壁
「君の瞳は本当に美しいよ。今夜俺の部屋にこない?」
「まぁ、大司祭様」
宿泊の為に寄った高級宿のホールの一角で大司祭様は手をとり甘い言葉を吐く。
「大司祭様、いい加減にして下さい。もう一体何人の女性に声をかけていると思っているのですか」
そう言って、大司祭様のお付きである中年のお付きの男が、慌てて通りすがりの女性を引き剥がした。
「美しい花に囲まれているとそれだけで幸せな気持ちになれるだろう?」
「大司祭様!」
私は一連のやりとりを遠目で見る。これで一体何度目だろうか、この光景を見るのは。大司祭様は所構わず女性に声をかける。見目が良いのをいいことに道行く女性に甘い言葉を囁くのだ。本当に聖職者なのかと疑いたくなるほどだ。
女性を引き剥がされ、口を尖らせた大司祭様は、そこで漸く私に気がついた。
「やぁ、雨乞い師。君も食事から帰ってきた所かい?」
「ええ。旅に慣れた司祭様が色々お勧めの場所を教えて下さるので、美味しいお店に行けました」
そう。町を出歩く際は司祭様が同行することになっている。大司祭様のお付きとして同行していた下級司祭様の一人である。黒い法衣を着た彼は見知らぬ土地を案内してくれてとても助かる。……のだが、見張りとして私に付けられているのだろう。そんな事をしなくても、逃げたりなんてしないのに。
「楽しめているなら良かった。不便なことがあるならいつでも言って」
「ええ。お気遣いをありがとう」
にこりと笑った大司祭様は、するりと私の横を通り過ぎる。彼は必要以上に私に話しかけない。正直楽なのだがどこか壁がある感じがする。どう考えても好意的に見られていない。
(リジェの妃になるのに、大司祭様からの印象が悪いのはきっと良くないわよね)
うん。この旅でなんとか印象をよくしよう。
私は決意を新たに、あてがわれた客室に入る。司祭様は流石に中には入ってこず、頭を一度軽く下げて廊下に残った。
扉が閉まり、一息つくと私の後ろについてい侍女が小声で話しかけてきた。
「王からは注意する様に言われましたが、こちらが拍子抜けするくらい神殿側からは何もアクションがありませんね」
「ふっ……」
女性にしては低めのその声に笑いがこみ上げ、口元を両手で隠す。
「ま、また笑って!」
真っ赤な顔で声の持ち主は肩を震わす。それがまた可笑しい。
「ご、ごめんなさい。ジーク。付いて来てくれたのに。でも、余りにも貴方が可愛らしくて。……ふふ」
我慢しようとすると、余計に笑えてくるのは何故だろう。ジークは頰を膨らませて俯く。侍女に扮するという荒技は、まだ15歳の彼にしか出来ないことだ。肩幅が若干逞しくはあるが、十分女性として通用する出来である。当然バルバラのメイクの腕が有ってこそだが。
「貴方が付いて来てくれるなんて心強いわ」
「俺は貴女の騎士ですから。どんな手段を使っても側でお守りします」
私は笑いを堪えた涙を指で拭う。実際ジークとバルバラが居なければこんな心穏やかに過ごせなかっただろう。ジークは少しかわいそうな思いをさせてしまったが、一緒にきてくれて本当に嬉しい。これも、陛下の思惑を正確にキャッチしたバルバラのお陰である。やはり、経験豊富な侍女は違う。
「それでも、喋ればボロが出ます。人前で話すのはどうぞお控え下さいませ」
バルバラは澄ました顔で言った。
「はい。そもそも、女性らしく振る舞うだけでもういっばいいっぱいですよ」
「大丈夫よ、バレそうになったら私もフォローするから」
それくらいしなければ、申し訳ない。私は、ジークの手を取って励ました。
「……はい」
「では、まずその顔を赤くする癖から直しましょうね」
バルバラの呆れた視線にジークは小さな声で「はい」っと返事を返した。
旅は順調に進んでいる。もう明日には国境を越える予定だ。
「ねぇ、私明日はもう少し大司祭様とお話ししてみようと思うの」
「ひっ。絶対やめた方がいいです。数日彼を見て来ましたが、常に女性とベタベタしているではありませんか。日中は馬車で大司祭様と2人きりっと考えるだけで、俺の胃がどれだけキリキリしているか。ドロシー様まであの毒牙にかけられたらと思うと……」
「わたくしは良い事だと思いますわ。大司祭様と縁を作る絶好の機会です。ドロシー様が王妃となるならば、彼らと上手く付き合わなければなりません」
ジークとバルバラの意見が分かれる。
「そうね。私もバルバラと同意見だわ」
バルバラと意見が一致するのは心強い。
「明日は大司祭と時間を過ごしてみるわ。護衛のジークには心配をかけるけれど。ごめんね」
「いえ。俺はドロシー様のしたいことを全力で補佐するだけです」
ジークの「納得出来ないけど!」と言いたげな口調に私は苦笑する。
「ありがとう」
次の日、私はいつもと同じ様に大司祭様の馬車に乗せられる。
「おはようございます、大司祭様」
「おはよう、雨乞い師」
この人は、私のことを「雨乞い師」と呼ぶ。別に名前で呼ばれたい訳ではないがヘリオス国の役職で呼ばれるというのもなんだか変な感じだ。
「どうぞ、ドロシーとおよび下さい」
「君を名前で呼ぶなんてアレクシスに怒られてしまうよ」
「アレクシス様はそんな狭量な方ではありませんよ」
「そんなことないさ。あいつのことは俺の方がよく知っている」
「はぁ」
どうも話を逸らされる。
「もうすぐ国境ですね」
名前の件は諦めて私は本題の方に話を進める。窓からは国境と検問所が見える。神殿の印が入っているこの馬車であればほとんど時間を取られることもなく抜けられるだろう。
「そうだね」
「なかなかこんなに他国を見て回れる機会なんてないもの。宜しければ次の休憩は町を一緒に見て回りませんか」
旅は1日に数度立ち寄った町などで休憩を取ることになっている。大司祭様は、休憩や宿泊などで町に停留する際は必ずといって良い程町に行っていた。
「うーん。僕も忙しいからね」
大司祭様は笑顔だが、拒絶の意思がびりびりと伝わる。
「わかりました。では、勝手に付いて行きます。それだったら良いでしょう?」
「残念ながら、雨乞い師に構っている暇は無いんだよ」
「大丈夫です。私が勝手に付いて行くのですもの。何があっても恨み言など申しませんわ」
「へぇ。例えば」
大司祭の目はゾッとするほど冷たい目をした。
「殺されても?」
やっぱりアレクの言う通り、この人には気をつけなければいけない。私は何かこの人の恨みを買う様なことをしたのだろうか。
「まぁ。大司祭様はご冗談がお上手で」
声が震えない様に。恐怖が表情に出ないように。あくまで余裕をもって返事をする。ここで引いては相手の思う壺だ。
「ふふ。ごめんごめん。聖地まで雨乞い師を送り届けるのが僕の仕事だ、気にしないで。空いた時間は君の好きにすれば良いよ」
「ありがとうございます」
国境の検問をすんなりと超えた馬車は、直ぐに隣国の町へと入り広場で止まった。日はまだ高い。ここで一旦、休憩をとるのだろう。
私はジークと共に大司祭様の後を歩く。
まだこの時の私は大司祭様の思惑を知る由もなかった。
次回は城に残っているアレクシスの話になります




