神と妖怪
神と妖怪。
それは子供でも知っている存在だった。
だが、あくまで物語の中の話だ。
昔話。
神話。
おとぎ話。
王城でも何度か聞いたことがある。
世界を創った神。
人を喰らう妖怪。
子供を脅かすための存在。
その程度の認識だった。
だから。
目の前の白髪の男が、
「私はオルフェウス、かつての創世神だ」
そう言った時。
レイヴァは理解できなかった。
言葉の意味は分かる。
だが、現実感がない。
隣では大柄な男——アレスが笑っている。
「そんな固まんなって!まあ普通は信じねぇよな!」
黒髪の女——ルナが呆れたように言う。
「あなたが軽すぎるのよ。もっと段階を踏みなさい」
「いや無理だろ!今さら普通の説明なんか!」
二人が言い合う。
だが、レイヴァはその声があまり耳へ入ってこなかった。
視線はオルフェウスへ向いたまま。
創世神。
世界を創った存在。
神話の始まりに記される名前。
それが、今目の前にいる。
オルフェウスは静かにレイヴァを見る。
「信じられないか?」
レイヴァは少し考える。
そして正直に答えた。
「……分からない。でも、嘘を言ってる感じはしない」
オルフェウスは少しだけ笑った。
「素直だな」
アレスが豪快に笑う。
「いいじゃねぇか!細けぇことは後から覚えりゃいい!」
そう言って、レイヴァの頭を乱暴に撫でた。
力が強すぎて身体が揺れる。
「……痛い」
「おっと悪ぃ!」
アレスが慌てて手を離す。
その様子を見て、ルナが小さく吹き出した。
レイヴァは少し驚く。
笑うんだ。
そんなことを思った。
王城では、誰もこんな風に笑わなかった。
オルフェウスが歩き出す。
「ついて来い」
レイヴァ達は森の奥へ進む。
死の山の夜は暗かった。
月明かりすら、木々に遮られている。
普通の人間なら、数分で方向感覚を失うだろう。
だが、オルフェウス達は迷わず進んでいた。
まるで、この山そのものを知り尽くしているように。
歩いている途中、何度も視線を感じた。
暗闇の奥。
木々の隙間。
そこから何かがこちらを見ている。
レイヴァが視線を向けると、気配はすぐ消えた。
「……何かいる」
レイヴァが呟く。
アレスが笑った。
「そりゃいるだろ、死の山だぞ?」
「魔物?」
「それもいる」
ルナが静かに続ける。
「人じゃないものもいるわ」
その言葉に、レイヴァは少しだけ背筋が寒くなった。
やがて。
森が開けた。
そこには巨大な湖が広がっていた。
月明かりが水面へ映る。
静かで、綺麗な場所だった。
死の山の中とは思えない。
レイヴァは目を見開く。
「……綺麗」
「昔、ここには古代文明があった」
レイヴァはそちらを見る。
「国?」
「ああ」
オルフェウスが遠い目をしながら答える。
「神も、妖怪も、人も、今より近い場所にいた時代の文明だ。
だが、決して分かり合っていたわけではない」
「互いに利用し恐れ、争い続けていた」
「その果てに、世界は今の形へ変わった」
神話では、神は天に住む存在だったはずだ。
人間と共に暮らす話など、聞いたことがない。
「今、人間達へ伝わっている神話は不完全よ」
ルナが静かに言う。
「都合よく書き換えられているものも多い。長い年月が経てば、真実なんて簡単に歪む」
アレスが鼻で笑った。
「まあ、わざと歪ませた連中もいるがな」
その瞬間、空気が少し変わった。
レイヴァにも分かる。
この話は、あまり良い話ではない。
オルフェウスが湖へ視線を向けたまま言う。
「今の神界は、秩序を求めすぎたあまり、感情を不要と考えた」
「人も、世界も、全て管理しようとしている」
「それが現在の絶対神――セラフィスだ」
その名を聞いた瞬間。
空気が重くなる。
風が止まった気がした。
ルナが目を細める。
「気に入らない男よ」
アレスが鼻を鳴らす。
「昔っから頭の固ぇ奴だった」
レイヴァは静かに聞いていた。
すると今度は、ルナが口を開く。
「妖怪側も似たようなものだけどね」
「今の終焉禍――オボロは、
欲望だけの世界を作ろうとしてる」
「理性も秩序も不要。
欲望のままに生きればいい――それがオボロよ」
レイヴァは湖を見る。
月が揺れている。
神。
妖怪。
どちらも、人間が想像していた存在とは違った。
もっと生き物らしくて。
もっと危険だった。
「あなた達は、それと戦ってるの?」
レイヴァが聞く。
オルフェウスは静かに頷いた。
「正確には、追われている側だ」
「我々は神界から追放された」
「ルナ達も同じだ」
ルナが肩をすくめる。
「まあ、今さら戻る気もないけど」
アレスが笑う。
「追放されてからの方が気楽だぜ?」
レイヴァは少し考える。
追放。
その言葉は、妙に胸へ引っかかった。
自分も、今日王家から捨てられたばかりだった。
オルフェウスがレイヴァを見る。
「だから、お前が必要になる」
「……俺が?」
「神力と妖力。
本来、その二つは決して混ざらない」
オルフェウスの視線が、静かにレイヴァへ向く。
「だが、お前だけは違う」
レイヴァは自分の手を見る。
何も変わらない。
普通の手だ。
だが、胸の奥には確かに何かがある。
白い何か。
黒い何か。
それが静かに脈打っていた。
「俺は、どうすればいいの?」
その問いに、オルフェウスは少しだけ笑った。
「まずは生きろ、話はそれからだ」
その瞬間だった。
森の奥から、巨大な咆哮が響いた。
空気が震える。
湖の水面が揺れた。
レイヴァは反射的にそちらを見る。
暗闇の奥。
そこに、赤い目が浮かんでいた。
一つではない。
二つでもない。
大量だった。
木々の間から、無数の魔物が姿を現す。
狼型。
猿型。
巨大な蛇。
どれも、王国で語られる魔物より遥かに大きい。
レイヴァの身体が強張る。
だが。
オルフェウス達は動かなかった。
逃げる様子もない。
アレスはむしろ笑っている。
木々の隙間から、
低い唸り声が重なる。
殺気。
数十ではきかない。
普通の兵士なら、その場で腰を抜かしていただろう。
「ちょうどいい、坊主の初授業だ」
ルナがため息を吐く。
「壊しすぎないでよ」
「分かってるって!」
アレスが前へ出る。
その瞬間。
空気が変わった。
地面が揺れる。
森全体が震える。
レイヴァは目を見開いた。
アレスの身体から、凄まじい圧力が溢れていた。
人間ではない。
本能でそう理解する。
アレスは笑っていた。
まるで遊んでいるかのように。
魔物達を相手にしているのに、
そこに恐怖は欠片もない。
「よく見とけ、坊主。これが——人ならざる者の戦いだ」
次の瞬間。
アレスが地面を蹴った。
轟音。
地面が砕ける。
人間ではあり得ない速度でアレスの身体が消えた。
そして。
爆発のような衝撃音。
巨大な狼型の魔物が、頭から吹き飛んだ。
血が舞う。
木々が折れる。
だが、アレスは止まらない。
拳。
蹴り。
それだけだった。
魔法すら使っていない。
なのに。
魔物達が一方的に蹂躙されていく。
レイヴァは息を呑んだ。
次元が違う。
王国の騎士達とは、
比較にすらならなかった。
その光景を見ながら。
胸の奥で、何かが静かに熱を帯びていた。神と妖怪
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今後とも『零階梯の神話』をよろしくお願いします。




