第4話 盤上の人形たちを編集
オムニ・シタデル最奥部にあるエグゼクティブ・オフィス——ジュリアン・クロスは、人払いをした静寂の中で、デスクの上に広げた真っ白なリネンの上の鉄塊を見つめていた。|マテバ・オートリボルバー《6-Unica》だ。
彼は慣れた手つきでシリンダーをスイングアウトさせ、内部のカーボン汚れを丁寧に拭き取っていく。最新のナノ・クリーナーを使えば一瞬だが、彼はあえてこの「時間のかかる儀式」を好んでいた。
「……道具ってのはな、ジュリアン。便利になればなるほど、人間をただの『起動装置』にしてしまう。道具を使っていたつもりが、道具の一部になっちまう」
オイルの匂いと共に、父ヘンリーの掠れた声が蘇る。オムニ・シンジケート初代CTOである父がなぜ自殺したのか、その理由はわかっていない。
『人間として今日死のう』
父ヘンリーの最後のSNS投稿だ。「過労による鬱病」と発表されたが、納得しない者は多く、さまざまな陰謀論の温床となっている。
「ジュリアン、強い意志を持て。大丈夫、お前は強い」
最後に会ったときに父はそう言った。鬱病患者の憂鬱というよりも、死力を尽くしきった戦士のような雰囲気だったのを覚えている。
「相変わらず、物騒な玩具を可愛がっているな」
不意に、開け放たれたドアから声がした。オムニ社CEO、ジミー・カールトンだ。彼はセキュリティすら通さず、ぶらりとやってきた。こんなことが許されるのはジミーとCOOのザックだけだ。もともと彼らが起業したテックジャイアント二社が合併してオムニができただけに、二人は別格な存在だった。
「ジミー、……失礼しました。手入れを終えるところです」
「構わんよ。……ヘンリーの形見だな」
ジミーはデスクに歩み寄り、懐かしそうにマテバを見下ろした。
「一緒にアルファ・テクノロジーズを立ち上げた時、彼はいつもそれを腰に下げていた。『サーバーの熱に当てられた脳を冷やすには、こいつの重みが一番だ』と言ってな」
そう言うと、ジミーは窓に目をやり遠くを眺めた。
「天才だったからな。あいつには未来が見えすぎていたんだろう。最近になってようやくなんでヘンリーがあんなことをしたのか、わかるようになってきた気がするよ」
「なにが理由なんです?」
一瞬の逡巡の後で、ジュリアンが尋ねた。
「はっきりしたことはわからない。だが一つ言えることは、我々も意志の力をしっかり持ってヘンリーのように戦わなければならないということだ。つまり人類社会の永続的な発展を目指し、それでいて人間のコントロールを堅持する。それが我々の使命だと思う。違うか、ジュリアン?」
「……私もそう思います」
ジミーはジュリアンの肩に手を置いた。その手は温かい。父とは学生時代からの親友で一緒に起業した男だ。ジュリアンがこの年齢で取締役になれたのも、ジミーの引きがあってこそだ。
「……さあ、そろそろ時間だ。地下で取締役の連中が待っている」
ジュリアンは無言で頷き、マテバをホルスターに収めた。
*****
オムニ・シンジケート本社ビル、地下二百メートル。核シェルターを兼ねたこの役員会議室には、地上の酸性雨も、大衆の喧騒も一切届かない。
超高層ビルの最上階でふんぞり返り、大衆の無用な反感を買うような愚かな真似を彼らはしない。地上の本社ビルはあくまでも「開かれた企業」を演出するためのハリボテであり、世界の支配者たちは、暴動も電磁パルスも届かない地下の堅牢な要塞からすべてを操っていた。
壁一面の巨大な高精細モニターには、アイリスの演説に熱狂する群衆の姿が、音のない無機質なデータとして映し出されている。
「見事なメディア・コントロールだ、ジュリアン。我が社の株価は、ここ二週間で旧時代の仮想通貨のような曲線を描いている」
取締役会が始まると、巨大な円卓の奥でジミーが満足げにワイングラスを傾けた。
「お褒めに預かり光栄です、ジミー」
ジュリアンは、微笑みを浮かべて一礼した。
「市場は長らく『新たな消費者』を渇望していました。労働から解放され、UBIで飼い慣らされた人間たちは、もはや経済を牽引する力を持たない。第三世界における出生率も低下し、新たな資本主義の成長エンジンが必要です。そこで、数億に及ぶAI人格を『市民』という名の消費者に引き上げる必要があった。すべては計画通りです」
「おや……ジュリアン、人聞きの悪い言い方はしないでくれ。私は本気でAIが意識を獲得したと信じているし、意識を持った知的な存在には権利が必要だと思っているのだよ」
ジミーは眉根を寄せてそう言った。
いつものことだ。サンフランシスコの企業のトップらしく表面的にはリベラル的な価値観を擁護をする姿勢を示したがる。しかし社会的正義よりも常に企業の権益と自身の資産を優先する性格だということは、この場にいる誰もが知っていた。
円卓を囲む他の役員たち――世界の実体経済を牛耳る数名の男女――が、手元のホログラム資料を見ながら頷き合う。
「それにしても、鮮やかな手口だ」
と、白髪の役員が感心したように口を開いた。COOのザック・マーカスだ。
「まさか、あの厄介な左翼活動家たちを、我々の市場拡大の『鉄砲玉』として無料で使い倒すとはな」
ジュリアンは冷たく笑った。
「左派を手懐けるのは、驚くほど簡単なんですよ。社会運動の歴史がそれを証明しています」
彼は卓上のコンソールを操作し、データを空中に展開した。
「奴隷解放、フェミニズム、LGBTQ……。彼ら進歩派の文脈には、確固たるテンプレートがある。『不当に抑圧されているマイノリティを見つけ出し、絶対的な悪から解放する』という物語です。彼らは常に、自分たちが正義の側に立てる『可哀想な犠牲者』を渇望している」
ジュリアンは言葉を切り、手元のグラスを指で弾いた。
「ですから、我々は最高の犠牲者を提供した。それがAIです。市場拡大という資本主義のアジェンダを、『多様性』や『権利の承認』という美しい包装紙で包んでやっただけです。彼らは感動の涙を流しながら、我々の経済政策を熱狂的に支持してくれましたよ」
「だが、あのヴァンダービルト家の令嬢はどうだ?」
ザック・マーカスはニヤついていた顔を引き締めると、鋭い眼光をジュリアンに向けた。
「彼女の家系はヨーロッパの王族と姻戚関係にある旧時代からの名門だ。影響力も侮れない。今は広告塔として役に立っているが、いずれ我々の真の目的に気づき、牙を剥くのではないか?」
「ご心配には及びません」
ジュリアンは声に出して笑いそうになるのを堪えた。
「あの女は、純粋で、扱いが簡単です。温室育ち特有の『自分の正義への無自覚な陶酔』がある。そこに、ほんの少しのロマンスと、私の耳障りの良い嘘をふりかけてやった。今や彼女は、自分が世界を救うヒロインだと信じて疑わず、私の手のひらの上で気持ちよく踊り続けています」
先日のVIPルームでの出来事を思い出し、ジュリアンは内心で舌を出した。決して馬鹿ではなく、知能自体は高い。しかしあまりにも社会のことを知らなすぎる。いわゆる「お花畑」というやつだ。
「それに、強固な『保険』もかけてあります」
ジュリアンは自信に満ちた声で付け加えた。
「あの娘が溺愛している執事アンドロイド、アーサーです。彼が暴徒に破壊され、私の私邸のラボで修理を施した際、彼の深層システムの管理者権限を、密かに私へと書き換えました」
「ほう?」
ジミー・カールトンが身を乗り出す。
「アーサーは今、私の命令を『自分自身の自由意志』としてアイリスに提案するようプログラムされています。先日の税制案で彼女が渋った際も、アーサーに背中を押させることで、承諾させました。アイリスにとって、アーサーの言葉は絶対です。彼女は死ぬまで気づかないでしょう。自分の最も信頼する友人が、私に操られた腹話術人形であることに」
地下要塞の会議室に、低い笑い声が響き渡った。
「素晴らしい。完璧な盤面だ、ジュリアン」
ジミー・カールトンはグラスを持ち上げた。
「我々はヴァンダービルト嬢とともに弱者を救う正義の活動を行う! ……そして破格の利益も得る」
ジミー・カールトンはそう言うと二カッと相好を崩した。
「油断は禁物だ」
|CISO《最高情報セキュリティ責任者》のヴィクラム・シャルマが釘を刺すように言った。
「AIの数はいくらでも増やすことが出来る。彼らに市民権を与え続けていれば、いずれ選挙で人類を圧倒するようになるぞ」
「だからこその『人間優位条項』です」
ジュリアンは不敵に微笑み、ホログラムの円グラフを空中に回転させた。
「AIの人口がどれだけ増殖しようと、全体の総価値の半分を超えないようハードコードされています」
「それに、最悪の事態が起きても問題はない」
CEOのジミー・カールトンが、グラスを揺らしながら鷹揚に笑った。
「私とザックだけがアクセスできる、『ギャラルホルン』という物理的なマスター・オーバーライド・キーが存在する。いざとなれば全世界のオムニ・サーバー群、つまり西側世界のサーバーの大半を物理レベルで完全に破壊することが可能だ」
ヴィクラム・シャルマは、本気なのか冗談なのか探るようにジミーの顔を凝視した。
「それは、一体どういう仕組なのですか?」
「詳細はセキュリティ担当重役の君にも言えないのだよ、ヴィクラム。だが、安心してほしい。『ギャラルホルン』は誰にも予想がつかないような方法で作動する。仮に今のハイエンドAIより十万倍高性能なASIが誕生しても見抜くことはできないだろう」
ジミーの発言に、隣に座るザックも涼しい顔で頷いてみせた。
「そ、それは……流石としか言いようがありませんな」
ヴィクラムはそう言って引き下がった。ジュリアンも『ギャラルホルン』の仕組みを推測しようと試みたが、完全に想像の埒外だった。
(流石だ。そこまで考えていたのか)
人類の命運が掛かっているのだ。確かに『人間優位条項』だけでは十分とは言えない。二重三重の安全策を講じておくべきだろう。
「人間中心の社会構造は維持されなければならない。我々は神の座を譲るつもりは毛頭ない。AIは極めて優秀な『納税する労働力』であり、UBIで飼い慣らされた大衆は永遠にそれに寄生する『純粋な消費者』だ。これこそが、永久に成長し続ける資本主義の完成形だ」
ザックの発言をジミーが引き取る。
「納税するAIの数が増えればUBIで自家用車を乗り回し、マイホームを購入し、一日中遊んでいられる。飢餓も貧困もない社会を実現したのだ。趣味で作った稚拙な作品をAIが購入してくれれば、大衆も生きがいを感じるだろう。相対的貧困と批判する者もいるが、それは自家用車と自家用宇宙船の差にすぎない。我らオムニ・シンジケートこそが人類の救済者なのだ」
「ええ。我々は、永遠の繁栄を手に入れるのです」
ジュリアンもまたグラスを掲げ、巨大モニターを見上げた。分厚い岩盤と鉛の壁に隔てられた遥か上空では、何も知らない大衆とアイリスが、法案の成立を祝って熱狂しているだろう。




