!」
私は痛みを我慢しながらクナイ二本を投擲する。けどお姉さんは照準を変えて二回引き金を引き、見えない銃弾でクナイを二本とも破壊した。私のお腹を抉るだけじゃなくて、鋼鉄製のクナイも『普通』に砕くあたり、やっぱり『異常』だ。あの銃。
「そんな玩具であたしを殺せるとでも? それとも単なる悪足掻き?」
お姉さんは不気味な笑みを浮かべながら銃撃を放ってくる。私はただそれを受けるしかない。銃弾が見えない以上、何も出来ない。頭を狙われないのが唯一の救いだ。
(……でも、一体どうしたら……)
私のお腹に穴が増え続けている中、私は小太刀を握り締め、思い切ってお姉さんに突っ込む。
(――源影!)
秒速20mの速さで。どうせ向こうは見えない銃弾を撃つし、だったらこっちも高速移動で見えなくしてやろうっと。でも結構被弾した私の体では、一直線で進むには一旦止まる必要が出てくる。だからあえて一直線ではなくジグザグに進む。非効率だけどそっちの方がお姉さんを微力ながら撹乱出来る筈だから。
その止まった瞬間が勝負だ。お姉さんは私の姿が見えると即座に撃ってくる。銃口を向けた瞬間に移動するのではなく、お姉さんが撃った後、正確にはお姉さんが引き金を引いた直後に即走る! 銃弾が見えないなら、引き金を引いた後と弾が出る僅かな間に走れば問題なし!
私の思惑は上手にいって、引き金を引いた直後だったら避けれる事に成功。しかもお姉さんは一発撃つ毎にコッキングをする。その間にも充分な時間がある。その間にお姉さんの所まで走るだなんて、朝学校に行く時よりも簡単な事。
私はお姉さんの目の前で止まり、小太刀で斬る。
――ギィン!
「……あ、危なっ」
あー惜しい! お姉さんが銃剣で防いでなかったら首がスパッといったのに! スパッと!
まあそれでも片手で小太刀を持っている私に対し、お姉さんは銃を両手で持っている訳だからお腹はガラ空き。袖に仕込んでたクナイを取り出してお姉さんに突き刺す!
「――っ!」
お姉さんが驚愕の顔を浮かべた時には、もう既にクナイは刺さっていた。
――ギィン!
……刺さっていた、筈だった。
刃が通らない。姉さんのお腹から金属音が聞こえ、それ以上はクナイが刺さらない。もしかして、お姉さんまだ武器隠し持ってるの!? どれだけ隠してたら気が済むの!?
お姉さんの驚愕の顔は、すぐに笑みへと変わる。
「さすがに、もう打つ手無しかしら」
お姉さんは逆にガラ空きだった私のお腹を蹴り、私は痛みに悶絶しながら転がる。お姉さんはその後即座に私が手から放したクナイと小太刀を見えない銃弾で破壊した。
ヤバい。今のでもう殆ど武器無くなったちゃった。
お姉さんは私を撃たず、態々近寄ってきた。
「さーてと、伊佐南美ちゃんは人を嬲り殺しにするのが好きみたいだから、あたしも伊佐南美ちゃんを嬲り殺しにしちゃおうかしら」
お姉さんは銃剣で私のお腹をツンツン突く。
「うーん、銃弾は兎も角、さすがに銃剣は刺さらないわよね、このコート」
そりゃそうですよ。黒牙の防御性能を前に『普通』の刃なんか全然効きませんから。なんて思ってたら、お姉さんはニヤリと笑い、銃剣を被弾した所にブスリと刺してきた。
「あ、あぁっ!」
突然の激痛に私は声を上げる。お姉さんはまた被弾した所を銃剣で刺す。
「ふーん、成程ね。伊佐南美ちゃんが人を嬲る気持ちも分からなくもないわね。どう伊佐南美ちゃん? 自分が嬲られる気分は」
お姉さんは容赦なく、何度も何度も被弾した所ばかりを、銃剣で刺す、刺す、刺す、刺す、刺す。
「そうだ伊佐南美ちゃん。もし伊佐南美ちゃんが死んだら、このコート貰ってあげるわ。真っ黒いから趣味悪く見られるかもしれないけど、随分とまあ良いコートなんでしょ?」
へ、へえ、私が死んだら、黒牙奪っちゃうんだー。
「ふ、ふふ……」
私は激痛の中、思わず笑っちゃう。
「い、良いですよ。けどその代わり、お姉さんが死んだら、その可笑しな銃、私が貰っちゃいますねー」
私が自慢のニコニコ顔で言うと、お姉さんもニッコリ笑い、
「サッサと死ねよ。ドS娘!」
銃をクルッと回し、銃把で私の頭を殴りつけた。唯一黒牙で覆われていない頭を強く殴られて、私は、意識が一旦途絶えた。
◇
小さい頃の私は、暗殺者であるという事と、服部半蔵の末裔であるという事を除けば、何処にでもいる、『普通』の女の子だった。いつも大好きなお祖父ちゃんお祖母ちゃん、お父さんお母さん、お兄ちゃんに蝶よ花よと可愛がられて育った。
友達も沢山いた。皆皆仲良しで、いつも一緒に遊んでいた。遊ぶ場所もその日その日で、友達の家や私の家、時には山に行って暗くなるまで遊んで、お父さんとお母さんに怒られたりもした。場所が田舎町であるという不便さを除けば、長閑な風景が広がって、東京の都会に比べればずっとか有意義に過ごせた。
友達と遊ばない時の私の遊び相手はお兄ちゃんだった。私はお兄ちゃんの事が凄い大好きだ。いつもベッタリくっ付いて放れようともせず、お兄ちゃんはそんな私を可愛がってくれたり、いつも一緒に遊んでくれた。まだ幼かった頃の私とお兄ちゃんがよくやった遊びは、死の淵刺し。クナイを一本ずつ持って、どちらがより相手を死に近づけれるか競う遊びだ。私はこれが弱くて弱くて、いつもお兄ちゃんには負けていた。負けていじける私にお兄ちゃんは頭をナデナデしてくれた。それが私にとっては凄い嬉しくて嬉しくて、もう幸福の域を優に越していた。
勿論お兄ちゃんにも都合が悪くて私と遊べない事は何回もあった。だから私が一人でやる遊びは、肉抉り。お父さんとお母さんが買ってきたお肉の塊にクナイを刺しては抉って、刺しては抉ってを繰り返すだけの、死の淵刺しよりも単純で分かりやすい遊びだった。その時私はその遊びを気に入っていた。一人でも出来るし、どうせお肉は焼いて食べちゃうんだし、何の問題も無かった。ただあまりにもお肉をグチャグチャにし過ぎてお父さんにお尻ペンペンされちゃう事もあったけど。けどその代わり、私のSさは肉抉りを始めた辺りから芽生えていた。
一人の時は暇さえあればお肉にクナイを刺す。お肉を刺してはグッチャリと抉る。抉った所をもう一度刺す。刺しては抉り、刺しては抉りを繰り返すという遊びは、まるで人の肉を刺して抉っているように見えた。その抉った後のお肉はお母さんが上手に焼いて食卓に出される。私はその焼かれたお肉を口一杯に頬張った。お母さんは料理上手だったし、文句の付けようのない美味しさだったから、舌鼓していた私の心の中に、一つの想像を重ねた。
もし、今私が食べているお肉が、人の肉で、私が散々抉りまくった奴をお母さんが何の疑問も躊躇いも無く『普通』に調理して、『普通』に食卓に出され、私達家族がそれを『普通』に食べる。所謂それは食人だ。
食人。文字通り人を食べる事。けど人を食べるのは飢えた猛獣とかぐらいだと思ってたけど、最近になってそれが違っていた事が分かった。食べるのは人外や人間達もだった。
人外。人の形をしていながら人ならずもの。一般的なもので言えば妖怪や鬼。あれもれっきとした人外だ。あとは悪魔とか天使とか、幽霊とかも人外だね。多分。それでその人外が人の肉を食べているって事を光元さんから教わった。そもそも人外自体が存在するのかどうかって疑問が出てくるけど、平安時代には源頼光が酒呑童子や茨木童子とかの鬼を退治したっていう話もあるらしいし、別に現代に鬼がいても可笑しくないか。
それでもって、人が人を食べるという共食いなんてあるのかという疑問についてだけど、別に可笑しいことでもない。世の中には食人族の血を引く無法者達も裏の世界には蔓延ってるって聞いたし、これぐらい『普通』『普通』-
とまあ、本題に戻すけど、そんな想像をした上でお母さんに聞いてみた。
――今私達が食べているお肉って、何のお肉?
その質問に対してお母さんは牛肉と答えた。何でそんな事を聞くのかお母さんに尋ねられたので、私はこう答えた。
――だって、もしこれが人の肉だったらどんな味がするのかなーって。
私はお肉に齧り付きながら答えると、お母さんはニッコリと笑って私の頭をヨシヨシしてくれた。お母さんの向かいに座ってお気に入りの大吟醸を飲んでいるお父さんは、ただフッと笑ってお酒を飲んでいるだけだった。
私がSになり出してからしばらく経って、突然あの出来事が起こった。
あの日は丁度お祭が開かれていた。お父さんとお母さんは急に出来た暗殺のお仕事のせいで遅れてしまい、私とお兄ちゃんの二人だけで行く事になった。当時私は七歳でお兄ちゃんは八歳。別に親がいなくても二人一緒だったら大丈夫だった。大丈夫な筈だった。あんな事が起こらなければ。
突如私達の前に、居錠と名乗る黒尽くめのオジさんが現れた。本人はオジさんじゃないって言い張ってたけど、本当はどうなんだろうなぁ。
そんな事よりも、その居錠さんは何故か私達兄妹の事を知っていた。何故か私達が暗殺者で、服部半蔵の末裔で、殺しが大好きな事をよく知っていた。私達は一瞬この人を殺そうかと思ったけど、多分勝ち目が無いなと思って諦めた。そして、その諦めが正解だったと後で知った。
居錠さんの次に現れたのは、『何か』。今の私でも分からない、おぞましいもの。『何か』は私とお兄ちゃんを見るなり、襲い掛かってきた。私とお兄ちゃんは、『何か』から発せられる恐怖で心が支配され、手も足も出なかった。殺されると思ってた。けど、違った。居錠さんが助けてくれた。
当時の私には分からなかったけど、あの時の居錠さんは私達に会う前から全身が負傷していた。どうして負傷してたのか、何故私達を助けてくれたのかは今となっては分からず仕舞いになったけど、兎に角居錠さんは『何か』から私達を守ってくれた。既に傷を負っている体で、たった二振りしかない日本刀と、奇妙な黒い服しか着ていない様な人が勝てる訳がない。そう思って、お兄ちゃんは『何か』に攻撃をした。居錠さんは隠れてろと言ってたのに。私達だって忍者の端くれ。黙って隠れるだなんて、当時の私達に出来る訳が無い。
私とお兄ちゃんは、『何か』に攻撃した。けど、傷一つ負わす事も出来ず、逆に私達が受ける筈だった向こうの攻撃を居錠さんが代わりに受け、重傷を負った。いつの間にか私達は『異常』な恐怖に怯え出し、怖くなり出していた。
忍者の端くれでもある私達が初めて恐怖に怯えた時だった。この時、私の心は恐怖に支配されつつあった。昔から私はちょっとした事ですぐに悲観的になる。私の悪い癖だった。マイナス思考と言う名の負の感情が、私の精神をじわりじわりと蝕んでいく。もうちょっとで私の心が崩壊しようとした時、お兄ちゃんが私に優しい言葉を掛けてくれた。
――伊佐南美、今から兄ちゃんがお前を泣かす奴をやっつけるからな。
その言葉を聞いた私はゆっくりと頷いた。その後お兄ちゃんは居錠さんが貸してくれた日本刀を手にして、『何か』に突っ込んだ。
後の事は大体しか覚えていない。お兄ちゃんが突っ込んだかと思ったら、すぐさま居錠さんが突っ込んで『何か』諸共大爆発の中に紛れ、私達はその爆発の衝撃に吹き飛ばされて気を失い、次に目が覚めた時には家で寝かされていた。
お父さんとお母さんは、深くは聞いてこなかった。いつも通りの毎日を送っていた。あんな事が起こらなければ。
あの出来事を境に、私とお兄ちゃんは変わった。いつも以上に人を殺すようになった。一番最悪だったのは私だった。あの出来事がトラウマとなり、元からマイナス思考だったのが余計に悪くなった。ちょっとした事ですぐに精神的ストレスが溜まり、トラウマで突然発狂して沢山の人を殺していった。そして殺した事に何の後悔もなかった。寧ろ楽しかった。特に私は嬲り殺しにするのにハマった。相手を動けなくして、クナイで体を少しずつ抉る。抉って抉って体を何度もグチャグチャにした。その痛みに相手は悲鳴を上げるのを何度も聞いた。恐怖と痛みが顔が歪むのを何度も見た。クナイに付いた血を何度も嗅いだ。何度も舐めた。人の血は、冷たくて、サラッとしていて、鈍い鉄の味がした。
そんな事を続けていたある日、お父さんとお母さんが突然死んだ。私がまだ小学六年生の頃だった。原因は病気としか聞かされていない。突然お兄ちゃんと二人っきりになりまだ殆ど暗殺について教わっていなかった私達は、自暴自棄になっていた。そんな私達の前に、光元さんが現れた。光元さんは私達に殺しの事を色々教えてくれた。知識、技術、精神、肉体、暗殺に必要な事を片っ端から全部。おかげで私もお兄ちゃんも光元さんには頭が上がらない。お兄ちゃんは時々光元さんに反抗的だけど。
光元さんに鍛えてもらった過程で、私はある一つの技術を身につけた。それは最近までお兄ちゃんにすら認知されなかった、異形な技。『異常』な程ドSで、小さい頃から今の今まで相手散々を殺さずに甚振り、嬲り、虐め、最終的にはグチャグチャに殺してきた加虐嗜好の持ち主で、ちょっとした事で発狂するような心の不安定さを持つ私だからこそ出来た技。唯一の欠点は、これを使うと敵味方問わず攻撃しちゃうから、お兄ちゃんと一緒の時には使えない。ヘタすれば殺しちゃうから。そりゃあお兄ちゃんが私より強かったら話は別だけど、今のお兄ちゃん、私と本気に殺し合いしたら十秒で挽き肉になっちゃうよ。けど、今は私一人だけ。相手は私達と同じ『異常』な無法者。だから使う。使えば遠慮なく殺せる。殺して殺して殺しまくる。殺しまくった後は、ひたすら殺し続ける。
あ~、ゾクゾクしてきた~。これもドSの賜物だな~
包み込め。わたしの心の中に潜む黒。心を捨てて、ただ人を殺すという事だけを目標に、相手を、殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す! ブッ殺す!
◇
「あーあ、もしかしてこの子、もう死んだ? いや、単に気を失ってるだけか」
リドカはつまらなさそう倒れている伊佐南美を銃剣でツンツン突く。
「そんじゃまあ、起き出したら面倒だし、そろそろ殺すか」
リドカが無銃弾剣銃の銃口を伊佐南美の頭に向け、レバーアクションを行う。
「バイバイ。伊佐南美ちゃん」
リドカがニヤリと笑って引き金を引こうとした。その時、
「……ん?」
リドカが首を傾げた。その次の瞬間、
「……ッ!?」
リドカは撃つのを突然止め、後ろにジャンプして伊佐南美との距離を取った。
「な、何なの今の……」
無銃弾剣銃を持つリドカの手が震えていた。何故震えているのか。リドカが撃とうとした時、伊佐南美の体から殺気が溢れ出るのを感じたのだ。それも、『異常』なまでに『異常』な。
リドカが退いた判断は正解だった。突如伊佐南美の全身を黒い瘴気が包み込んだ。その光景にリドカはただ見ているしかない。
黒い瘴気が伊佐南美を包み込んだ事で、驚くべき事が起こった。伊佐南美が受けた銃創が、塞がり出したのだ。それも恐るべき速さで。まるで映像を巻き戻しているかの様に、伊佐南美の傷が塞がり、破れた黒牙も直っていく。
リドカと戦う前の状態に戻った伊佐南美がゆっくりと立ち上がり、顔をリドカに向ける。黒い瘴気のせいで伊佐南美の顔が見えにくい。一瞬目が合ったと思ったら、その途端にリドカは背筋どころか全身が凍りそうになった。
伊佐南美の殺気が『異常』だった。『普通』の『異常』を優に超し、『異常』に『異常』という領域にまで達している。目を合わせたと同時に感じた寒気は、伊佐南美の目が『異常』に怖かったのだ。さっきまでそこにいた、ニコニコ顔で無邪気な伊佐南美ではなく、ただ相手を殺すという事だけを目的にした、殺意の塊が溢れ出ているかの様な伊佐南美。しかも彼女を包み込む黒い瘴気が、より一層『異常』さを掻き立てている。
「な、何なのよ一体……」
リドカは寒気がしつつも『異常』な無法者。なんとか冷静にはなっている。けれど、伊佐南美から溢れ出る殺気は、今まで自分が体験した事の無い未知の領域であるという事を彼女は理解している。
「……ねぇー、お姉さん」
伊佐南美が、ゆっくりと口を開き、リドカに話しかける。
「な、何よ伊佐南美ちゃん」
リドカが尋ねると、伊佐南美が不気味な笑みを浮かべ、
「……殺しちゃいます♪」
さっきと同じような事を言った。
「――ッッッ!!!?」
さっきと同じな筈なのに、リドカはとんでもない程の恐ろしさを持つ殺気に襲われた。一体伊佐南美に何が起こったのか、リドカは知る由も無い。
(――無嬲霞)
無嬲霞。
ドSで拷問好きな伊佐南美からは考えられない、相手を一切嬲らないで相手を殺す、『異常』で異形な技。
不生不殺虐嬲必嬲。
それこそが、普段の伊佐南美の思考であった。
不生不嬲葬殺必殺。
今、伊佐南美の思考が、そう切り替わった。
◇
心の中がスッキリとする。もう何も考える必要も悩む必要も無い。無銃弾剣銃の見えない銃弾の事を気にする必要も無い。相手を殺す。お姉さんを殺す。ただそれだけを考えていれば良い。相手を嬲らず、スパッと殺す。
私は袖に仕込んでいた最後の一本のクナイを取り出して構える。
「……サッサと終わらせる」
無嬲霞の時の私は、少しだけ喋り方が変わってしまう。けれど、今はそんな細かい事はどうでも良い。人を殺す時に面倒だから。
お姉さんも私を包み込んでいるコレに気付いてすぐには仕掛けてこない。それにこっちから仕掛けてもお姉さんの見えない銃弾の餌食になる。私を甚振るもりだったお姉さんは今度は確実に頭を狙ってくる。穴だらけになった私の体を直してくれた無嬲霞と言えど、黒牙で覆われていない頭を撃ち抜かれたらそこで終わる。そして私には見えない銃弾を避ける術は無い。だから私はんな結論に到った。
見えないなら、感じ取れば良い。
(……忍法『蝶遠波』)
忍法『蝶遠波』は、全身から振動波を放出し、周りからやって来る物体を感知する為の振動型忍術。これを使っている時は常時振動波を発するので、体力の消耗が非常に激しい。長期戦になる事を考えて使わなかったけど、今となってはもうそんなのは関係ない。即行殺すから。
それに、お姉さんにはどうせ分からない。『蝶遠波』で発する振動波は『普通』の振動波と違って、他人には聞こえない。振動波系の技を使いこなしている人でもない限りは絶対に感じ取れないくらい。
振動波に秀でていたお祖母ちゃんはこの技で暗闇でも『普通』に移動していた。まるで、超音波を使って移動している蝙蝠の様に。
私は目を閉じて、精神を研ぎ澄ます。普段は精神的に不安定な私でも、この時だけは集中出来る。
「……分かったわ。あたしもブッ殺す」
ジャキ、という音が聞こえる。お姉さんが無銃弾剣銃の照準を私に合わせたのだ。恐らく頭の方に。
「…………」
「…………」
刹那の静寂。その長さ凡そ0.5秒。
――ドォンッ!
お姉さんが、撃った。見えない銃弾を。けれど、もう見る必要は無い。見えないものを無理に見る必要なんて最初から無かったんだ。だって、目では見えなくても、振動波と言う名の第三の目でなら見えているから。
私はお姉さんが撃ったとほぼ同時、クナイを振り翳し、床に対して垂直になる様に、振り下ろす!
――シィン!
クナイに何かが当たる鈍い音が聞こえた。そして私は、被弾していない。
私はゆっくりと目を開ける。目の前に映っていたのは、無銃弾剣銃を握ったまま、驚愕の顔を浮かべるお姉さんだった。
「……な、何で……!?」
お姉さんはどうして私が分かったのか不思議で仕方ないみたいだった。それはそうだよ。私だって無嬲霞を使った後に分かったんだから。
「……お姉さん、その銃の弾、空気なんでしょ?」
「ッ!?」
お姉さんはギリ、と歯を噛み締める。確認取ってみたけどやっぱりそうか。
何でお姉さんの撃った弾が見えなかったのか、それは銃弾が空気製だったから。
通常の空気銃は、空気圧で銃弾を発射する、狩猟用から子供の玩具まで幅広く使われているものだ。
でも、お姉さんが撃った弾は、明らかに火薬を使って飛ばしていた。けど、撃った弾は鉛弾とかじゃなくて、空気そのもの。それも空気で出来た貫通弾。
空気だったら目には見えないし、被弾しても弾は出て来ない。相当強い空気圧が薬莢の中に詰まっていて、どういう技術で出来たかは知らないけど、多分最新鋭銃弾の一種だと思う。
お姉さんは観念したのか、口を開く。
「ええそうよ。無銃弾剣銃の弾は『異常』な空気圧を銃弾にした最新鋭銃弾、空圧弾。撃っても見えないし、当たっても弾を残さないから、これ見破った奴、リーダーか仲間内ぐらいしかいなかったのに。あーあ、なんか今日は酷い目に遭う事ばっかりねー、最悪」
「大丈夫ですよお姉さん。次で終わらすから」
私はクナイを放り捨て、突っ走る。お姉さんは即座に反応して空圧弾を連発する。けど私の動きが速過ぎて頭には当たらず、どれもこれも胴や手足にし当たらない。その撃たれた所も、私を包み込む黒い瘴気が勝手に直している。
私は落ち着いていた。『異常』なぐらい冷静に。
普段の私は、無邪気で、子供っぽくて、『異常』なぐらいドSで、嬲り殺し大好き暗殺者だ。けど今はスパッと殺すのが大好きな暗殺者だ。
(――山漠!)
山漠は、お祖母ちゃんが考案した振動波発生技。腕や足に強い回転を掛けて振動波を作り出す、私が一番最初にお祖母ちゃんから教わった技。
左腕に回転を掛け、振動波を生み出す。けどそれをどうするのかって? そんなの決まってる。お姉さんにぶつける!
私は素早い動きでお姉さんの懐に入り込んだ。そして私は、お姉さんのお腹目掛けて、服とポンチョの中にまだ武器を隠し持っているという事を承知の上で放つ。
「滅蛇毒魂・女汝!」
お姉さんは無銃弾剣銃を盾代わりにするかと思ってたけど、そうではなかった。袖に隠してたポケットピストルを取り出し、私のお腹に突きつけて撃った。至近距離で撃たれて、しかも貫通弾だから、一瞬私は痛みに心が乱れ、それでもお姉さんのお腹に掌底を叩き込む。
――ガスンッ!
金属の鈍い音が聞こえ、ニヤリと笑った。お姉さんじゃなくて、私が。
私が叩き込んだ掌底、それに乗っていた振動波が、お姉さんの体を、貫通した。その直後、お姉さんの全身に、振動波が行き渡った。
「あ、ああああああああああ――ッッッ!?」
お姉さんは口から血を吐き、体がよろける。即死していないって事は、やっぱりさっきのは心が乱れたせいで打ち込みが浅かったかな。
滅蛇毒魂・女汝。それは服部家の女だけが使える、振動型体術の一つ。
山漠で生み出した振動波を掌底に乗せて、そのまま相手の胴に叩き込む。たとえ相手の胴には当たらず、間を何かで阻まれていようと、掌底に乗っている振動波はそれを通り越し、相手の体内に直接入り込んで内臓や骨などを破壊する。
嘗て服部家の女達は男達よりも筋力が劣っていた。なので重装備の相手などに苦戦したらしい。服部家の女は体重が軽い人ばかりで、冬厳は使えず、筋力が弱いせいで一点重魂・羅生や壊狼烈剋・剛火が使えなく、鎧を壊せないからだ。その悩みを克服する為に編み出された女汝は鎧を通り越して直接相手を殺すことが出来るので、服部家の女達の間で広まっていき、服部家の体術では打撃型体術の剛火と対になる振動型体術となった。
お姉さんを仕留め損ねた私は、もう一度山漠を発動。今度は両腕に回転を掛けて両腕に振動波を生み出す。
体のよろけたお姉さんは何処まで『異常』な人なのか、すぐに体勢を直そうとし、無銃弾剣銃を向けようとした。けど、私の方が速かった。
「妙沌天侵・発頸!」
私は両の掌をお姉さんの胴にぶつけた。
妙沌天侵・発頸もまた、服部家の女だけが使える振動型体術。
技の仕組みは、女汝と正反対である。
女汝は振動波を直接相手の体内にぶつけて内部だけを破壊する。けど発頸は振動波を乗せた掌を相手にぶつけ、その振動波は相手の表面上のみに広く行き渡り、
――ビリビリビリッ! ガシャアアアアアンッ!
「ッ!?」
相手の皮膚や服、鎧、中に仕込まれた武器などを破壊する振動型体術。但し、当たり所が悪いと何も破壊出来ず失敗に終わるから、使う時を選ぶ。
そんな感じで、今回の発頸はうまくいき、お姉さんのポンチョもシャツもベストもスカートも全部破り、中に入っていた数十個の銃器を全部破壊した。
「ウ、グ……チックショ……」
ライトグリーンの下着姿だけになったお姉さんは顔を顰めてその場に座り込む。女汝は浅かったけど、それでも内臓の殆どは確実にダメージを受けた。唯一の無銃弾剣銃は強度が強かったのか、壊れてはいないけど、多分さっき連射したからもう弾切れになっている筈。兎に角これでお姉さんはこれ以上は戦えない。でも実は私もちょっと体力の限界が来ている。速く殺さないと。
「お姉さん、本当は色々情報聞き出したかったけど、私も疲れちゃったからスパッと殺っちゃいますね」
私は右拳をお姉さんの丁度心臓辺りにそっと合わせる。
「…………」
そこで私の思考回路がフリーズしてしまった。別に限界になった訳じゃない。
「……どうしたのよ、伊佐南美ちゃん。今だったらすぐ殺れるでしょ」
お姉さんも疑問に思って私に尋ねる。だって、だって、
「……おっぱい」
「へ?」
「お姉さん、おっぱい大きいですね」
私は自分の胸に手を当ててそう呟く。
どれだけ武器を入れてたのか、ポンチョも着てたから分からなかったけど、お姉さん、隠れ巨乳じゃん! 多分DかEぐらい。羨ましいったら羨ましい! 無茶苦茶羨ましい!
お姉さんはそんな私の心理を読み取り、あー、と納得した顔になる。
「い、伊佐南美ちゃん? 殺される前に言うのもあれだけど、大きい胸ってそんなに良い訳でも無いわよ? あたしなんかそのせいでいっつも刃刃幸にセクハラされるし」
「え? じゃあ、お姉さんはおっぱい揉み揉みされて大きくなったんですか!?」
「あ、いや、それとこれとはまた別の話」
ふうん、巨乳の人にも色々苦労があるんだ。
「じゃあ、殺した後そのおっぱい切り落として貰って良いですか?」
「何『普通』に怖いこと言ってんのよ!? サッサと殺るんじゃなかったの!?」
「あ、そうだった」
私はすっかり忘れてたのを思い出し、改めてお姉さんにトドメを刺しに掛かる。これでやっと終わりかぁ。
「あ、そういえば伊佐南美ちゃん、二つ言い忘れてたけど」
と思ったら、お姉さんが水を差してきた。
「一つ目が、あたしの無銃弾剣銃ってさあ、少しだけ改造を施してるのよ」
お姉さんはまだ握っている無銃弾剣銃の銃把の底をパカッと開けた。中にはボタンが付いていた。
「んで二つ目、このビルってさあ、万が一に備えて爆弾仕掛けてあるのよ。ビル全部吹き飛ばせるぐらいの」
「……へ?」
私がその言葉を理解する前にお姉さんが私を思いっきり蹴り飛ばす。内臓無事じゃない筈なのに蹴れるってどれだけこの人は『異常』なの。
可笑しい。それ系の罠は最初に忍法『濃振透』で粗方破壊しておいた筈。
「ちなみ爆弾ってのは、伊佐南美ちゃんが破壊し損ねたとっておきの事よ」
ヤバい! という事はあのボタンは爆弾を起動させる為の奴!? 今の私は武器が無いし、源影で走る体力も無い。こうなったら……
「逃げるっ!」
私は窓から身を乗り出してジャンプ! その直後
――ドォォォォォォォォォォンッ!
とんでもない爆発が私の背中を襲った。爆発に巻き込まれはしなかったけど、私は強い爆風で10mぐらい先まで吹き飛ばされた。
転がりながら吹き飛んだので、全身彼方此方に衝撃がぶつかる。
「うー、イッタァ~」
全身打撲になっていないだけまだマシと思い、私は体を起こし、ビルの方を見る。ビルは上から下まで紅蓮の炎に包み込まれていた。お姉さんが無事かどうかは分からない。多分というか絶対生きている筈。
「あ~あ、疲れた~」
私はドッと押し寄せてきた疲労感と、精神状態が普段通りに戻りつつある事を感じ取る。もう歩いて帰るだけの体力しか残っていないやぁ。
「う~、やっぱり無嬲霞は嫌だな~。でもこれ使わないとお姉さんに勝てなかったし」
私は愚痴を零しながらヨロヨロと歩く。
無嬲霞は強力だけど諸刃の剣だね。あの技を使っている時は体力の消耗が半端ない。しかも『蝶遠波』も重ねて使ってたから余計に体力消費が激しい。使った後の疲労感が『異常』だよ。
けどまあ、昔よりかは随分とコントロール出来たかな。それでも本当の無嬲霞の一割ぐらいしか発揮できなかったけど。
「さーてと、帰ろっと」
私は燃えているビルが騒ぎになる前に、急いでここから離脱した。
◇
伊佐南美が姿を消してから十分後。
「……ねえ、戮」
「……何だ、斬子」
さっきまで伊佐南美とリドカの戦闘を見ていた少年と少女が、燃え上がるビルを見に来ていた。
「さっきの、どう思う?」
「……強い。少なくとも、俺達と同等以上に」
少女の質問に、少年は本音で答える。
二人は伊佐南美とリドカの戦いに驚いていたのだろう。
だが、もし伊佐南美がまだいたのなら、彼女が一番最初に疑問に思う事は、少年と少女に対してだろう。
二人は『普通』じゃない。
少女の身長は約150cm後半。黒いシャツに黒いスカート、長い黒髪を束ねず背中に垂らし、炎上しているビルを見る黒い目は完全な無表情。というよりも顔の表情すらない。まるで感情が無くなっている様な。
更に少女は自分の身を足首よりも少し上辺りの長さまである黒いロングコートで覆っていた。そのコートから発せられる気配、それは銃兵衛や伊佐南美にも分かる。『異常』だ。少なくとも彼らと同等以上に。コートの袖から覗く手は黒い手袋を嵌めているが、血で臭っていた。それもその筈。彼女はその手で何十、何百という数の人間を殺めてきた。血で汚れた手は洗って綺麗に出来ても、手袋で覆っても、付いた臭いが消える事は生涯無い。
続いて少年。身長は160cm後半。黒いシャツに黒い長ズボン、黒い髪はボサボサで、ビルを見る目も顔も少女と同じく無表情。この少年もまた、感情がない様な雰囲気を漂わせている。
少女と同じ所はそこだけではない。少年は少女が着ているのとほぼ同じデザインの黒いロングコートで全身を覆っていた。このコートもまた、少女と同じぐらいの『異常』な気配をが滲み出ている。少年もまた黒い手袋を嵌めているが、手より驚くべき事は少年の四肢だ。胴体に似合わず腕と足が大きい。筋肉隆々という言葉が似合うぐらいに少年の四肢は筋肉質が強く見えた。一体どんな風に鍛えたらそんな感じなるのかと疑問に思うぐらいだ。
「戮、帰ろ。先生、待ってる」
「……ああ」
少年と少女は手を繋ぎ、その場から去って行った。




