参拾弐殺
――ギィンッ!
俺と刃刃幸は、互いに互いの刃をぶつけていた。
「なぁ銃兵衛! お前にどんな事が起こったかは知らねえけどよぉ、俺の『幸村』には勝てねえぜ!」
「刃刃幸、俺も同じ事を言うぜ。俺の『神流月』は絶対負けない!」
ギィンギィンギィンギィンギィンッ!
俺の真っ直ぐの刃と刃刃幸の漆黒の刃が互いを斬り合う。
それにしても、凄いな。さっきから力がドンドン湧いてくる。
さっきまでは刃刃幸に負かされてたけど、今は互角に、いや、それ以上に戦える。
俺の全身を包み込む、黒い瘴気。深く、大きく、『異常』なまでに黒い漆黒の闇が、俺を支えてくれている。黒眼の表示によれば、今の俺の身体能力は普段の約三倍。なんか、思ってたよりも上がってないな。十倍ぐらいはいくと思ってたのに。
『いきなり全開で行う場合、マスターの心身があまりの強化の強さにより、耐え切れなくなり絶命します。なので現在のマスターの心身を考慮すると、三倍程度が限界です』
あーそうですか。こりゃ鍛錬あるのみだな。
俺は黒眼の表示を読み終えた時には、刃刃幸が『幸村』の刀身に黒い瘴気を纏わせていた。
「黒斬!」
すかさず俺は『神流月』で斬りかかる。
――ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンッ!
漆黒の斬撃が、俺の直刀を滑り、けたたましい金属音を鳴り響かせる。俺は顔を顰めるが、すぐに金属音は和らぎ、掻き消えた。黒眼の表示によると、黒い瘴気が俺の耳の鼓膜を補正してくれたらしい。万能だな。この瘴気。
刃刃幸の斬撃は『神流月』の刃を滑り、そのまま後方へと逸れていった。
――ドガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!
物凄い破壊音が後ろで響く。やっぱりヤバいな。あの斬撃。
俺は刃刃幸の斬撃を流した後、刃刃幸の後ろから斬りつける。これは当然の如く、刃刃幸が『幸村』でガード。即座に跳ね返したと思ったら、『幸村』の刀身に黒い瘴気を集め、一つの大きな黒い筒状に変化する。
「黒点一刀・零乱!」
さっきと同じ様に、今度は上向きではなく、横向きに放たれた、漆黒の巨大刺突が、俺を狙う。
「『神流月』ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!」
俺を包み込む黒い瘴気が一層強くなる。俺は『神流月』を肩に乗せる様に構え、零乱に激突する。最初は避けようかと考えたが、黒眼がその考えをバッサリと却下した。黒眼曰く、零乱はあまりにも威力が強過ぎる為、直撃を避けても衝撃波を受けるのは確実。そこから更に追撃を掛けられると本当に死んでしまう、らしい。俺は自分自身に毒づき、黒眼が表示した構え通りに迎え撃つ。どうせ衝撃波も喰らうんだったら、あえて直撃を逸らせというのが黒眼の言い分らしい。
――ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン――ッッッッッ――ッッッ!!
予想を遥かに超える金属音が、俺の耳元で鳴り響くが、黒い瘴気の鼓膜補正で最小限に抑えられる。漆黒の巨大刺突は、俺の『神流月』の刃を滑りながら進んでいくが、強い。体が引き千切られそうだ。直撃はその身に受ける事は無かったが、衝撃波が『普通』どころのレベルじゃない。『異常』が三つ付くぐらい『異常』だ。日本の戦艦なんかこれ一発で木っ端微塵に消し飛びそうなぐらいに強い。俺は辛うじて『神流月』を放さずにいるが、正直手が震えてきた。『神流月』は絶対に壊れない刀だからそっちの方は大丈夫だが、俺の方がもたない。『暗殺影』の力を持ってしても、俺がまだ未熟なせいで、耐えられねえ……
――ドガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ――ッッッッッ!!
……チクショウ。駄目だった。俺は結局、零乱の直撃はなんとか避けたが、そのあまりにも強過ぎる衝撃波に耐え切れず、右腕と左足が千切れて、体が吹っ飛んだ。ずっと奥にあった、コンテナの倉庫の壁に。
倉庫の壁にぶつかった事で、俺の背中に強い衝撃が掛かる。その強さ故に、心臓が止まりそうだったが、そこは殺られても『暗殺影』。黒牙がしっかりと心肺停止を防いでくれたが、腕と足が持っていかれたのはどうしましょうね。黒眼さん。
『強化型自己修復術式、自動発動』
え、直すんですか。腕と足、何処かに行きましたよ? かと思ってたら、黒い瘴気が千切れた俺の肩と足の大腿部に絡み付き、バキバキバキッ、という、生ゴムを引き絞る様な音を上げ、千切れた筈の俺の腕と足の原形が、形成されていく。さっきも俺の右脇腹をこんな感じに直してたけど、何だよその直し方。まるで何処かのライトノベルやアニメとかに出てくる、悪役が自分の体を再生させる時みたいな光景でエグいな。この手のグロテスクなシーンは見慣れてるから吐きはしないけど、あまり良いものでもない。俺はそのあまりにも強い激痛に顔を顰めるが、こんな痛み、中学時代に伊佐南美から受けた『嬲針山地獄』――嬲り針で相手を針山の様に突き刺す、服部家に伝わる拷問方法の一つ。ちなみに受けた理由は、同級生の女子のパンチラを目撃したから――に比べたらどうって事はない。それによく見たら、破れた黒牙も黒い瘴気に包まれて、パキパキパキ、という音を立てて修復されている。本当にお前らどういう構造してんだよ。
『マスターの人体と黒牙――修復完了』
あっという間に俺の腕と足、黒牙が綺麗サッパリに修復された。体を直す光景は凄いエグかったけど、正直これは助かる。黒眼の表示によれば、一回の体の修復で俺の体力とかがかなり削られるらしいのだが、これは一種の無限再生機関だ。只、俺の体力の事を考えると、多様は出来ない。黒牙の修復には、黒牙自身の式力が消費されるから、強化型でもそこまで体力が削られる事はない。だけど、サッサと勝たないと。伊佐南美や紫苑さんが待ってる事だし。
「さてと、一体どうしたものか……」
俺は黒眼の画面下に表示されている、三本の赤、青、黄の横棒を見る。これは一言で言うなら、俺の体力、精神力、集中力の表し。体力ゲージは今までの戦闘、さっきの修復で二割がた削られたので、残り五割ちょい。精神力は約六割、集中力は八割ぐらい、か。精神力と集中力は兎も角、体力が半分しか残ってないか。これだと放てる技はせいぜい五、六発。修復は一回か二回が限度か。
「仕方ない。アレ、試すか」
俺はよっこらせと立ち上がり、刃刃幸の所へと歩く。刃刃幸の方は、零乱を使ったせいなのか、『幸村』を地面に突き刺して体を支え、随分と疲れ切っていた。瘴気の濃度も、さっきよりも薄くなっている。
刃刃幸は俺が無傷で戻って来た事に気付き、驚きで目を見張り、ヘ、ヘヘ、と笑い声を漏らす。
「マジかよ。あれで生きてるって。さっきから何度も言ってるけどよぉ、やっぱお前はヤバいな。銃兵衛」
「お前もな。刃刃幸」
チャンスは一度だけ。それを逃せば、俺は確実に死ぬ。どう言い繕うが、これは絶対だ。だから俺は、そのチャンスを絶対に逃させない。どんなに体が滅茶苦茶になろうと、どんなに幸運の女神に見放されていようと、絶対に成功させる。だから『神流月』。俺にもう少しばかり、力を貸してくれ。そして黒牙、黒竜、黒炎、黒蜘蛛、黒眼。もう少し俺を、支えてくれ。
『我々黒装備一式はマスターの鎧。マスターの望むままに、マスターを支えます。
私はご主人様の刀。ご主人様の望むままに、ご主人様に力をお貸し致しますby神流月』
依存無しか。お前らの忠誠心はやっぱ凄いな。俺は『神流月』を横に構えると、フラフラながらも、『幸村』を斜め下に構えてまだまだ戦える刃刃幸に言う。
「刃刃幸。こんなんでも俺、体力ヤバいんだよ。だから、これで終わらせようぜ」
「あぁ、そうだな。俺もちょっとばかし、フラついてきちまったしよぉ。『幸村』はまだ殺れるみてえだし、これで終わりにするか」
「「お前を殺してなッ!」」
――ギィィィィィンッ!
これで何度目だろうか。コイツと刃をぶつけたのは。この金属音も、いい加減聞き慣れた。
刃刃幸の漆黒の斬撃――黒斬を俺は『神流月』で受け流し、消耗する体力を最小限に留め、すかさず刃刃幸の懐に入り、冬厳で全体重を乗せた拳で殴る。約五十kg分の衝撃を腹に喰らった刃刃幸は、ガハッ、と血を吐くが、それでも倒れずに、殴った俺の腕を掴み、俺の顔面に膝蹴りを放つ。全体重とまでは行かないが、かなりの体重を乗せてある。かなりの衝撃だ。一瞬意識が昏倒しそうだったけど、昔からよく本気でボコボコに殴ってきた父さんに比べたら、屁でもない。
俺と刃刃幸は、単なる斬り合いから、完全な殺し合い――元から殺し合いだけど――に変わっていった。刀で互いを斬っては受け止めたり弾いたりして足蹴りや殴打、タックルなどの打撃攻撃は勿論の事、斬撃を避けきれず、服や顔に刃が掠ったりもした。
――ギィンッ! ギィンッ! メコッ! ガスッ!
ああ、こんな感覚は、生まれて初めてだ。伊佐南美以外で、こんなにも、『異常』なまでに殺し合いが楽しいと思った事なんか、今まで無かったぞ。しかも相手は俺と同じ『異常』な人間。これまで戦ってきた相手の中でも、一番強い。勿論コイツが『ZEUS』の中で一番強い訳ではないだろう。もしかしたら一番小物かもしれない。もしコイツを倒したとしても、もっと『異常』な刺客と殺し合いをする事になるだろう。今もだけど、その時俺は、マジものの死を体感出来る。当然それが嬉しいとは思わないし、寧ろ嫌だよ。こんな奴でさえ苦労してんのに、この先もっとヤバい奴と殺り合うなんて考えたら、正直ゾッとするな。そもそも俺にこの先があるかどうかも分からないし。
(……けど、なあ)
そんな弱音を吐いたら、一介の暗殺者として器が問われる。そりゃ俺だって人を殺してんだから、殺される覚悟だってお釣りが充分出る程ある訳だし、これで殺されても、それは至極『普通』の事だから仕方ないんだけど、それでも俺は死ぬのは嫌だな。痛いし、怖い。主に伊佐南美が発狂するから。
こういう恐怖心は、暗殺者にとっては欠点なんだが、そんな欠点を持ってるからこそ、死ぬのが怖いからこそ、嫌だからこそ、どんなに死が迫ってきても生き延びれる方法を沢山知れる。昔、俺は一度だけ、修行中にガチで死に掛けた事があった。そのせいで人を殺すというリスクに『異常』な恐怖心を抱いてしまった俺を、母さんが慰めてくれた。優しく抱き締めてくれて、優しい言葉を掛けられて、それでも最後は五発ぐらい殴られて、恐怖心があるからこそ生き延びれる方法を知った。本当、母さんには感謝感激だよ。おかげで今も変わらず母さんの事は大好きだ。まあ、修行の時は容赦なく俺を殺しに掛かる父さんの事も大好きだけど。あれでも俺にとっては尊敬する暗殺者だし。
「――セアッ!」
さてと、意識を切り替えて、俺は刃刃幸を斬り殴り蹴り、逆に斬られ殴られ蹴られの半ば『普通』の喧嘩の様に成り下がった殺し合いを続行。
「黒斬!」
刃刃幸の漆黒の斬撃は、さっきよりも威力が落ちている。刀身に纏われた黒い瘴気が、かなり薄い。恐らく『幸村』が保有している瘴気の濃度が残り半分を切ったのだ。にも関わらず、刃刃幸は立て続けに黒い瘴気を『幸村』に纏わせ、黒斬や黒点を繰り出す。俺相手に出し惜しみをしてたらやられると分かり切っているからだろう。でも俺だって結構ヤバいんだよな。黒眼の表示する体力ゲージは、残り四割弱を示している。これだと修復が可能なのはあと一回、使える技は精々二回。これ以上は刃刃幸の攻撃を受けたり流したりは出来ない。全部避けないといけない。という訳なので、俺はこの黒斬をジャンプして避ける。
――ドガァァァァァンッ!
空振りになった黒斬が地面に衝突し、コンクリが粉砕され、破片が飛び散る。俺は両腕をクロスさせてガードするが、数十個にも及ぶ破片が、俺の全身に掛かる。幸いにも黒牙にはこの程度の破片は完全に無効同然で、傷は一切無い。けど顔に当たる分はそうもいかない。コンクリの破片が、俺の顔を掠ったりする。
どんなに黒牙が強靭な防御性能を誇っていても、それは手足や胴体しか守られていない。俺の唯一の弱点は、頭部。つまり顔や頭だ。勿論顔の下半分は黒炎を装備しているので少しばかりは大丈夫だが、上半分から上が丸出しだ。そこに攻撃を当てられそうになったら、必ず避けるかガードしなくてはいけない。顔を真っ二つにでもされたら修復は出来ない。ジ・エンドだ。
「オラァァァッ!」
刃刃幸が追撃を掛けてきた。避けた俺を、ジャンプして上から黒斬を振り下ろす。
「っ!?」
俺は体を時計回りに回転させ、紙一重でかわす。だがそれを読んでいた刃刃幸が、俺の胴に強い足蹴りを入れる。
――ガスッ!
黒斬を避けるのに必死だった俺は、ガードも出来ずに直撃を受ける。
「ガッ!」
しかも狙ってきたのは人体の急所の一つ、鳩尾。その上刃刃幸は鳩尾に直撃して一瞬対応の遅れた俺にもう一発足蹴りを放ち、俺は下に吹っ飛ばされる。地面が半壊する音が響き、俺は息を切らしていた。黒眼が表示した体力ゲージは、残り三割ぐらい。地面に叩き落された衝撃で、体力がまた一割削られた。まるでゲームみたいだな。こりゃ。
「ハア、ハア、くっそッ!」
俺は立ち上がって『神流月』を握り締める。ジャンプした刃刃幸が、『幸村』の刀身に黒い瘴気を纏わせ、両手で大きく振り翳す。黒斬だ。あれを喰らえば勿論、避けても衝撃波で吹き飛ばされ、体力は更に減る。けれど、あれの弱点は既に掴んでいる。
俺は黒牙の内側に仕込んでいたクナイ五本を、刃刃幸に投擲する。狙ったのは頭と心臓。空中だから避けるのは難しいし、避けずでもそのままクナイは頭と心臓に突き刺さる。だから刃刃幸は、飛んできたクナイを、黒斬で弾く。当然、『普通』の暗器であるクナイは、黒斬の一薙ぎで粉々に砕かれてしまったが、『幸村』の刀身に纏われていた黒い瘴気は、漆黒の斬撃となって放出された。刃刃幸の技は、一度瘴気を纏わせたら、キャンセルは出来ない。空振りにさせれば避ける事は可能だ。
「しまっ――」
刃刃幸が着地するのを見計らい、俺は『神流月』の切先を刃刃幸に向けて突進する。刃刃幸はガードしようと『幸村』で迎え撃つが、
――ギィィィィィンッ!
『神流月』は、『幸村』の刃を滑り、そのまま刃刃幸の右肩に突き刺さる。
「ぐあああああっ!」
刃刃幸はかなり痛いのか、声を上げて顔を顰める。散々斬り合って、体力を半分以上も削って、やっと流せた血が、右肩だけかよ。まだまだ修行不足だな。
「――チ、チックショォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ――ッッッ――ッッ!」
だが、刃刃幸は叫び声を上げると、左手を俺の胸に突き刺す。俺は咄嗟の判断の遅れで避けきれず、右胸に手刀が突き刺さった。
「ああっ! がっ!」
俺はつい『神流月』を刃刃幸の肩から抜いてしまい、刃刃幸は続けて『幸村』で斬りかかるが、俺は『神流月』で受け止める。だが、刃刃幸はガラ空きになってしまった俺の胴に足蹴りを喰らわす。俺は飛ばされ、突き刺された痛みと共に顔を顰める。右胸の方は俺を包み込む黒い瘴気が直してくれたが、これで体力は僅か一割。もう放てる技は二回が限度だ。修復は、出来ない。
刹那、俺は一つの仮説を立てた。そして黒眼によればその仮説が事実である可能性は、99.7%。
――俺は、負ける。つまり死ぬ。
そうだと言い切れる理由は至極単純。さっき零乱を喰らった時と同じ様に、俺がまだ未熟だから。確かに俺はかなりの実戦経験を積んできた。けど、それはあくまで『普通』の人間が相手。刃刃幸の様な『異常』な人間が相手だと、完全に経験不足である。それに、俺はたった今『暗殺影』になったばかり。恐らく本当の力の半分も出し切れていないだろう。それに体力ももう無い。完全にボロボロだ。こんなんで、どう勝てって言うんだよ。お前ら。
『甘ったれるな!』
突如、黒眼が普段とは裏腹な言葉で、俺を怒鳴りつける表示を出した。
『あなたはまだ終わっていない! あなたの思った通り、あなたはまだ『暗殺影』の本当の力の半分も出し切れていない。まだまだ未熟だ。でも、そんな弱音を吐いて諦めるなら、あなたは『暗殺影』失格、否、忍者失格だ!』
おいおい黒眼。なにもそこまで言う必要ないだろう。確かに俺は、基本的には最後まで諦めないって決めてるけど、これでどう逆転しろって言うんだよ。
『咲かせろ! 最後の蕾が開くまで! 降らせ! 最後の一片まで! 散らせ! 最後の一輪まで!』
それを読んだ途端、俺はハッとした。そうだった。あまりにも人殺しが好き過ぎて、大事な事を見落としてた。
俺と伊佐南美が修行中の時に、よく父さんと母さんが俺達に言い聞かせていた事があった。
――いいか銃兵衛。我が服部家には、こういう家訓がある。『橘を咲かせ。桜を降らせ。菖蒲を散らせ』。どんな事があっても、これだけは絶対に忘れるな。
橘を咲かせとは、どんな状況下でも、新たな技を編み出すという心得を忘れるな。桜を降らせとは、どんな殺し合いでも、一滴でも多く、相手の血を流せ。菖蒲を散らせとは、自分がどんなに死の淵に追い遣られても、どんなに体を捥ぎ取られても、相手の命だけは、絶対に奪え。
「…………」
そうだよな。やっぱそうだよな。黒眼、喝を入れてくれて、ありがとな。
「……圧肉筋」
――バキバキバキバキバキッ!
突然、俺の体から、さっき黒い瘴気が俺の体を直した時に鳴ったのと同じ様な、生ゴムを引き絞る様な奇怪な音が鳴り響く。別に何処かを損傷して直している訳ではない。強化してんだ。筋肉を。
圧肉筋。嘗て父さんが使っていた、肉体改造術。全身の筋肉を飛躍的に倍増し、忍者には似合わない筋肉隆々な体へと姿を変える。これで握力二十倍、腕力十五倍、脚力三十倍。骨の方もさっきの十倍は強化されている。但し、俺はこの技に関してはまだ未熟。だから、この姿でいられるのは、持って一分。それ以上は俺の体は本当に持たない。前門の虎、後門の狼。全身ボロボロ、体力僅か、敵は『異常』。上等だ。どんな事があろうが、お前の菖蒲だけは散らすぜ。刃刃幸。
俺は、『神流月』を構え直す。切先を刃刃幸に向け、右足を前に出し、右手も前の方に出す。
「……刃刃幸。これで、本当に終わりだ」
「……そう、だな」
刃刃幸は、『幸村』の刀身に、今見えている黒い瘴気を全部纏わせる。『幸村』の刀身はドンドン大きくなり、先端の尖った、一つの巨大な棒が現れた。
「黒点一刀・零乱ェェェェェェェェェェーーーーーーーーーーッ!」
刃刃幸が、漆黒の巨大刺突を、放った。
「うおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーーッ!」
それとほぼ同時に、俺も放った。『神流月』を使った、新技を。
(――源影――源燐――羅生――ッ!)
源燐。それは源影の応用技。通常、源影は一回で秒速約20mの速さで移動出来るのだが、源燐は更に秒速約10m分上乗せした、秒速約30m。普段の俺の筋肉では源鱗を使う事は出来ないが、今は圧肉筋で筋肉が飛躍的に上がっているから簡単に出来る。だが、黒眼が表示する、圧肉筋の残り時間は四十五秒。四十五秒? それだけあれば、やれるっ!
俺が放ったのは、『神流月』の切先で突く動作。それを秒速約30mの速さで走りながら、加えて全身を同時に動かして放った。
源鱗による動きは、膝と肘で秒速約120m、腕と足で秒速約60m、肩と胴で秒速90m、拳で秒速約60m、走る時で秒速約30mの速さを生み出せる。
それを同時に動かせば、速さの合計は秒速約360m。時速に換算すると、時速1296km。つまり、超音速の一撃を、放てる!
――パァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッンッッッッッッッッッッーーーーーーーーーーッ!
俺の刺突は大きな破裂音を上げ、刃刃幸の零乱にぶつかった。
――ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッンーーーーーーーーーーッ!
俺の音速刺突と、刃刃幸の漆黒刺突がぶつかり、互いに直撃は受けなかったが、そのあまりにも『異常』な攻撃がぶつかった事で、巨大な衝撃波を生み出し、互いを吹き飛ばす。
「ぐあっ!」
「おわっ!」
けど俺達は、互いに地面に刀を深く突き刺し、体が引き千切られんばかりの衝撃波に耐える。その威力と来たら、もはや『異常』の域を越している。俺の両手が、『神流月』から放れそうになるが、まだだ。まだ終わってない。
衝撃波が徐々に弱くなり出したので、俺は『神流月』から手を放し、吹き飛ばされそうになりつつも、自力で耐え抜く。
動け、俺の足。動け、俺の腕。動け、俺の頭。動け、俺の体。
「……まだ、散らせてねえだろうがぁぁぁぁぁっ!」
さっき『神流月』でやったのと同じ事を、今度は拳でやる。『異常』な業物で出来たんだ。『異常』な人間な俺に出来ない訳がない。それに、黒眼の表示によれば、圧肉筋の残り時間は十秒。たかが十秒、されど十秒。充分過ぎるぜ。やってやるぜ。もう一発。
今ここで、俺は新たな橘を咲かせて、戦場を飾る桜を降らして、刃刃幸、お前の中に咲く、一輪の菖蒲を、散らすッ!。
(――源影――源鱗――羅生――ッ!)
そして、俺はもう一つ散らす。橘でも、菖蒲でもない。散らすのは、桜だ。俺の新たな橘を、桜で散らす。お前の血を、俺の血を、桜の花の様に、散らせッ!
「――なっ!?」
突如、俺の視界が黒眼の補正でスローモーションになっている。『幸村』を地面に突き刺し、なんとか耐えている刃刃幸が、俺の姿を確認できたのか、驚愕のあまり、目を大きく見開いている。
刃刃幸。今度こそ終わりだ。お前の、負けでな!
刹那、黒眼が新しい表示を出した。それは、俺が連続二回も使った、音速の一撃の技名。
相手の桜と菖蒲を、自分の桜で散らす、一点重魂・羅生の極端版。
「――桜散!」
俺の音速の拳――桜散が、刃刃幸の腹に命中した。スローモーションの視界で見てみると、刃刃幸は目と口を大きく開き、ゴポッ、と血を吐いた。そして、何かを呟いた。黒眼の表示によれば、『チッ、負けたか・・・・・・』だそうだ。それを見終わると、黒眼のスロー表示が解除され、元の時間に戻る。
――ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーッン!
俺は、刃刃幸を、海の方へと、吹き飛ばしていた。周囲に衝撃波が起こり、同時に回りに砂埃が舞う。ケホケホと咳き込む俺は、黒眼越しに、刃刃幸が吹っ飛ばされた海の方を見たが、その近くには、誰の気配も無かった。
「……やっと終わった」
俺は『異常』な疲労感がドッと全身に伝わり、ヨロヨロと座り込む。あー、マジで疲れたー。修行以外でこんなに疲れたのは伊佐南美に虐められた時以来だなー。しかも圧肉筋の効果がたった今切れ、筋肉隆々だった俺の体は、元の体に戻り、一気に激痛が全身を奔る。特に桜散を放った左腕。
「イダダダダダダダダダダッ!」
俺はあまりの痛みに悶え苦しむ。確かにこりゃあやり過ぎたな。残り少ない体力で圧肉筋、源鱗に加え、音速の刺突と打撃を計二回も使ったんだ。残ってる体力は、もう歩いて帰るぐらいしか残ってないし、これで疲れない方が逆に『異常』だよ。
『お疲れ様です。マスター』
ふっ、ありがとな。黒眼。俺は全身が痛みまくっている体をゆっくりと立ち上がらせ、ヨロリヨロリと歩き、刺しっぱなしだった『神流月』の所に向かう。
俺は刺さっている『神流月』を抜き、刀身や柄を見る。さすがは『神流月』。あの音速の刺突をやったのにも関わらず、折れたり皹が入るどころか傷一つ無い。おれの方は全身ボロボロだけど。
「……ありがとな。『神流月』」
刀に礼を言うが、俺はまだ満足し切っていない。刃刃幸は、まだ生きてる可能性がある。
そう言える理由は、俺が放った桜散、あれは確かに刃刃幸に命中したが、あの技はまだ未完成だ。
まず、桜散は余程の筋肉が必要になる。でないと源鱗は使えないし、桜散の衝撃波で体にもデカい反動を受ける。
そして、桜散を放つ時に刀剣類を用いる場合、高確率で失敗してしまう。あまりの衝撃波の強さで刀剣が粉々に壊れ、音速の一撃が放てない。『神流月』は絶対に壊れない刀だから最初の桜散は大した反動は無かったけど、桜散を放つには『神流月』を使うか、自分の体を使うしかない。事実、俺の左腕には凄いダメージが蓄積されていた。もっと練習すれば、『神流月』でならまだマシなのが出来るかもしれないが、常に『神流月』がある訳でも無いし、拳や足で放つ事も充分考えられる。
更に、さっきやってみて分かったが、今の俺では、桜散は一日二回が限度だ。『神流月』で連発するなら兎も角、体で連発すると二回が限界。それ以上は、体が持たない。生き残れた以上、もっと鍛錬をしないと、強くなれない。
それに、刃刃幸は俺の連続攻撃を受けたのに生きていた。アイツの事だ。吹っ飛ばされてもまだ生きてるだろうよ。それに、斬り合ってて分かった。アイツはあの程度で死ぬ様な奴じゃない。アイツの本当の力は、こんなものじゃない。アイツもまだ完全に強くなってる訳じゃないから、今回は俺に負けた。けど、もし次会うような事になったら、絶対更に強くなっている。だから、俺はまだまだ強くなってみせる。それが、『暗殺影』だ。
「……帰るか」
俺は顔を上に向けて口を開けると、その中に『神流月』を納刀する。ゴボコボと喉を鳴らしながら、一体この体の何処にこんなものが入るのか、自分でも不思議に思っていた。だが、もう慣れた事だし、考えるのも面倒臭くなってきたな。
俺は体をフラフラさせながら、ゆっくりと港町を離れた。
『暗殺影 第一形態 更新。
今後もマスターの心次第で発動可能』
不意に、黒眼がこんな表示をしてきたが、俺は目もくれずに、その場から去った。
◇
銃兵衛が港町から姿を消してから、二時間後の事だった。
「こ、これは……」
彼女は、滅茶苦茶になった港町に来ていた。倉庫の壁は彼方此方が粉々になり、地面はまるで爆弾が大量に爆発したかの様に破壊され、ドラム缶は形が変形して転がっていた。そしてなにより、この場所の至る所に血が付いていた。それもかなりの量が。
「一体、ここで何が……」
恐らく、ここで誰かと誰かが戦っていたのだろう。だが、一体どんな戦いをすれば、港がこんなにも滅茶苦茶になるんだと、彼女は疑問に思った。
だが、もし銃兵衛がまだいたのなら、彼が一番最初に疑問に思う事は、彼女に対してだろう。
彼女は『普通』じゃない。
彼女の身長は160cm前後。凛々しい黒髪は、後ろで束ねたポニーテール、美しく綺麗に整った顔つき。一見すると少年にも見える中性的な顔つきだが、胸が年相応に似合わない程膨らんでいるので、性別は女だと分かる。顔立ちや性別はまだ良い。問題は彼女の服装だ。まず彼女は白いロングコートを着ているが、そのコートはある意味『異常』だ。少しの汚れも無い、純白だと言えるぐらいに真っ白い。コートの長さは彼女の足首辺りまであり、銀色のフックやら金具やらが付いたベルトがコートの腰や腕の部分などの彼方此方に巻かれていて、コートの他にも、少女は純白の手袋、ベルトの付いた純白のブーツを履いている。それに少女の右目が『異常』なまでに純白だった。
それに、銃兵衛はもう一つ疑問に思っていただろう。彼女が腰に差している剣に。その剣は龍の模様が刻まれた銀鞘に収められ、銀色に輝く柄、不可思議な紋様が刻まれた四角い鍔の西洋剣。ゲームで言う所の片手用直剣に部類される様な代物だが、『普通』じゃない。恐らく、銃兵衛の絶頑刀『神流月』に匹敵するぐらい『異常』だ。
彼女が半壊した倉庫の壁を見ていると、不意に彼女の右目に何かが映し出された。
『先程まで、『異常』な者達が殺し合いをしていたと思われます』
それを読み上げた彼女は、ふぅ、と溜息を吐く。
「殺し合い、か。くだらない」
彼女は憎々しく吐き捨てた。すると、彼女のコートの内側から、携帯電話の着信音が鳴り出した。彼女は急いでスマホを取り出し、電話に出る。
「はい、もしもし。刀刃崎です」
彼女は数分程の会話を終え、電話を切り、スマホを戻す。すると踵を返していく。
「本当にくだらないな。殺し合いなど。私が言えた義理ではないが」
彼女は知らない。ここで起こっていた殺し合いが、どれだけ『異常』だったのかを。そして銃兵衛は知らない。彼が立ち去った後で、彼女が現れた事も。




