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暗くて、冷たくて、重い。
その底で、私はまた目を開けた。
今度は視界が、低かった。
さっきの巨体から、急に地面へ引き戻されたみたいだった。床が近い。石が近い。何もかもが、顔のすぐ下にある。
澄ませると血の匂いが鼻の奥にこびりついていた。
それに息をするたび、湿った石と獣臭も肺へ流れ込んでくる。
嗅ぎ回るように自分の体を確認しようとして、私は息を止めた。
白い毛。
硬い爪。
細い前足。
私は、狼になっていた。
「……ッ」
なんで、と叫んだつもりだった。けれど口から漏れたのは、小さな鼻鳴きだけだった。
目の前には、さっきまで私が入っていたであろう巨体が横倒しになっている。腹は裂け、肉は噛みちぎられ、床一面にどろりとした血だまりを広げていた。
そこへ群がっていたはずの狼たちは、ぴたりと動きを止めている。
おかしい、と思った。
獣ならこんなふうに止まらない。落ち着きとは程遠いはずだ。なのに目の前の狼たちは、まるで考え込んでいるみたいに、小首を傾げていた。
ふと一匹が、こちらを向いた。
黄色い目と視線がぶつかる。
瞬間、背中の毛が逆立った。
その目は、獣の目じゃなかった。何が起きたのかわからず混乱していて、自分が狼だということに、今さら気づいたみたいな目だった。
目の中の光には見覚えすら、あった。
「……クゥ?」
その狼が、小さく鳴いた。
すると近くの一匹がびくっと肩を揺らした。別の一匹が、慌てたみたいに自分の足先を見下ろした。さらにもう一匹が、後ずさった拍子に自分の尻尾を踏み、驚いて跳び上がった。
あまりにも、人間くさかった。
まるで中に、人が入っているみたいだった。
まさか、と思った。
思いたくなかった。
けれど、黄色い目が私を見るたび、嫌な予感が形を持っていく。
この狼たちも、きっと、私だ。
どういうわけか、私を食べた狼が、私になっている。
何匹いるのか数えられなかった。視界の範囲でも十匹以上はいる。その全てが、さっき巨人の肉に群がっていた狼たちが、全部、同じ目をしていた。
一匹が、おそるおそる前足を上げた。
何かを言おうとしているのはわかった。けれど口を開いても、鳴き声が漏れるだけだった。喉の形が、人間の言葉を許してくれない。
それでも、伝わった。
怖い。
わからない。
ここにいたくない。
私はゆっくり立ち上がった。
鼻先を暗闇のほうへ向ける。
出口を探そう。そういうつもりだった。
すると近くの狼が私を見た。次に、別の一匹も見た。気づけば群れの視線が、全部こっちへ集まっていた。
なんで私なんだろうと思った。でも考えて、わかった。
たぶん、最初に決めたからだ。
私は一歩、踏み出した。
群れがざわめく。鳴き声がいくつも重なった。一匹、また一匹と、私の後ろへ並び始める。
きれいに揃っているわけじゃない。
でも、ばらばらでもなかった。
みんな、自分が何になったのかもわからないまま、とにかく前へ進もうとしている。先頭にいる私と同じだった。
私たちは暗い通路を進んだ。
壁も床も濡れていた。ところどころ石が青白い光を落とし、その中を狼の影がいくつも伸びていく。
途中で小さな生き物が飛びかかってきたけれど、群れは止まらなかった。前にいた数匹がすぐに押さえつけ、噛み砕き、道を開ける。
四本の足は、戦い方も走り方も知っていた。
爪をどこに立てればいいか。
どのくらい腰を落とせば跳べるか。
そんなこと、私は知らないはずなのに、体は迷わない。
体が、勝手にやり方を知っている。
怖かった。
このまま長く狼でいたら、私は人間だったことを忘れてしまうんじゃないか。
そう考えた瞬間、背中が冷たくなった。
私はマイ。
女子高生だ。
制服を着て、帰り道を歩いていた。
学校では友達と、今日の小テストがどうとか、コンビニで何を買うとか、そんな話をしていたはずだ。
忘れたくなくて、私は頭の中で自分の名前を繰り返した。
マイ。マイ。私はマイ。
何度目かの反復のあと、通路の先に違う光が見えた。
青白い石の光じゃない。もっと赤くて、あたたかくて、不自然な光だった。
群れもそれに気づいたらしい。横に並んだ一匹が、低く喉を鳴らす。警戒と期待が混じった声だった。
近づくと、そこには巨大な扉があった。
岩壁に埋め込まれた黒い扉。表面には見たことのない紋様が浮かび、赤い光が脈打つみたいに走っている。
空気が違った。
息を吸うだけで、喉の奥が詰まる。飲み込んでもいないものが、そこに引っかかったみたいだった。扉の向こうに、何かとんでもないものがいると、本能でわかった。
でも、他に道はなかった。
私は振り返る。
群れの目が、また私に集まっていた。
どうやら、私がやるしかないらしい。
前足を、おそるおそる扉に触れさせる。ひやりとした感触が肉球を走った。次の瞬間、紋様がゆっくり明るくなり、扉の奥から鈍い音が響いた。
開く。
そう思ったときだった。
扉の向こうから、甘い声がした。
「……ああ、やっと来てくれたのね」
泣きたくなるほど、人間らしくて、優しい声だった。
なのに、背中の毛が一斉に逆立った。




