紫の瞳は明日を見る
「へー、なるほどね。それで、そっちは?」
「あちらの部屋に置いてあります。近くにあるとうるさいので」
ヴァンは寝返りを打った。柔らかい布団に包まれ、お茶のいい匂いが漂っている。
「あれ、お湯が少ないよ。取って来てもらえるかな?」
「……私がいない間に、何をする気ですか」
「やだな、そんなに信用ないかい? あぁ、ついでにお菓子もね。君は顔がいいから、色んな人からもらえるだろう、お菓子」
「子供ですか、私は」
やがて、静かな足音とともに、一人が出て行った。
もう、その頃には、ヴァンの目も完全に覚めていた。
(ここは、……どこだ?)
ふかふかの布団、お茶の匂い。さっき出て行った声は、たぶん、ジュリオのものではないだろうか。
「あれ、起きちゃった?」
耳元で声をかけられ、ヴァンはがばっと起きあがった。低く、艶のある声に、思わず鳥肌が立って、服の上から腕をこする。
「な、んだ、お前は……っ!」
「なんだって、まぁ、なんだろうね?」
面白そうな表情を浮かべているのは、年の頃が二十代後半の青年だった。赤毛に近い金髪を後ろで無造作に束ね、品の良さそうな―――ついでに高価そうな服をまとっている。琥珀のような目には、好奇心という感情がきらきらと輝いていた。
「ちょうど、お茶を入れてるからさ、ちょっとこっち来て飲まない?」
手招きされ、仕方なく、布団から這い出したヴァンは、声にならない声をあげた。
「なんっだ、これーっ!」
着ていたのは、グレーのワンピース。そう、デルモーグの邸から抜け出るときに着ていた、メイド服だった。
「なんで、こんなもん着て―――」
そこまで口にして、大事なことを思い出す。
(神……ハーちゃんは?)
部屋を見渡せど、その姿はない。
無駄に大きなベッド、ちいさな食器棚、テーブルにはイスが二脚。その中央で湯気の立つポット。隣で裏の読めない笑顔を浮かべる青年。
「白い人なら、別の部屋にいるよ」
にこにこと微笑む青年を、ぎろりと睨み、ヴァンは小声でハーちゃんの名を呼んだ。
『お前の隣の部屋にいる。何か問題でもあったか』
『オレがどうしてここにいるんだ? って言うか、ここはどこだ?』
『さてな、王都までお前達を運んだが、あとは、あいつが意識を失ったお前を運んだからな。我はそれに付いて来ただけだ』
(王都―――?)
ということは、目の前のこの青年が、ジュリオの本当の雇い主か?
「状況は分かってもらえたかな。それじゃ、座って座って」
ヴァンは、警戒しつつ、勧められたイスに座った。大丈夫、何かあれば呼べばいい。それに、ジュリオに『連れて来るよう』命じていたのだったら、すぐにどうこうするとは思えない。
「いやぁ、そのうち、あいつがお菓子をたくさん持って来るはずだから」
目の前のティーカップに、とぽとぽと赤褐色の液体が注がれる。「どうぞ」と勧められ、飲もうかどうしようか迷ったとき、ドアが開いた。
「あぁ、ヴァンさん、起きたんですね」
山ほどクリームの乗ったスコーンだの、きれいな星型にされたクッキーだのを山盛りに乗せた皿を持って、入って来たのは、金髪の美青年だった。
「ジュリオ、何でオレがここにいるのか説明してもらいたいんだけどな」
「いやですねぇ、王都に着くなり眠りこんでしまったので、私がここへ運んで来ただけですよ」
皿をテーブルの上に置くと、彼は窓にかかっていた分厚いカーテンをサァッと開けた。途端に乱暴な日差しが目を焼いた。
「もう、昼過ぎなんで、お腹すいてるでしょう? 甘いものしかありませんが、どんどん食べてください」
「おやおや、優しいことだね、ジュリオ。その優しさを少しはこっちにくれたっていいのに」
にやにやと皮肉った見知らぬ青年は、ヴァンの向かいに座った。
確かに、お腹が空いていたが、それでも、目の前のものを食べるのには抵抗がある。
「それで、こいつがあんたの雇い主か?」
「うわぁ、こいつだなんて呼ばれたの、何年振りかな。すごい新鮮」
こいつ呼ばわりされて、逆に喜ぶ青年を、ヴァンは胡散臭いものを見るかのように視線を送った。
「でも、こいつなんて、女の子が使う言葉じゃないね。もっと丁寧な」
ダンッ!
「誰が、女だって……?」
怒りに腕を震わせ、ヴァンが低い声で問い返した。
「え? だって、君が巫女なんだろ? それにスカートだって似合ってるじゃないか」
「あー、あのですね。ヴァンさんは―――」
「オレはれっきとした男だっ!」
从从从从从从从从从从从从从
数分後、事情をジュリオの口から聞いた青年は「へー、そうなんだ」と頷いた。
「つまり、君のお母さんは『かわいい子が欲しい』と願ったけど、君の性別は男で? それでも、自分が巫女になったときに性転換をお願いすればいいや、って女として育てていたと?」
改めて事情を他人の口から聞くと、なんとなく、情けなくなってきた。
「それで、どうしてスカート履いてるんだい?」
「それはオレも聞きたいな、ジュリオ」
イスに座った二人に見上げられ、ジュリオはあさっての方向を向いた。
「その服は、デルモーグ氏の邸の侍女の服なんですが、邸を出る際に、ヴァンさんが着て来たものなんですよ。それで、一度は着替えたのですが、山小屋からこの服が見つかるのは色々とまずいと思って持っていたんです」
「それはいい。問題は、どうして今、オレがこの服を着てるのかってことだ」
「ヴァンさん、あなた、王都に着いたとき、自分がどんな格好だったと思います? 全身血まみれですよ? 他の服を持っていたわけでもありませんし、ヴァンさんは血を流し過ぎたのか、あっさり寝てるし、……で、着替えさせました」
ジュリオの言葉は、確かに筋が通っている。たぶん、その通りなんだろう。……が。
「まぁ、いいじゃないか。君がその巨人に言って、女になれば済む話だろ?」
目の前の青年は、笑顔でそんなことを言ってのけた。
ヴァンはぎゅっと拳を握ると、目の前の男を見据えた。
「それで、あんたは誰なんだ? ここは王都のどの辺りだ? オレを連れて来ようとした理由は?」
ヴァンの言葉に、一瞬、きょとんとしてみせた青年は、次の瞬間、大声で笑った。
「あははははっ! 何これ、すごい好みなんだけど!」
「笑い過ぎです。……えぇ、と、ヴァンさん。あなたの質問に答えますと、この人は私の本当の雇い主で、いま、この場所は王都の中心にある建物です。理由は、本人に聞いて下さい」
全然、答えになってない答えに、ヴァンは帰ろうかと本気で思った。どうも、すっきりとした回答が得られない。ジュリオといい、この男といい、王都とは物腰が丁寧なくせに本心を明かさない人物が多いのだろうか。
「それじゃ、答えになってないよ、ジュリオ。まぁ、自己紹介すると、実は僕は王様で、ここは僕の家、まぁ、城とも言うね、それで、なんで連れて来てもらったかと言うと―――」
「待て。……王様?」
ヴァンが、目の前の男を指差した。
記憶が正しければ、六,七年前に即位した時点で、二十四歳だったはずだ。ということは、現在三十前後。残念ながら、中央の政治には一切興味がないので、肖像画すら見たこともなかった。
「そ、王様。何かさー、いろいろごめんね? あいつがなかなか尻尾を掴ませないもんだから、時間かかっちゃって」
あはは、と笑う目の前の男は、とてもヴァンのイメージする『王様』とはかけ離れていた。
「あー、オレ、帰るわ。なんかろくでもない悪夢見た感じ」
立ちあがったヴァンは、二人を見据えたまま、ハーちゃんを呼びつける。
ヴァンの後ろに突如現れた白い男に、自称『王様』は、おぉ、と拍手した。
「すごいねー。それが噂の巨人か。……っと、ちょっと僕の話も聞いてもらえないかな」
「どうせ、ろくでもない話だろ」
「やだなー、ビジネスの話だよ。ビジネスの。……君、今、仕事ないんだろ?」
テーブルに両肘をついて組んだ男は、どこかワクワクしている顔で、そう持ちかけた。
「こいつにはさ、表立って動けないような色々なことをやってもらってるんだけど、そのサポートやんない?」
「断る」
ヴァンは白い男の腕を掴んだ。さっき呼び出した時に『触れていなかった』代償を、今、渡すのだ。何かが流れているのに何も失われていない、あの感覚に、彼の顔が少しだけ歪む。
その様子に気付いているだろうに、自称『王様』は、面白そうな笑みを浮かべて続けた。
「じゃぁ、王都に君を文無しで放り出すけど、いいよね? その格好だけど」
ヴァンの表情がぴしり、と固まる。逆に笑みを浮かべたのは白い男――ハーちゃんの方だった。
「僕の頼みを聞いてもらえたら、もちろん、服も支給するし、住む場所だって―――」
コンコン、というノックの音に、彼の追い討ちが止まった。
「誰だ?」
「あの、そろそろお時間になりますが、お着替えをなさいませんと」
ドアの外から聞こえる控えめな声に、男はやれやれと肩をすくめた。
「分かった。今行くよ。……そういうわけなんで、僕が戻るまで、引きとめておいてくれるかな、アム」
アム、と呼ばれたジュリオは、「可能でしたら」と曖昧な返事をする。その返事に満足したわけではないだろうが、男は、部屋を出て行った。
「お茶、飲まないんですか?」
「……アムってなんだ?」
ヴァンは、まだ立ったままのジュリオにそう尋ねる。
「あぁ、私の名前です。どこかに潜入する時には、名前を変えますから。……ちょっと、本名が知られてしまうとまずいので」
「あぁ、そういうもんか」
後々の面倒を避けるために、本名を隠すというのには、ヴァンも納得する。自分も本名を――ファン・ル・ファンの出身であることを知られないために、偽っている身だ。
「本名が知られ過ぎたので、かえって警戒されてしまうんですよ」
「……は?」
ヴァンの目が点になる。
「あんたの名前が、有名?」
「はい、どうもそういうことらしいですね。おかげで、『アムレス』という名前は、ほとんど使っていません」
アムレス、そう聞いたヴァンの脳裏に、浮かぶものがあった。
「まさか、伝説の何でも屋チームの? 盗賊あがりのアムレス? 不仲が原因で、チーム解散したって言う?」
ヴァンの指摘に、ジュリオ、改めアムレスが少し目を逸らした。
「別に、不仲が原因で解散したわけではありませんよ。リーダーが何でも屋をやめて、結婚するから別れたんです」
まったく、巷の噂というものは……、と、わざとらしくため息をついたアムレスは、先程まで雇い主が使っていたイスに座った。
「いい機会だから、一人でやっていこうと思っていたところに、あの人と会いまして」
「王様とか?」
ヴァンの疑惑の眼差しに、アムレスは「そうです」と答えた。
「最初の依頼が、城から脱走したあの人を捕まえることでした。もちろん、王その人を捕まえることになるとは、知らされていませんでしたけど」
そこからは、まぁ、それなりに。そう言葉を濁したアムレスは、雇い主の飲み残したカップを口元に運んだ。
「あんたは、それでいいのか?」
ヴァンは、再びイスに座った。イスのないハーちゃんも、巫女の意志が変わったことを察してベッドに腰をかける。
「えぇ、元々、生きていくだめだけに始めた仕事ですし、あの人は、期待を裏切りません」
終始、明るい口調だった男を思い出し、ヴァンは微妙な顔をした。
「あの人は、恐い人ですよ。今回のことにしても、全て、あの人の思い通りでしたから」
たった一回きりの遺跡へのチケットと思わせ、それを欲しがる人間を焦らせるために――。ただ、あの領主にチケットが渡るのを避けていただけではなく、存在すら分からない、遺跡に思いを残す人々も動かすため、全てを、たった一回きりの公演で終わらせるために。……六年。
「近いうちに、あの二人は捕まるでしょう。元々、王の暗殺を企てていた人ですが、叩けば色々と埃の出る身だということは、近くにいた私が一番よく知っていますからね」
呟いたアムレスのセリフに、ヴァンではなく、ベッドに腰かけた白い人影が小さく反応した。だが、反論はしない。
「……そうそう、これをお返ししておかなくては」
立ち上がったアムレスは、いかにも高価そうなサイドボードから、それを取ると、座ったままのヴァンの目の前に、コトン、と置いた。
「寝るのに邪魔そうでしたので、外させてもらいました」
それは、木彫りの、お世辞にも上手いとはいえない、耳飾り。それは、マルコを埋葬する直前に、ヴァンがずっと身につけていた、葉っぱの首飾りと交換したものだった。
「あ、あぁ」
別に深い意味があって、そうしたわけではなかった。ただ、離れ離れになった六年間を、お互いに語る時間さえなかったから、その代わりに、と思っただけだった。
「……仕事の内容を、聞こうか」
ヴァンは小さく声にした。
兄の代わりに、自分は絶対に死なないと決めた。生きて行くためにはお金が必要で、そのために仕事が必要で、それらを世話してくれるというものを、特に断ることもないんだろう。
決意を後押しするように、ヴァンは冷め切った紅茶を、ぐぐっと飲み干した。
「それが、その人とセットであることが条件だとしても?」
アムレスの優しい気遣いに、ヴァンはちらりとハーちゃんを見た。
「……気にくわない内容だったら、放棄するまでだ。ハーちゃんと一緒なら、国相手だって闘ってやる」
答えたヴァンの瞳が、明るい紫に輝いた。
「だ、そうですよ」
アムレスの声に、ドアがばたん、と開いて、正装した男が飛び込んできた。
「やったー、ほんと? いやぁ、やっぱり男一人より、夫婦とかの設定の方が怪しまれないからさ、これでもいろいろ苦心してたんだよねー。そんじゃ、そこの白い人に頼んで、早速、女にしてもらって――――」
「……っ!」
にこにこと笑みを浮かべ、それこそ立て板に水のごとく話す男に、ヴァンは握り拳を作った。
「オレは女になるつもりはねぇ……っ!」
鼓膜に直接訴える怒号に「やれやれ」と、呟いたアムレスは、ちらりと白い彼を見た。
彼の口元に浮かんだ笑みを見て、アムレスも微笑む。
「えー、そんなに可愛いのにもったいないじゃーん?」
「いっぺん、産まれ直して来いっ!」
元気な少年の叫び声が、部屋中に響いた。