ふと食べたくなるものって、なーんだ?
「ねえ、緑」
俺と笠野、ではなく、葵が友達になった翌日の朝。まだちらほらとしか人がいない教室にて。隣の席に座るクラス一の美少女とやらが今日の授業の予習をしていた俺の方に顔を向け、話しかけてきた。
今日はどんなくだらない話題を持ち込んでくるのやら。
「何だ?」
手に持っていた鉛筆を机に置き、横目に葵を見ながら、これから始まる会話に意識を向ける。
彼女の口から出た言葉は相変わらず突拍子のないことだった。
「ふとさ、ああこれ食べたいなって思う瞬間ってない?」
「......朝ごはん食べてないのか?」
朝から食べ物の話をするということはきっとお腹が空いているのだろう。
「ちゃんと卵かけご飯食べてきたよ?」
俺の質問の意図がわからないというような表情をする葵。
「食べたのにまだお腹が空いてるのか、さすがだな」
「? 別に空いてないけど?」
「? 空いていないのか?」
「うん」
「そうか......。
で、何の話だったか?」
「......何の話だったっけ?」
軽く横に首を傾げる葵。
おい、自分が出した話題くらい覚えとけよ。
「ふと何かが食べたくなる瞬間があるかないかの話じゃなかったか?」
「そうそれ!!」
何かを閃いたと言わんばかりの勢いで葵は人差し指の先を俺に向けた。
「人を指さすんじゃありません」
「あ、ごめん」
俺の指摘に恥ずかしそうに手を引っ込める。
それにしても、何かを食べたくなる瞬間か。
「勉強してる時とかは、糖分が欲しくなるな」
「あー、よく言うよね。チョコレートとか食べたらいいんだっけ?」
「チョコレートもそうだが、グミとかも効果的だな。噛むっていう行動は脳を刺激して集中力が上がるって言われてるからな」
「へー。あ、そういえば」
突然、葵は机の横にかけてあった自分のカバンに手を突っ込み中を物色し出した。
「何やってんだ?」
「うーんっと、ちょっと待ってね。
......あ!! あった、あった!!」
探し物が見つかったようで、鞄から出した手にはなんだか見覚えのある手のひらより少し大きめのサイズの小袋を持っていた。
「それって......」
「そう!! ちょーかたいグミ!!」
『ちょーかたいグミ』。その名の通り、超硬いグミである。発売当初は話題になったが、あまりの硬さゆえに買う人は激減した。まあコアな層には今も人気があるみたいだが。目の前のやつとか。
「で、それがどうしたんだ?」
「いやそういえばこの前買って鞄に入れっぱなしだったなと思って」
鞄に入れっぱなし......?
「なぁ、葵」
「な、何、かな? 緑」
じっと、葵の目を見て俺は問いかける。少し葵の顔が赤い気がするが、今はそんなことよりも聞かなければいけない大事なことがある。
「"この前"っていつだ?」
「え......? あ、グミを買ったのがいつってこと?」
「ああ」
なんだ、そんなことかと言った後に、葵から出た言葉は俺の地獄耳を疑うものだった。
「えっと、1ヶ月、いや2ヶ月くらい前だったかな?」
「はいアウト!!」
「え、なんで?」
「あのなぁ。例え開けてないからって、鞄の中に2ヶ月も食べ物を入れておくやつがいるか?」
「ここにいるよ?」
「葵はいつだって例外だ」
「それに、もう開封済みだよ?」
「尚更よくねえわ!!」
「もう、細かいなぁ、緑は。これでも食べて落ち着いて」
葵は、まるで餌付けするように袋から取り出したグミを俺の口元へと持ってくる。
「ああ、ありが、って、さらっと食わそうとするな!!」
「ええ、なんで!! 美味しいよ〜!!」
「葵の味覚と常人を一緒にするな!!」
その後も、葵は諦めず俺の口にグミを入れようとしてくる。
「かわいい女の子からのあーんなのに、なんでそんな拒絶するの?」
「そんな恐怖のあーんがあるか!!」
「むむむむむ」
「そんなことより、葵はふと何かが食べたくなる瞬間はあるのか?」
「そんなの、その時にならないとわからないよ」
「さいですか」
「そんなことよりも、グミを、食べろ!!」
「や、やめろ!!」
しばらく、俺と葵の激闘は続いた。
「はぁ、はぁ、はぁ。なかなか手強いね、緑」
「はぁ、はぁ、はぁ。葵もな」
「仕方ない。今日のところは諦めるよ」
「明日以降も諦めろ」
こうして今日の戦いは終わりを告げた。いやもうするつもりはないんだが。
「そんなことよりさ。緑って、鉛筆使ってるんだね?」
「突然だな。まあ、使ってるが。悪いか?」
「いや別に悪くはないんだけど。珍しいなと思って。最近はみんなシャーペンを使ってる人が多いしさ」
「まあ、確かにシャーペンの方が使いやすいってのは分かるけどな。でも、鉛筆を使ってると集中する時間と休憩する時間のリズムがとりやすいんだよな」
「リズム?」
「ああ。鉛筆をある程度の時間使ってると芯が潰れてきて使い物にならなくなるだろ? そうすると、削らないと、勉強を再開できなくなる。ここで、休息をとって、それで、鉛筆を削って再開する。この一定のリズムで勉強するのが俺は好きなんだよ。あと削る音が好きってのもあるな」
「もしかしたら、それが緑の成績がいい理由の一つなのかもしれないね」
「どうだろうな。まあでも単純にみんなから忘れられる鉛筆に同情しただけってのもあるかもな」
「......素敵だね」
「どこがだよ」
ふと、自分の鉛筆に目を向ける。これからいつまで使うかわからないが、ある程度は使ってやりたいとそんなことを思った。
「隙あり!!」
突然、口に何かを入れられる感覚と唇に柔らかい何かの感触が......。
「っ!? に、にゃにをっ!?」
「へっへっへ、油断禁物だよ!!」
そう言って自分もグミを口に入れる葵を見て、自分の口に広がる甘さを味わいながら、俺が思ったことは。
硬くなくなってんじゃねえか、ってことだった。
「なあ、他にカバンに入れっぱなしなもの無いだろな?」
「え、あるわけない、あ、昨日買った肉まん入れっぱなしだったかも」
「絶対捨てろ」




