死の山
その日の夜。
レイヴァは、いつもより静かな王城の廊下を歩いていた。
普段なら、侍女や騎士達の姿がある。
しかし、今日は違った。
誰も近づいてこない。
視線だけが向けられる。
恐れるような、
気味悪がるような目。
レイヴァはそれを不思議に思った。
自分は何か変わったのだろうか。
昼間と同じ身体。
同じ声。
同じ景色。
だが、周囲だけが変わっていた。
「失敗作」
廊下の奥から小さな声が聞こえる。
「本当にゼロ階梯だったらしい」
「王家の恥だ」
「化け物かもしれん」
レイヴァは立ち止まらなかった。
意味は分からない。
それが、自分へ向けられている言葉だということだけは理解できた。
窓の外を見る。
夜空には月。
その下に、黒い山影が見えていた。
”死の山”
王国最大の禁域。
大量の魔物が生息し、呪いが満ち、山に入った者は帰らない。
そのため、実際に行くものはいなかった。
それほどまでに危険な山なのだ。
「レイヴァ殿下」
後ろから声がかかった。
振り向く。
そこには、王直属騎士団の男が立っていた。
銀鎧を纏った壮年の騎士。
表情は硬い。
「王がお呼びです」
レイヴァは頷いた。
「分かった」
騎士の後を歩く。
向かう先は玉座の間ではなかった。
王城地下。
重い扉がいくつも並ぶ、冷たい通路。
地下へ行くほど空気が冷えていく。
やがて、大きな鉄扉の前で騎士が止まった。
扉が開く。
中には王と数名の重臣がいた。
王妃はいない。
兄王子達もいない。
王は椅子に座ったまま、
レイヴァを見下ろしていた。
「レイヴァ」
低い声。
「ここへ来た理由は分かるか」
「分からないです」
レイヴァは答える。
王は少しだけ目を細めた。
「お前は王族に相応しくない」
静かな声だった。
怒鳴り声ではない。
だからこそ冷たい。
「ゼロ階梯は前例がない、王家の威光に傷が付く、民へ存在を知られるわけにはいかん」
レイヴァは王を見上げた。
「本日をもって、お前を王家から除籍する。
明日、城外へ送る。以後、お前は王族ではない」
嘘だった。
地下に呼び出し、騎士を並べ、重臣だけを集める理由が、ただの追放であるはずがない。
しかし5歳になったばかりのレイヴァにはこれが嘘だということは分からなかった。
「どこへ連れていかれるのでしょうか?」
王は数秒沈黙した。
そして。
「死の山だ」
空気が張り詰めた。
重臣達ですら目を伏せる。
”死の山”。
そこへ行けば帰れない。
それくらいは、レイヴァも知っていた。
しかし。
この場にいる誰もが、止めようとはしなかった。
その理由は、五歳のレイヴァにはまだ分からなかった。
王は立ち上がった。
「連れて行け」
騎士達が動く。
レイヴァの両側へ立った。
「どこへ行くのですか?」
レイヴァが聞く。
王は答えない。
代わりに、神官の一人が術式を展開した。
淡い光が広がる。
その瞬間。
強烈な眠気が襲ってきた。
「……え」
視界が揺れる。
身体から力が抜けた。
レイヴァはふらつく。
「な、んで……」
膝が崩れる。
眠い。
頭がぼんやりする。
重臣の一人が顔をしかめた。
「ここまでする必要はあるのでしょうか」
「念のためだ。確実に排除しなければならない」
意識が遠のく中でそのようなやり取りが聞こえた。
レイヴァは必死に目を開こうとするが、耐えきれず意識は完全に途切れた。
———
次に目を開けた時。
レイヴァは土の上へ倒れていた。
冷たい。
身体が震える。
空は暗かった。
夜。
木々が空を覆っている。
知らない場所。
湿った土の匂い。
遠くから聞こえる獣の唸り声。
レイヴァはゆっくり起き上がった。
頭が痛い。
身体も重い。
冷えた土の感触が、服越しに伝わってくる。
周囲を見る。
誰もいない。
馬車も。
騎士も。
王城も。
何もなかった。
その代わり。
目の前には、巨大な黒い山が広がっていた。
枯れた木々。
淀んだ空気。
霧の奥から聞こえる不気味な鳴き声。
子供でも知っている。
”死の山”
生きては帰れない場所。
そこでようやく、レイヴァは自分が捨てられたのだと理解した。
胸の奥が少しだけ苦しくなる。
どうして。
その言葉が頭に浮かぶ。
だが答える者はいない。
風が吹く。
寒い。
レイヴァは小さく身体を縮めた。
その時だった。
茂みが揺れる。
低い唸り声。
赤い光が闇の中で揺れた。
次の瞬間。
黒い獣が飛び出した。
狼に似ている。
違うところといえば、身体が異様に大きく、牙は剣のように鋭い。
”魔物”。
王国の外では、人を喰らう怪物として恐れられている存在。
獣は一直線にレイヴァへ襲いかかった。
速い。
五歳の子供では、到底避けることすらできない。
レイヴァは反射的に目を閉じてしまった。
その瞬間。
牙が肩へ食い込む。
激痛。
鮮血が舞う。
身体が地面へ倒れた。
痛い。
怖い。
呼吸がうまくできない。
魔物が再び迫る。
大きく開いた口。
鋭い牙。
死ぬ。
その瞬間だった。
空が揺れた。
空間そのものが軋む。
黒い空に、巨大な光が浮かび上がる。
眩しい。
何かがいる。
そう思った、次の瞬間。
轟音。
魔物の身体が、見えない何かによって吹き飛ばされた。
血が舞い、肉が裂け魔物は死んだ。
レイヴァは薄れゆく意識の中、ぼんやりと空を見る。
そこには、人影のようなものが立っていた。
白い光。
黒い影。
低く響く声。
誰かが笑っている。
誰かがこちらを見ている。
だが、顔は見えない。
ただ一つだけ分かった。
助けてくれた。
なぜか、そう思った。
レイヴァの意識は闇へ沈んだ。
そして。
“神話”は、死の山で少年を拾った。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次話から、死の山での物語が始まります。
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