第九章 森羅宮へ(1)
レガリアス帝国の帝都はリブリウムという。古くから『記録の都』と称されてきた。
この街を中心に国家が栄え、衰退し、滅び、また栄えるという歴史が繰り返されてきた。街の支配者が移り変わっても、万象の記録はこの街で変わらず保管され続けている。
周辺諸国も少なからずこの街の影響を受けてきた。特に魔道記録の重要性については、この街を通じて周辺諸国に認識が広まったと言ってよい。
今回、帝国に侵攻した理法共和国ロゴスも記録に関するそのような認識を共有する国家のひとつである。
帝国がこの街を支配して幾星霜、歴代皇帝はこの街の中心に位置する森羅宮にその帝座を据えてきた。
エルンは紋章院の書記官養成学校で書記官教育を受けたが、学校は森羅宮の外にあるため、彼が森羅宮を訪れるのはこれが初めてだ。
皇帝差し回しの豪華な二頭立て馬車は、万象門という壮麗な門を通過して宮殿の外庭に入った。門の中には広々とした庭園が広がる。それまでの帝都の密集した建物や石畳とはまったく違った風景だ。
「これが、森羅宮かぁ……話には聞いていたが、すごいもんだなぁ……」
最初、紋章院からの帝都出頭命令と聞いたエルンは、やらかしによる処刑が帝都で行われると思い込み、大騒ぎした。アンやリリアの説明で誤解が解け、その結果としてエルンはいまや観光気分に浸っている。
リリアには「救国の英雄に祭り上げられる」と言われたのだが、自己評価の低いエルンのこと、まったく本気にしていない。
物見遊山気分のエルンが、森羅宮の壮大さに素直に感心していると、アンが「フッ!」と鼻で笑う。
「……アン、なんだよ。感じ悪いな!」
「いや、すまんすまん。悪気があったわけやないんや。この辺はまだ森羅宮の入り口や。本当にすごくなるのはこれからやで」
「えっ、……そ、そうなの?」
「こっからまだしばらくは馬車やから、まだまだのんびりしときや」
「…………へーい」
一方、ネネは馬車の窓枠に貼り付いて、食い入るように外の景色を眺めている。好奇心に満ちた瞳がキラキラ輝いている。
それを見たエルンは、少し前の出来事を思い出す。
砂漠戦線での戦いが済んだ後、初めてエルンがネネと顔を合わせたとき、ネネはエルンに駆け寄るとたちまちぐしゃぐしゃに泣き崩れた。
「よかった……ほんとに無事でよかった……ごめんね、『死んじゃえ』なんて言って……本当にごめん……ごめんなさい……」
エルンの胸元の布越しに、ネネの温かい涙が沁みてくる。エルンは言葉に詰まり、ただ黙ってそれを受け止めるしかなかった。
「……こら、こっち見んな。いまブスだからっ。あっち見とけよぉ……」
しばらくしてからエルンの胸元から手を離し、ようやく顔を上げたネネは、泣き腫らした目蓋を慌てて両手で隠した。
「次あんたが戦場に出るようなことがあったら、絶対ついてくからな! 覚悟しとけ!」
手の指と指の隙間からこちらを覗きながら、ネネは乱暴に宣言した。困った顔をしたエルンに、ネネはニィ……とわざと意地悪そうな笑顔をみせた。
そして今は、まるで子どものような純粋な瞳のネネ。
「泣いたり笑ったり、そんな素直な顔したり……出会った頃とはだいぶ変わったな」
エルンは感慨深げに、密かに口の中で呟いた。
馬車はその後も何度か途中の門で止められ、そのたびに御者がひと言ふた言、警備兵とやり取りをする。だが兵士が馬車内を覗き込んだり、エルンたちに質問することはなく、馬車はわりとスムーズに進んでいく。
ついに馬車の進む先に、石造りの巨大な建築物がエルンたちの前にその威容を現し始める。
「うおっ、こ、これは……でっけえ……」
「これは……こんな巨大な建物、故郷でも見たことがないわ……」
天に向かっていくつもの尖塔が聳え立っている。
いくつあるともわからない尖塔が取り囲む真ん中にはひときわ高く、青銅の屋根を持つ巨大なドームが鎮座している。
尖塔と尖塔、尖塔とドームはアーチ状の空中回廊で繋がっている。目を凝らして見るとローブを来ている人物が何人も回廊を行き交っているのが見える。
「これが森羅宮の『記録の尖塔群』と『知識のドーム』。皇帝陛下はあのドームの下、『森羅の帝座』におられるんや」
「…………」
その巨大さに圧倒されるエルンとネネ。
やがて馬車は大きな尖塔のひとつの根元にピタリと止まった。馬車の扉から尖塔の入り口までは赤絨毯が敷き詰められており、絨毯の縁に沿ってお仕着せを着た男女の使用人が、交互にずらりと並んでいる。
槍を持った警備兵によって馬車の扉が開けられると、扉のすぐ向こうの絨毯のうえには、迎えの使者らしき若者が立っていた。
「エルン・エルンスト2級魔道書記官どの、ですね?」
「あ、はい……私が、エルン・エルンストです」
「お初にお目に掛かります。わたくし、シフォン・メル・ドロワと申します。あなたと同じ紋章院所属の魔道書記官です。現在、紋章院から派遣されて森羅宮勤めをしております。よろしくお願いします」
明るくニコニコした人当たりのよい端正な青年だ。エルンより少し年上だろうか。ふわふわした金髪に青い瞳をしていて、エルンのような新米にも折り目正しく対応してくれる。
「エルンスト書記官、この度は相当のご活躍をなさったと伺っています。しかも初陣だったとか。ご苦労が多かったことでしょう。本当におつかれさまでした」
「エルンでいいですよ。オレのほうがたぶん年下でしょ? それにオレ、なんでここにいるのか今だにわからないんです。活躍なんてしてないのに……」
「ご謙遜を。すでにルビチェック首席監察官から聞いていますよ。第二重装騎士団が完全勝利できたのは、あなたのご活躍によるものだ、と」
「リリア……んっんーん、ゲフンゲフン。ル、ルビチェック監察官がそんなことを。それは彼女の大きな誤解なんです……」
(や、やっべー! ヤツに『リリア呼び』を強制されたおかげで、人前でも呼びそうになっちまったじゃないか! くそーっ、リリアめ……)
リリアは第二重装騎士団に滞在中、事あるごとに『リリア呼び』をエルンに強制し、ちょっとでも「監察官」とか「ルビチェック」などと呼ぼうものなら、その都度ネチネチとエルンを矯正していたのだ。
(その効果がこんなところで出てくるとは……いかん、いかんぞエルン。これからは十分気をつけねば)
ちなみにリリアは「自分が活躍したわけではないから」と馬車への同乗を固辞した。本当はネネと同乗するのが気分的にイヤだったのではないか、とエルンはニラんでいるのだが。
ただ同乗を固辞した後、リリアはこっそりエルンに「では帝都で」と耳打ちした。きっと帝都のどこかで姿を現すつもりだろう。




