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裏切りの色は・2

「……っ!」


 彼は、がばっと布団を跳ね上げた。


「……っく、は……――ぁ」


 胸を押さえ、定まらない焦点で辺りを見回す。雇われてから与えられた、もはや見慣れた彼の部屋だった。


「イヤな夢を見たものですね。いまさら、夢に出てくることもないでしょうに、オズリック」


 淡々と呟くと、彼はベッドから降り、そっと窓に近寄った。閉めていたカーテンをほんの少しだけ開けて、外の様子を見る。空が赤く染まり始めていた。

 彼は眉間を押さえて、目を閉じた。脳裏に浮かぶのは悪夢の残骸か、その顔は険しい。

 やがて、青い目を開いた彼の顔には、起き抜けに見せた焦燥は微塵も感じられなかった。迷うことなく壁際のタンスを開け、隣の鏡台にぽいぽいと服とタオルをかけた。そして、汗に濡れた上着を脱ぎつつ、鏡の前へ立ち―――


「……」


 視界に入った自分の顔に、心底イヤそうな顔をした。

 別に、顔が悪いというわけではない。流れるような金の髪に、宝石もかくやと輝く瞳。不機嫌そうに歪めた唇は、それでも摘みたてのサクランボのようにみずみずしく、肌は真珠のように白かった。はだけた上半身はバランス良く筋肉がついているが、それだって、何ら彼の美点を損ねることはない。

 それでも彼は、極力、鏡から視線を外し、タオルで汗を拭うと、さっさと着替えを済ませてしまった。


「そろそろ、目が覚めた頃ですかね」


 様子を見に行こう、と、部屋を出た。

 確か隣の部屋に縛りつけておいた筈だから、と、ガチャリとドアを開ける。


「てめー、ジュリオ! オレに何しやがった、こんちくしょーっ!」


 出迎えたのは、何とも元気な罵声だった。


「目覚めはいいようですね、ヴァンさん。ところで、私がこの部屋を出たときには、イスは倒れていなかったと思うのですが」


 淡々とした指摘通り、ヴァンは彼を縛ったイスと一緒に地面に転がっていた。

 ムッとした表情の彼が「うるせー」と毒づく。


「目が覚めているのなら、丁度いいですね」


 ジュリオは倒れたイスの背に回ると、固く縛りつけた縄をあっさりと解いた。


「……?」


 なぜ、縄を解かれたのか、とヴァンが疑問に思った途端、襟首を掴まれ、無理矢理立たされた。


「んぐっ! ……げほっ、げほ」


 立ち上がって、呼吸を許されたと思った直後に、右手首をぐいっと背中に捻り上げられる。


「これから、マダムのところへお目通りです。くれぐれも粗相のないようにお願いしますよ」


 抵抗するのも無理のようだった。はっきり言って、ナサニエルを相手にしたとき以上にタチが悪い、そう思って、その存在に思い当たった。


「ナットは、どうした?」


 歩かされつつ尋ねると、「死んでませんから心配なく」と答えが戻って来た。


「斡旋所への報告は、あの人に行ってもらいました。……彼自身の安全と引き換えにしたら、快く承知してくれましたよ」


 つまり、そうしなければ、夜道で何が起こるか分からない、そう脅したということか。


「グゼイル先生も、グルか」

「いいえ? あの人にそんな腹芸なんていう芸当はできませんよ。見ていて分かるでしょう」


 言われて、何となく頷いた。


「元々、私は遺跡に一番近い町に残り、聞き取り調査を続ける手筈でしたから。あの人も何の疑いなく帰りました」


 淡々と答えたジュリオは、その青い瞳を細め、「自分の心配でもしたらどうですか」と呟いた。


「……さぁ、もう何か、どうでもよくなったみたいだ」


 少なくとも、他の人間が無事と知って、ホッとしている自分がいることに、ヴァンは驚いた。


「そうですか。でも、下手にメソメソされるよりはいいですね」


 ヴァンからは、背後のジュリオの顔は見えなかったが、何となく励まされているような気がして、首を傾げた。


「ここです。心の準備ぐらいはしておいてくださいね」


 返事も待たずにジュリオの手がドアをノックした。


「どなた様でしょうか?」


 部屋の中からは、少し甘えたような女の声がした。ヴァンが最も嫌う声質だった。


「ジュリオです。目が覚めたようなので、連れて来ました」

「そう、お入り」


 別の声が、冷酷に答えた。そのギャップにヴァンは目を丸くする。


「失礼します」


 ヴァンの目に最初に飛び込んで来たのは、お揃いのグレーのワンピースに白のエプロンをつけた女性達だった。三人の女性は、その手にポットやら砂糖菓子の乗った皿やらナプキンやらを持って、中央の女性を隠すように立っていた。


「お茶はもういいわ。さがりなさい。……あぁ、そうそう。マルコにここへ来るように伝えてちょうだい」


 三人の侍女は揃って一礼すると、ティーセットを片付けて、そそくさと部屋を出ていく。途中、その中の一人がヴァンに―――いや、ヴァンを戒めているジュリオに色気たっぷりのウィンクを送る。彼は目礼でやり過ごしていた。


「それで、えぇと、その子は何といったかしら?」


 侍女がいなくなったことで、ヴァンの目に、ようやく女主人の姿が見えた。

 濃いワインレッドのドレスに身を包み、高そうなイスに悠然と座っている彼女は、四十代ぐらいに見える。やや厚めの化粧で、年齢を隠そうと努力しているのは目に見えたが、目許や口元のシワはもう若くないことを主張している。

 ヴァンの視線に気付いたのか、彼女は紫色の扇子で口元を隠し、そのエメラルドの瞳をすっと細めた。


「ヴァン、という名前です。マダム」

「そう……。偽名だということは分かっているわ。あなたの本当の名前は?」


 偽名、その言葉に、ヴァンの瞳が揺らいだのを、目の前のマダムは見逃さなかった。


「黒い髪、黒い瞳。ファン・ル・ファンの人間の特徴ね」


 マダムがすっと立ち上がる。そして、ジュリオに右腕を掴まれたままのヴァンに、近寄った。


「まさか、ファン・ル・ファン出身の人間に育てられた、という生い立ちで、隠し通せると思ったの?」

「マダム、近寄ると噛みつかれるかもしれません」


 ジュリオの忠告を無視して、彼女はヴァンの顎を掴んだ。


「別に、とって食べようというわけではないのよ。あたくしは、あなたができることを教えて欲しいだけ。もし、あたくしの探していた人材なら、一生、可愛がってあげてよ」


 目の前で艶然と微笑む彼女に、言いようのない寒気を感じ、ヴァンは「断る」と口にした。


「あなたのおトモダチが犠牲になってもいいのなら、そういう答えもいいかもしれないわねぇ」


 ねっとりとした口調で囁くのを聞きながら、ヴァンは「おトモダチ」という言葉に、バイト仲間のユーリアを思いだした。まさか、そんなことは……。


「何と言ったかしら、……ナサニエル? そんな名前だったわねぇ」


 幸か不幸か、彼女が口にしたのは別の名前だった。


(まさか、ナットが……?)


 それは、考えにくいことだった。別にただ、仕事で一緒になっただけだから、目の前の女性が人質にとるということは考えにくい。だが、ヴァンの知る『ナサニエル』は、焦茶のくせっ毛の、どこか飄々としたあの男しかいなかった。

 ヴァンの沈黙をどう解釈したのか、マダムは手を放して背中を向けた。


「マルコったら、遅いわねぇ……。何をしているのかしら。―――あぁ、そうそう」


 マダムは、再びイスに腰を落ち着けると、さっきまでティーセットの乗っていたテーブルに残っていたものを手にとった。


「これのことだけれど」


 マダムがヴァンに見せたのは、茶色い革の手帳だった。手垢の黒ずみ具合から、かなり使い込んだものだと分かる。


「それは……?」

「てめぇ、何、人の荷物あさってやがる!」


 ヴァンの怒号が部屋に響く。ジュリオは、マダムに掴みかかろうとした彼の腕を捻り上げた。


「あら、見られたくないものだから、そういうふうに怒るのかしらねぇ」


 扇子を口元に当て、くすくすと笑うマダムに、ジュリオが「それは?」と尋ねた。どこかで話をスムーズに運ばないと、マダムの怒りを買うと思ったのだろう。


「ふふふ……、これは、そうね、辞書のようなものね。知らない言葉で書かれたものを訳すには、辞書が必要でしょう?」

「そうですね。ですが、ただの辞書ではないのでしょう?」

「賢いわね、ジュリオ。これはファン文字、しかもファン文字から共通語を読むための辞書だそうよ」

「!」


 驚きがヴァンを支配する。確かにマダムの指摘通り、それは、共通語の単語についてファン文字で解説を加えたものだった。だからこそ、ファン文字を知らない人に、分かるわけもなかったのだ。


「な……んで、それを」

「あらぁ? まさか、あたくしの近くにファン文字を知る人間がいないとでも思ったのかしら? あの学者に、ファン文字を教えられる人材を紹介したのも、このあたくしよ?」


 得意げにマダムが言い放った直後、ドンドンと乱暴なノックが響いた。


「マルコね、遅くてよ。……お入り」


 少し乱暴にドアを開けて入って来た人物は、そのままドアの近くで立ち止まった。残念ながら、ドアを背にしたヴァンには見えないが、苛立った気配だけは、足音から伝わって来た。


「まだ、何か用があるのか?」


 男の声は、低くしゃがれていた。それでも張りがあるように聞こえたということは、若い男なのだろうか。


「いつもながら、口の聞き方を知らない男ね。……単なる顔判断よ」


 マダムは不快を隠しもせず、男に手招きをした。


「あなたの顔判断次第では、あなたの役目も終わるわ」

「それは結構なことだ。あんたも、こんな若造の機嫌取りには飽きただろう」


 自嘲めいた呟きを漏らしながら、男はゆっくりとマダムの方へ近付く。そして、ジュリオに動きを封じられたままのヴァンの顔を見た。


「さぁ、どうかしら?」


 ようやく、男の容姿が、ヴァンの視界に入る。

 バサバサの黒い髪。身体は痩せてはいないが、どこかひ弱さを感じさせる青白さを持っていた。石炭のような瞳の下には、疲れを示す隈がシワを寄せている。淡い群青色の長袖に、ぶかぶかの濃い藍色の半袖をだらしなく重ね、腰に手を当ててヴァンを見ていた。


「よくよく考えたら、別に全員の顔を覚えてたわけでもないし、六年前じゃ、そうそう分かるもんでもないな」

「あら、そう? でも、巨人の巫女の家系ではないのかしら?」

「そうですね、遺跡の中で罠解除の言葉を口にしていたので、そう思ったのですが」


 ジュリオの言葉に、「女なのか?」と男がヴァンをまじまじと見た。


「女じゃねぇって言ってんだろ! どいつもこいつも、人を女扱いしやがって!」


 がーっと牙を剥くヴァンに、マダムがほほほ、と笑った。


「報告は聞いているわ。服の下にサラシを巻いているんですって? おおかた、ドリフターを続けるために男と偽っているんでしょう?」

「サラシを解いてみれば分かることですが」


 ジュリオが冷たく口にした、「ぐだぐだ言ってると裸にひん剥くぞコラ」と同義のセリフに、ヴァンの顔に朱が散った。


「別に、そこまでして、性別を確定させたいわけでもないでしょう」

「そうね、男か女かなんて、どうでもいいことだわ。別に巫女になれるのは、女に限ったことじゃないんでしょう?」


 視線で答えを促されると、男がイヤそうに口を開いた。


「そうだな。要は最初の巫女の血を引いているかどうかだ」


 マダムの方を向いた男の耳の下、小さな耳飾りを見つけたヴァンは、そこを凝視した。拙い木彫りの滴型の耳飾りに、とても、よく、見覚えがあった。


「……ぶろーとへる」


 小さな呟きに、驚いた男の視線がヴァンを貫いた。


「せあく・せっさ・りよん・ようりある、い・はーべん・あでしす」


 ヴァンの口から紡がれる言葉に、男の目が見開かれる。


「口を閉じなさい。その言葉で話すことは禁じます。……マルコ、お前の知っている人間なのね?」


 マダムの言葉に、彼は首を横に振った。


「どうやら、向こうはこっちを知っているようだ。そんなに顔が広かったわけでもないはずだが」

「そんなことはどうでもいいわ。あの子は何を話したの?」


 マダムが苛立ちを表すように、扇子をパチンと閉じた。


「そいつの友達の兄がオレだと。この耳飾りは友達が作ったものだと言っていたな」


 マルコが指で自分の耳を弾くと、ヴァンがきゅっと唇を噛んだ。


「あら、じゃぁ、巫女の家系ではないの?」

「そんなことは知らん。……首実験はこれで終わりか? それなら戻るが」

「えぇ、構わないわ。そうそう、そろそろアレをやらないといけないわね」


 アレというのが何か分からないが、イヤがらせのような言葉なのだろう、マルコの顔が僅かに歪む。


「心なしか、間隔が狭くなっているような気がするな。そのうち効力もなくなるかもしれん」

「なんですって!」


 血相を変えたマダムに背を向け、マルコはあっさりと部屋を出て行った。


「相変わらずのようですね」

「えぇ、そうなのよ。まったく、しつけが上手くいかなくてねぇ」


 ジュリオにねっとりと絡みつくような視線を向けるマダムは、お前のしつけは上手くいったわ、ほほほ、と言わんばかりの勢いだった。


「それで、……そうそう、忘れるところだったわ」


 視線を受けて、ヴァンが無言で睨み返す。


「あなた、自分の素性を語る気はないのかしら?」


 答えの代わりに、ヴァンはそっぽを向いた。


「あなたが巫女の血筋なら、そうね、一生楽させてあげるわよ?」


 ヴァンはマダムとは別の方向を向いたままで、特に反応も返さない。


「……あなたのおトモダチがどうなってもいいのかしら?」


 どうやら戦法を変えたようだ。アメがだめなら、ムチで。

 だが、それでもヴァンは返事ひとつしなかった。

 彼を捕まえているジュリオには、その理由は分かっていた。近くで見れば、目にうっすらと涙が溜まっているのが分かる。だが、それを目の前のマダムに教える気はなかった。


「そう、そこまでかたくなに拒むのなら―――」


コンコン


 ノックの音が、彼女の言葉を遮った。


「奥様、夕食の用意が整いましたが、いかが致しましょうか」


 ドアの向こうから、さっきの侍女だろうか、若い女の声が聞こえた。


「すぐに向かいます。……その子を、おトモダチと同じところに、入れておあげなさい。あと、マルコに……分かっているわね?」


 後半は、ジュリオに向かって投げられた言葉だった。


「全て、マダムのおっしゃるままに」


 ジュリオは優雅に礼をし、またヴァンの頭を強制的に下げさせると、部屋を出て行った。ヴァンも、特に抵抗はしないまま、連れて行かれる。


「まったく、ファン・ル・ファンの人間はどれもこれも―――!」


 立ち上がったマダムはドレスの裾を優雅に持ち上げると、先程まで座っていたイスを、思いきり蹴飛ばした。


「……まぁ、いいわ。あの子が巫女なら、全ては終わることですもの」


 彼女はひとしきり、くすくすと笑うと、倒れたイスを残して、ゆっくり部屋を出て行った。



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