作り話だよ
「逃げましょう」
ジークは部屋に入って一言、そう言った。
「まさか。ツェーザル司祭の証言だけで、神殿の、それも主神の招致を断ることは出来ません」
「でも、ドロシー様に何かあったら」
私達の会話を聞いて、宿で待っていたバルバラか眉をひそめながら事情を尋ねてきた。あらましをジークが話し、帰りましょうと強く進言する。ジークは騎士だ。私を守る事を何より優先している。
「落ち着いてください、ジークフリート様。これだけの情報で聖地行きを拒否すればドロシー様は逆徒と見なされてしまいます。それは、本当に命の危機が迫った時の最終手段でしょう」
「それが今ではありませんか?」
「いいえ。まだ神殿側に疑うだけの材料が足りません」
「危機が迫った時逃げ切れる保証はないでしょう」
「ここで、ドロシー様が逃げたらリジェ国がどれだけ神殿から責められるかお分かりですか?」
「夫人はドロシー様よりリジェ国の方が大事なのですか!?」
「そうではありませんが、しかし……」
ジークとバルバラの議論は過熱する。しかし、私の意見も聞いてほしい。
「2人共!」
4つの瞳が私に向く。
「私は神殿に行きます。アレクシス様と結婚出来なくなるのなら、リジェに帰っても意味がありません」
「ドロシー様……」
ジークはしゅんと項垂れる。
「ありがとう。ジークの気持ちは嬉しいわ。危険があるかもしれないけれど、もう少し私に付き合ってくれる?」
「はい」
「バルバラ、陛下に一応この事を伝えて欲しいの。貴女は毎日鳥を使って陛下とやり取りをしているでしょう?」
「ご存知でしたか。かしこまりました」
アレクシスは確かに逃げてもいいと言った。でも、それは、私の命が助かるだけで、アレクシスとの未来は消える。
(それに、大司祭様はそんな悪い人なのかしら)
彼はとっさに熱いお茶から私を守った。これから危害を加える予定の人間にそんな行動を取るだろうか。
次の日も私は大司祭様と2人で馬車に乗る。その際、ツェーザル司祭様が驚いた様に私を見ていたのが少し心苦しい。
(貴方の忠告に従えなくてごめんなさい)
「聖地まで後少しですね」
「そうだね」
大司祭様は今日も仮面を貼り付けている。馬車は走り出し、しばらくすると森へと入っていった。窓から見える木々が次々に流れていく。
(少しつついてみようかしら)
「私の他にも昔大司祭様と聖地に向かわれた女性がいらっしゃったとか」
「ああ。もしかして、ツェーザル君から何か聞いたのかい? 聖地は常に人々を温かく迎えるよ。聖地に行きたいという信徒がいれば俺は優しく案内するよ」
「それでその後、彼女たちは?」
「……」
大司祭は返事をしなかった。私は本当に死へと向かう馬車に身を委ねているのだろうか。
しばらくの沈黙の後、大司祭様は口を開いた。
「……君の魔力はとても強い。君の発生させる雨からは凄まじい力を感じたよ。土地を癒し、穢れを祓い、緑を育む。城に着くまでに君の降らす雨の調査をさせて貰った」
「そうですか。自分ではよくわかりません」
「そういう力をね、一国に持たれると神殿はとても困るんだ。とてもね」
大司祭様の鋭い瞳に私と心臓がどきりと跳ねる。これ以上聞いてしまって良いのだろうか。
(この先は、ジークやバルバラがいる時の方が)
「水をもたらす女神ローザリンテ。君なら豊穣の女神テレーゼの方でも良いかもしれない。テレーゼは美の女神としても名高いから」
「……なんの話でしょう?」
どこまで。どこまで聞き出して良いのだろう。
「君が死んだ後の地位だよ。良かったね、大国の王妃よりもよっぽど立派な地位だよ。各国の王さえ頭を下げるんだ」
「言ってる意味がよくわかりません」
冷や汗が流れる。この場から直ぐに離れろと全身の血が騒いでいる。しかし、ここは走る馬車の中だ。
「えっ? やだなぁ、もしかして神が本当にいると思ってる? そんなの神殿の作り話だよ。天啓? 無い無い」
「大司祭様!」
「時代が安定するにつれて、人々は神に感謝することを忘れる。僕ら神殿は常に人々に敬われる存在であり続けるように努力しなければいけない」
「大司祭様。それ以上は……。私は聞きたくありません」
「魔力を持つ人間というのは、とても貴重でね。これが無いとそもそも魔術なんて使えないし司祭としての価値なんてないんだ。君なら女神の地位を授かれるだろう。僕も後押しするよ」
「私は、リジェ大国の王妃だけで十分身に余る栄誉だと思っております。今の話は聞かなかったことに致しますので」
私はいよいよ大司祭様から目を逸らした。
「ううん。王妃となる前に神殿が君を貰うよ。ドロシー・ヘリオスという雨乞い師には死んでもらう。ヘリオスなんて神殿に与さない国がどうなろうと、俺達の知ったことじゃないしね」
「そんな」
神が呼んでいるというのは嘘だった。神殿は私という「魔力の高い人間」をただ欲しただけだった。このままではドロシーは死んだものとして扱われ、私は神殿に取り込まれてしまう。過去に消えた女性達はきっとそうなったに違いない。持って生まれた魔力が高かったため司祭として神殿に仕えているのだ。
私が居なくなれば雨の降らないヘリオス国はどうなるだろう。死んだと聞かされたアレクシスはどう思うだろう。それは自分が本当に死ぬよりもずっと恐ろしいことに感じられた。
大司祭様は何時もの貼り付けた笑顔ではなく、真顔で「逃げられないよ」とただ言った。
でも、どうしてこんな道すがらに?聖地に着くまで黙っていた方が安全だった筈。
私の思考を読み取ったのか、大司祭様はため息をついた。
「護衛はダメだと言ったでしょう? もう、アレクシスは抜け目無いんだから。でも、ルールを守らないならばそれ相応の対応をこちらも取らせてもらう」
(ジークのことがバレている)
昨日のカフェでジークは咄嗟に私の名を呼んだ。
(その際に勘付かれた?)
司祭様達がジークを排そうとすれば必ず諍いは起こるだろう。もし危害なんて加えられればこちらも黙ってはいられない。それを見越して、大司祭様は私を強制的に抑える手段に出たのだ。
「ジークを連れ出したのは私です。罰するなら私を」
大司祭様はにっこり笑った後、残念だったねと一言言った。
神殿側が聖地に連れて行った人を一度「死んだ」ことにするのは、帰る場所を無くすことと神殿が魔力のある人間を攫っていると公にしたくないためです。
次回は再び城の話になります




