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第九章 森羅宮へ(2)

「あとは……たしか秘書官の方と辞書精霊がいらっしゃると……ああ、失礼しました、ご挨拶が遅れて。ネネ・『デッドライン』秘書官と辞書精霊アン・アンサー……ア、アン・アンサー?!」

 

(あの、あたし、ネネ・『デッドライン』なんて名前じゃないんですケド!)

 名前を間違えられたネネは一瞬ムッとして、即座に訂正しようとしたが、シフォンがアンの名前に驚愕していたため、口を挟むタイミングを逸した。

 

「辞書精霊アン・アンサーって……あの、アン・アンサーなんですか?! あなたが?」

「残念ながらうちは、うち以外に『アン・アンサー』を名乗っとる辞書精霊を知らんのやが……」

 苦笑するアン。エルンもネネも、頭の上に『?』マークが三つほど並んでいる。

「シフォンとやら、まあその話はコレで頼むわ」

 そう言いながらアンは片目を瞑り、人差し指を立てて唇に当てる。

 

「はぁ……まあ、何か事情があるのですね。承知しました」

 シフォンはアンの申し出を了承した。

 それに続いて「あの……」と言いかけるネネに対し、アンはエルンの肩から即座にネネの肩に飛び移ると、すぐ耳元で話しかける。

「名前を訂正するのはやめとき。もしかするとルビチェックがわざとネネ・『デッドライン』と伝えとるのかもしれん。なんか思惑があるかもしれんから様子を見よか。今は黙っとき」

「え? あ……うん……わかったわ、アン」

 

 そんなやり取りがあったが、シフォンは気を取り直して迎えの使者としての顔に戻る。

「さてそれでは皆さま、不肖シフォン・メル・ドロワが皆さまを森羅宮の最奥へご案内申し上げます。どうぞこちらへ」

 

 赤絨毯を踏み尖塔の中に入ると、ひんやりした少し湿った空気が感じられる。シフォンに導かれてしばらく歩き、螺旋状の階段に到達すると一行はゆっくりとそれを上り始める。

 途中いくつもの扉や狭い廊下を通り過ぎたあと、一行は、天井の高い真っ直ぐな広い廊下へと差し掛かった。尖塔部分を抜け、ドームのある中央の建物に入ったらしい。


「へえ……スゴ。豪華ねえ……」

 天井の見事な装飾を見上げながら、ネネが思わず嘆息する。

 廊下の右手の窓からは広い、よく手入れされた庭園が見え、左手には中開きの扉がずらりと並んでいる。どの扉もかなり背が高く、細かな細工が施されている。


「……エルンさん。これから行くところでは、ちょっとだけ不愉快な想いをさせてしまうかもしれません……少しの間ですから我慢してくださいね」

「いったいどこに向かっているのですか?」

 急なシフォンの謝罪に、不安になったエルンが行き先を尋ねる。


「帝国首席魔道書記官である、ヴィクトール・V・ヴォルガッシュ閣下の執務室です」

「首席魔道書記官?! それって……」

「ええ。我々にとっては皇帝陛下に次いで高い地位にある上司ですよ」

 シフォンはニコニコしているが、その笑みには少し苦いものが混じっている。

「魔道書記官と記録監察官。どちらも紋章院に属する職務ですが、前者は記録する者、後者はそれをチェックする者で、常に緊張関係にあります。そんな中、今回エルンさんの立ち位置は少々微妙です」

「どういう意味ですか?」

 

「……記録監察官ルビチェックはこれまで、ヴォルガッシュの部下である魔道書記官を何人も即決処刑にしたんや。ヴォルガッシュがルビチェックに対して、おもんない想いを持つのはわかるやろ?」

 アンが横から口を出す。シフォンは少し驚き、しかし興味深げにアンの発言を黙って聞いている。

「にも関わらず、今回ルビチェックは、同じ書記官であるおまえを即決処刑どころかほぼ全力推しや。そやな?」

「うっ! まあ、そう、だな……」

「だがエルンは魔道書記官、つまりヴォルガッシュの部下や。その自分の部下をライバルのルビチェックが推しとる。ヴォルガッシュはその部下をどないする思う?」

「……そりゃあ、いじめたり、嫌がらせしたりするかも……って、オレやっぱり帰る! 帰らせてくれー! 生きて帰れなくなるよー!!」

 エルンは顔面蒼白、たちまちパニックになり、逃げ道を探して走り出そうとする。


「ちょ、ちょっとエルン! こんなところで騒がないで!」

「エルンさん落ち着いて! 大丈夫です。いや、むしろ今のエルンさんは誰よりも安全なんですよ。そのワケは……」

 ネネと協力してエルンをなんとか捕まえたシフォンは、エルンを落ち着かせるように言って聞かせる。


「そのワケは、今回あなたをここに招いたのが皇帝陛下だからです。もしあなたに手を出せば、それは陛下への反逆行為になる。さすがにヴォルガッシュ閣下もそんなことはしないでしょう」

「紋章院でなくて、皇帝陛下が? なんでオレを?」

「あなたにそのつもりはなくとも、結果的にあなたは理法共和国軍を一方的に撃ち破ったのです。そして活躍した人を讃えるのは、皇帝陛下の重要なお仕事です」

「…………」

「ただヴォルガッシュ閣下はあなたにイヤミのひとつやふたつは言うかもしれません。だからエルンさん、そこは堪えてくださいよ」


「……わかった。わかったけど、長くは嫌だよ……」

「はいはい、出来るだけ短くなるように私も頑張りますから。ねっ?」

 コクリ、とエルンが頷いた。

 

「……さあ、ここがヴォルガッシュ閣下のお部屋です。エルンさん、いっしょにがんばりましょう!」

「…………」

 エルンの無反応に一瞬困った顔をしたシフォンは、気を取り直してドアノッカーに手を掛けると、ドンドンッ、と力を入れてノックする。


「誰だ?!」

「ドロワ特級魔道書記官です。エルンスト2級魔道書記官をお連れしました。今よろしいでしょうか?」

(うわ、この人特級書記官なんじゃん! 本来なら5級のオレからすれば雲の上の人じゃんよ、ヤバッ……)

「ふん……よし、会ってやる。入れ」

「失礼いたします」

 シフォンが力を込めて扉を押し開く。ぎぎぎ……とわずかに軋む音をさせて重い扉が開く。


 中は天井は高く、かつ、かなりの広さの部屋で、足元には廊下以上にふかふかした絨毯が敷かれている。

 正面の壁には紋章院を示す紋章――盾の左の青地には開いた本、右の白地には金の羽根ペンの交差、盾の上には銀のフクロウ、左右にグリフィン、下には「記録は永遠なり」の銘――が描かれている。

 その紋章の下に、大きな木製の机が置かれており、ひとりの男がその机の真ん中に座って、何か書き物をしている。

(この人が、首席魔道書記官か……)


「ヴォルガッシュ閣下、こちらが第二重装騎士団で活躍されたエルン・エルンスト2級魔道書記官です。……エルン殿、こちらが帝国首席魔道書記官、ヴィクトール・V・ヴォルガッシュ閣下でいらっしゃいます」


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