プロローグ
王国にある迷宮の最下層、そこに場違いな女子高生がいた。
綺麗な長い黒髪、淡い肌、優しげな眼差し。
黒いセーラー服を着ているのは、下校途中、魔法陣に呑まれたからだった。
転移は一瞬の出来事で、状況が理解できない彼女は、何度も瞬きを繰り返した。
「ここは、どこ……?」
小さなつぶやきは薄暗い空間に吸い込まれ、静寂へと消え失せた。
辺りを見回すと、大小さまざまな魔石が天井や地面から生えているのが目についた。それらは青い光を放ち、濡れた岩肌を幻想的に照らしている。
彼女はこの空間が、小学生のころ遠足で訪れた、ライトアップされた鍾乳洞に似ていると思った。
(地震が起きて、地面に穴が開いて、落ちたとか……?)
景色が変わる前に見た非現実的な魔法陣のことなど、もう彼女の頭にはなかった。
できるだけ現実的な理由を探して、目の前の光景に当てはめようとする。
(でも天井に裂け目は見当たらないし、落ちた記憶もない。じゃあ誘拐されて鍾乳洞に監禁され……ないない)
いくら考えても、ここが自分の知っている世界ではないという可能性には届かなかった。
彼女がそれを理解しかけたのは、暗闇の奥から巨大な影が現れた時だった。
緑色の肌をした巨人だった。
二本の脚で立ち、異様に発達した腕をぶら下げながら、ゆっくりと彼女に近づいてくる。
(なにあの生物、もしかしてここって)
彼女の目は驚きに見開かれ、巨人からそらせなかった。
逃げなければならないと頭ではわかっているのに、体は金縛りにあったように動かない。
やがて巨人は、彼女の目の前で足を止めた。
巨人はしばらく見下ろしていた。
観察しているように見えた。
沈黙の長さに、彼女の中にわずかな期待が生まれる。
(怖いけど、害はないかも知れない。よかった……)
そう思った瞬間だった。
巨人は彼女の左腕を、ためらいなくもぎ取った。
何が起きたのかわからず、彼女の思考が止まる。
自分の肩から先が消えていることも、巨人の手にぶら下がっているものが自分の腕だということも、すぐには理解できなかった。
理解は、痛みと同時にやってきた。
「いた、いたいいたい! なに、なんでっ!」
肩口から血が噴き出し、床を赤く濡らしていく。鉄の匂いが一気に広がった。
巨人は彼女の左腕を口元へ運ぶと、美味そうに咀嚼した。
骨が砕ける音がした。
経験したことのない熱と痛みに、彼女の意識がぐらりと揺れる。
だが、気を失うより早く、巨人は彼女の胴を片手で掴み、そのまま軽々と持ち上げた。
(次はまるごと、食べる気だ)
巨人は彼女を見て、笑った。
その表情は、楽しみにしていたケーキを前にした子供のように無邪気だった。
(私を、食べないで)
願いが叶うことはなかった。
巨人は彼女の頭を口に入れ、そのまま噛みちぎった。
頭蓋骨が砕ける鈍い音が、薄暗い空間に吸い込まれ、静寂へと消え失せる。
王国にある迷宮の最下層、そこに場違いな女子高生は、もういなかった。




