ゼロ階梯の王子
レグナス王国には、一つの常識がある。
人の価値は、五歳で決まる。
もちろん、それを口に出す者は少ない。
王も、貴族も、神官も、平民も、みんな綺麗な言葉で飾る。
”努力は尊い”。
人は生まれではなく、積み重ねで変わる。
才能だけが全てではない。
だが、誰もが知っていた。
この世界において、魔法の才は血よりも尊い。
そして、その才を測る儀式がある。
【階梯測定の儀】
五歳になった子供が受ける、人生最初の審判。
測定されるのは、 魔力量、属性適正、術式との親和性。
そして、将来どこまで魔法の階梯に至れるか。
階梯とは扱える、魔法規模を示す指標。
絶対的な強さではなく、
あくまで才能と到達点の目安に過ぎない。
実戦では、
・属性相性
・戦闘経験
・術式理解
・複数属性適正
・身体能力
などによっては、格上を倒すことも珍しくなかった。
それでもなお、階梯へ執着した。
高い階梯は、強者の証だからだ。
平民なら第二階梯。
熟練の騎士なら第三階梯。
貴族、そして王族であれば第四階梯。
それが平均とされていた、
第五、第六階梯であれば、国家が抱えるべき天才。
第七階梯に至る可能性を示した者は、英雄の器と呼ばれる。
ならば、王家に生まれた子はどうだろうか。
誰もが期待する。
王家の血にふさわしい階梯を。
少なくとも、第四階梯以上を。
だからその日、王都レグナスの王城は朝から静かな熱を帯びていた。
白亜の城。
高く伸びた尖塔。
王家の紋章が刻まれた広間。
そこに集められた者達は皆、同じ少年を見ていた。
レイヴァ・ルクシア・ルグナス。
レグナス王家に生まれた、第三王子。
黒い髪に、深い紫の瞳。
五歳にしては表情が薄く、広間の中でも一人だけ、周囲から切り離されたように立っている。
彼の目の前に、巨大な水晶柱が置かれていた。
透き通った水晶の内側には、淡い光が流れている。
”測定水晶”
人の魔力に反応し、その者の指標を示す、七王国最高峰の魔道具である。
「レイヴァ・ルクシア・レグナス」
神官長が呼んだ。
「前へ」
レイヴァは静かに歩いた。
足取りに迷いはない。
恐怖もない。
期待もない。
ただ、呼ばれたから進む。
それだけのように見えた。
玉座には王が座ってる。
隣には王妃。
少し離れた場所には、兄達と貴族達。
誰もが息を潜めていた。
王家の子の階梯測定は、国家にとって大きな意味を持つ。
強き王族は、国の威光となる。
高き階梯は、王家の正統性を証明する。
その場にいる誰もが、レイヴァに期待していた。
神官長が告げる。
「水晶へ手を」
レイヴァは右手を上げ、水晶に触れた。
冷たい感触。
次の瞬間、広場に微かな光が広がった。
測定水晶の内部で、細かい光が揺れる。
神官達が息を呑む。
光は階梯を示す。
第一階梯なら小さな白光。
第二階梯なら青。
第三階梯なら緑。
第四階梯なら赤。
第六以上ともなれば、水晶全体が輝く。
レイヴァの手の下で、水晶は一度だけ淡く震えた。
そして。
光は消えた。
広間に沈黙が落ち、神官達が眉をひそめた。
「もう一度」
レイヴァは何も言わず、手を置いたままにした。
水晶は再び微かに震えた。
だが、光は灯らない。
色も出ない。
属性反応もない。
術式紋も浮かばない。
広間の空気が変わった。
それは落胆ではない。
困惑でもない。
もっと冷たい何かだった。
神官長が額に汗を浮かべ、側近の神官へ視線を送る。
神官達は慌てて補助術式を展開した。
測定水晶の周囲に光の輪が広がる。
王族用に用意された精密測定だ。
通常の測定で異常が出た場合のみ使われる。
「測定を続けます」
神官長の声が少しだけ震えていた。
補助術式が水晶へ流れ込み、魔力の流れが視覚化される。
本来であれば、対象者の魔力回路が光の筋となって浮かび上がる。
だが、レイヴァの周囲には何も現れなかった。
魔力循環なし。
属性反応なし。
術式適合なし。
神官長の顔色が変わる。
王がゆっくりと口を開いた。
「結果を言え」
その声は低かった。
神官長は膝をつき、頭を垂れる。
言いたくない。
そう顔に書いてあった。
だが王命に背くことはできない。
「レイヴァ殿下の測定結果は」
広間中の視線が神官長に集まる。
レイヴァだけが、変わらない顔で立っていた。
「ゼロ階梯、でございます」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
ゼロ階梯。
それは階梯ですらない。
第一階梯にすら届かない者。
魔法を扱う資格を持たない者。
水を生み出すことも、火を灯すことも、風を起こすこともできない者。
完全なる無能。
王族にあってはならない結果。
王妃が小さく息を呑んだ。
兄王子の一人が、信じられないものを見るようにレイヴァを見た。
貴族達の間にざわめきが広がる。
「ゼロ階梯?」
「王族が?」
「あり得ない」
「測定水晶の故障ではないのか」
神官長はすぐに首を振った。
「水晶に異常はありません。補助術式も正常です」
その言葉が決定打だった。
広間の空気が凍る。
王の視線がレイヴァへ向けられた。
そこには父が子を見る温度はなかった。
王が見ていたのは、自分の血に生まれた失敗だった。
「レイヴァ」
王が呼ぶ。
「お前は何か感じたか」
レイヴァは水晶から手を離し、王を見る。
「何も」
短い答えだった。
「魔力の流れは」
「分からないです」
「属性の反応は」
「ないです」
王の眉がわずかに動く。
広間のざわめきが大きくなった。
レイヴァは周囲の反応を見ても、表情を変えなかった。
なぜ騒いでいるのか。
その程度の疑問はあった。
だが、怖くはなかった。
悲しくもなかった。
まだ五歳の彼には、自分が今何を失ったのか理解できていなかった。
ただ一つだけ分かったことがある。
皆の目が変わった。
先ほどまで王子を見る目だった。
今は違う。
汚れたものを見る目。
厄介なものを見る目。
存在してはならないものを見る目。
王は静かに立ち上がった。
「本日の儀は終わりだ」
その一言で、広間の空気がさらに重くなる。
「この件は外へ漏らすな」
王の命に、貴族達が一斉に頭を下げた。
神官長も震えながら応じる。
「御意」
レイヴァはその場に立ったまま、王を見上げていた。
王は一度も、彼の名を優しく呼ばなかった。
王妃は目を伏せている。
兄達は近づいてこない。
神官達も視線を逸らす。
その日。
レイヴァ・ルクシア・レグナスは、王子ではなくなった。
少なくとも、王城にいる者達の中では。
その夜、レイヴァは自室にいた。
広すぎる部屋。
豪華な寝台。
王族の証である紋章入りの服。
だが、部屋の外には以前より多くの兵が立っていた。
守るためではない。
見張るためだ。
扉の向こうから、微かな声が聞こえる。
「本当にゼロ階梯だったのか」
「王家の恥だ」
「存在を隠すしかない」
「いや、隠せるものか」
「ならば」
そこで声は途切れた。
レイヴァは窓の外を見た。
夜空には月が浮かんでいる。
王都の外れには、黒い山影が見えた。
”死の山”。
魔物と呪いに満ち、誰も帰らぬ禁域。
子供でも知っている。
あそこへ行けば死ぬ。
レイヴァは窓に手を添えた。
冷たいガラス越しに、月光が指先へ落ちる。
その光は、なぜか少しだけ懐かしい気がした。
理由は分からない。
けれど、胸の奥で何かが静かに揺れていた。
魔力ではない。
この世界の誰も測れない何か。
この時のレイヴァはまだ知らない。
自分が無能ではないことを。
自分が、この世界の法則から外れた存在であることを。
そして。
王家に捨てられた先で、神話に出会うことを。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
『零階梯の神話』
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