「いい迷惑」
「その後で、分家は散り散りになっていったよ。忠人くんが、自分から術者を奪おうとしたことを許さなかったからね。土地を取り上げ、家を取り上げ、ホテル本郷で働いていた人たちは職を失った。忍者の黒峰家は術者を護るために存在しているから、なにかを取り上げられるようなことはなかったけれど、逆にホテル本郷もしくは下請け業者以外で働くことを禁止されるようになったね。李玖の伯父は――」
「ホテルの清掃員として働くように指示されて、それを拒否してどっか山奥に籠っているよ。今でも」
「そうだね」
「もしかして、おれが雫に急に会えなくなったのも…」
「忠人くんの差し金だね。雫は学校以外では軟禁状態になったから」
実家が近い李玖と雫は毎日一緒に登校していたのに、ある時から急に雫は車で送り迎えされるようになった。休日に一緒に遊ぶことも出来なくなった。李玖は本郷家には入れてもらえず、中学校からは学校も違った。雫が私立の女子高に入れられたからだ。
雫は黙って李玖が淹れた珈琲を飲んでいた。儀式の時の記憶が、全く無い。儀式があっていたことすら今になってやっと知った。
不思議なことではない。
「あたし、術をかけられていたのね」
確認すると、祖父はゆっくりうなずいた。
「ああ、そうだよ」
「よほど嫌な記憶だったのかしら。忘れたいとでも願ったのね、きっと。それで、お母さんがそれを叶えた」
「それは、少し違うかな」
「え?」
「忠人くんに懇願されて、お前の母親はお前に術と沙羅との契約を受け渡した。自分の弱さの象徴だ。その弱さを、忘れて欲しかったんだよ」
「……そう」
――忘れたいよね? 忘れましょうね。願いなさい、雫。願ってちょうだい。
言われてみれば、確かに母からそんな言葉を言われたような気がする。泣き腫らした顔の、母から。
「で、李玖はあたしに巻き込まれたのね」
「たぶん。そういえば確かに、雫と同じがいいでしょって雫のお母さんに言われた気がする。なんとなく思い出してきた」
珈琲は空になっていた。李玖がお代わりを淹れようかと言ってくれたが、雫は断った。
「分家は詞師を手に入れられなかった上に、家族を散り散りにさせられたわけね。それで今更復讐をしようとリコールを起こしたわけか」
「そこに雫は関係ないのにね」
「そうね。あたしには関係ないわ。…けど、向こうにはそうでもないんでしょうね」
「問題はそこだよなぁ…」
「忠人の前に、分家と話をする必要があるかもね。狙いをちゃんと聞いて、あたしに喧嘩を売るなら張り倒して二度とあたしに近づく気を起こさせないようにしないと」
「さっきはなにも聞けなかったけど、分家にしてみれば、忠人さんも雫も等しく敵なのかな」
「殺意というほどの敵意は感じなかったけど…。あたしを連れ去ってなにをさせようとしたのか、重ね重ね逃がしたのが悔しいわ」
「忠人さんも分家も雫の力を欲してる。現状、三つ巴ってことか」
「いい迷惑」
「もしも、忠人さんじゃなくて分家の為に詞術を使えって言われたらどうする?」
「内容と条件によるわね。失せもの探しくらいなら手伝ってやってもいいわ」
「つまり、忠人さんに関する内容の場合は…」
「知ったことじゃない」
ぴしゃりと言ってのけた。
「明後日は、どうする?」
「行く理由が無いわね。そもそも呼びつけるってのが気に入らないのよ。用事があるなら手土産持ってそっちから来いっつーの」
「…来ても相手にしないくせに」
「そりゃそうだけど。――でも四年前、もう顔も見たくないって縁を切ったのは忠人よ?」
昨日のことのように思い出せる。
倒れた母親。
なにも言わない沙羅。
落ちる静寂。
次の瞬間の叫喚。
広がっていく血の海。
愕然と、それを見ている雫。
母親の、最後の言葉がこだまする。
――雫。ごめんね。どうか、あの人を――。
「雫?」
思考が過去に飛んでいた雫の顔を、李玖が覗き込んでいる。
「…え」
「えじゃないよ。どうした?」
「いや、なんでもない。忠人のことは徹底的に無視する。気が向いたら話くらいは聞いてやってもいいわ。ただし、ここで」
「あくまでも行く気は無いと」
「無い。なーにがドレスコードを用意しろ、よ。偉そうに。そんなもん、持ってないっつーの」
「大学の入学式で来たジャケット付きのワンピースは?」
「嫌よ、あれは回し蹴りが出来ない」
「それは由々しき問題だね。回し蹴りが出来るドレスコードって聞いたこと無いけど」
「ぜひとも開発してほしいわね。高級アパレルブランドに」
「お金がかかりそうだなぁ…」
「忠人が出せばいいんじゃない? 自分でドレスコードとか言い始めたんだから」
「忠人さんの方はそれでいいとして、分家はどうするの?」
「それも向こうの出方による。相打ちになってくれるのが一番いいけど、そんな都合よくはいかないでしょうね」
「だねぇ」
「そもそも、昨日大学に来た奴は忠人の命令で動いているようなことを言っていたんだけど。あれが分家の奴ってことはつまり、スパイってことかしら。さっきのおばさんたち、あたしがあいつにかましたハッタリも聞いていたみたいだし」
「可能性はあるね。忠人さんのところに潜り込んで雫にも接触するなら一石二鳥だろうし」
「ふぅん…」
ただのスパイにしては身のこなしが良すぎるような気もした。それは、さきほど襲ってきた奴らにしても。だが、それをここで考えていても答えは出ない。
「まあいいや。それより李玖。本郷に忍び込んで判明したことは分家のことだけ?」
遠回しに訊いたのに、李玖はあっさり雫の訊きたいことを看破した。
「ああ、未来の旦那さんについて?」
「まあ、そうね。それ」
「やっぱり興味あるの?」
「別に。その人も巻き込まれてかわいそうだなってだけ」
「そっか…」
「なによ。なんか文句あるの?」
「無いよ。ついでに言うと情報も無い」
「うん?」
「いろいろと調べてみたんだけど、婚約者の情報がどこにも無かったんだ。明後日の十八時から、ホテル本郷のレストランは貸し切りになってる。だから雫が呼ばれているのは確かなんだけど、そこに誰が来るのかは判らない」
「徹底的に情報を隠している、ということかしら」
「それにしたって顔はもちろん名前すら出てこないのは不自然だけどね。だってホテル本郷の次期社長候補だよ? 一般従業員にならともかく経営陣にまで秘密にするかな」
「確かにおかしいわね」
「今、ホテル本郷は忠人さん派とリコール派に割れてる。本家と分家って言い換えてもいいけどね。だからお互いに情報を規制しているのは解るんだけど…」
「うーん。やっぱりどうにも情報が少ないわね。当事者に聞かないと」
「雫から出向く気は無いんでしょ」
「明後日については絶対に無い。ただ、向こうの状況が変わらない限りちょっかい出され続けると思うと面倒くさいわよね」
「雫が出向くと、まるでホテル本郷の跡取りのようになるしね」
「あ、それもあったわ。…うーわ、ますます面倒くさい」
「雫にとって、一番良い結果はどんなものかな?」
「うーん…。忠人と分家があたしの存在を忘れること、かな。いや、詞師の存在を忘れることって言ったほうがいいか」
「それ、詞術でなんとか出来ないの?」
「出来れば悩んでないわよ。詞師は自分に関する願い事は叶えられないんだから。あたしが十二年前の儀式のことを忘れていたのは、あくまで「儀式のことを忘れたい」と願ったからであって、お母さんに関する願い事はしていないしね」
「そっか…。なんか歯痒いね」
「まったくだわ。…ねぇ、じいちゃんはどう思う?」
会話にはまったく入って来ずに珈琲を飲んでいた祖父は、雫が水を向けると微笑んだ。
「じいちゃんは、雫の良いようになると嬉しいよ」
その答えに、雫も小さく微笑む。
「そっか…」
一瞬だけうつむいた雫を、そっと李玖が見ていた。
「さあ、もうこんな時間だ。二人とも、お風呂に入って休みなさい」
「はい。じいちゃん」
素直に答えて、雫はテーブルから立ち上がった。
沙羅は、最後までクッションで丸くなっているだけだった。




