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まどろむ白い巨人・1

「なるほど、無事終えたか」


 甲高い声の男は、そう言うと、ゆっくりとソファに身を沈ませた。

 ヴァンが言うところの「デブサイク」、デルモーグである。細く整えられ、カールした髭を、ついっといじると、彼は世にも醜悪な笑みを浮かべた。


「それで、クスリの方は……?」


 問いかけられ、ジュリオは下げていた頭を上げた。


「日も浅く、まだ弱いものの、確実にクスリの虜になっております」

「なんだ、まだ堕ちていないのか」

「はい。巫女の役目を果たすためには、完全に堕ちては使い物にならないかと思いまして」

「そうだ、な。慎重にやらねばなるまい。マルコのように壊してしまっては、な」


 その言葉に、ジュリオは小さく目を瞠った。


「マルコを、壊しておしまいになったのですか?」

「ふん、反抗的であったのでな。……なに、アレは使っておらん。もっと粗悪品だ」


 沈黙したジュリオにどう思ったか、デルモーグは視線を窓の外にやった。


「巫女が手に入れば、あんなものはどうでもよい。元より、ただの繋ぎでしかなかったのだからな」


 甲高い声に、ジュリオは頷いてみせた。


「それは、さぞかしジェーン様もお喜びでしょう。あの方は、マルコを疎ましく思っていらっしゃいましたから」

「そうだな、あれも憂さ晴らしになっているようだ」


 冷たい目で答えたデルモーグは、しばらく沈黙した。憂さ晴らしというからには、クスリをエサに、マルコをいたぶっているのだろう。ジェーンが憂さ晴らしに飽きたら、デルモーグが、クスリの限度量の実験と称して、彼にいろいろなクスリを与えることは、容易に想像がついた。

それでも、ジュリオは、黙って次の言葉を待った。ここで動くのは得策ではない。


「―――あれは、今どこに?」

「巫女、のことでしょうか」

「あぁ、一度、どの程度クスリが浸透しているか確認することにしよう。それ次第で、あの巨人と引き合わせる」

「はい、例の部屋で鎖につないであります」


 ジュリオが「連れて参りますか?」と確認する前に、デルモーグは甲高いながら毅然とした口調で「こちらから出向く」と答えた。

 まずい、とは思うものの、ジュリオは見事にそれを顔に出さず、黙って彼の後について歩く。

 一応、演技指導はしたものの、どうにも大根役者のヴァンが、唐突に現れた彼に嘘をつき通せるか。微妙なところだった。しかも、今回は、ヴァンの平静を失わせるに十分なカードがある。マルコの事を知らされたときに、彼が演技を続けられる可能性は……限りなくゼロに近い。


「あれ、旦那様。マダムが呼んでましたけど」


 道すがら、声をかけてきたのは、黒の長袖に深緑のベストという、いつもの格好をした、ナサニエルだった。その瞳がやや沈んでいるところを見ると、どうやらマダムの憂さ晴らしに付き合っていたらしい。


「巫女のところへ行く。お前も付いて来るか?」

「あぁ、ヴァンの? そりゃぁ見物したいもんですねー」


 ついさっきまで、クスリの末期症状を見てきたばかりだろうに、ナサニエルは軽く了承した。


(……妙、ですね)


 ジュリオの知る限り、デルモーグはナサニエルを嫌っている筈だ。それなのに「ついてくるか」などと声を掛けるのは、少し稀な気がした。


(いや、あるいは、嫌がらせか)


 デルモーグの容姿を、ナサニエルは気味悪がっている。雇い主の手前、表に出すことはないが、それでも雰囲気で感じ取っているのだろう。だからこそ、裏切る前提だったとはいえ、かつての仕事仲間に変わり果てた姿を見せようというのだろうか。

 どちらにしても、今はヴァンの演技が心配だった。


「そちらの部屋になります」


 ジュリオの指し示した扉を、デルモーグはノックもなしに開けた。部屋の隅、足首を鎖に繋がれたヴァンは、うずくまっていた。とりあえず、最初でバレるということはなかった。


「起きろ、この能なしめ」


 デルモーグは乱暴に黒髪の少年の腹を蹴飛ばす。ぐ、という小さな呻き声を上げた彼は、ゆっくりとした動作で顔を上げた。まぶたを半分だけ持ち上げて、だるそうに自分の腹を蹴った男を確認すると、その表情が劇的に変わった。


「お前は……!」


 足首の鎖のことも忘れ、デルモーグに掴みかかろうとしたヴァンを、ジュリオが間に入って防ぐ。


「申し訳有りません、旦那様。クスリが切れ始めたようです」

「そのようだな。……今、持っているか?」

「はい、少量でしたら」


 ジュリオは、ヴァンを軽く蹴り飛ばし、壁に叩きつけると、手の中に収まるほどに小さい瓶を取り出した。小瓶をヴァンの前にちらつかせると、ヴァンはまるでエサを待つ犬のように、小瓶を目で追いかけた。その様子を面白そうにナサニエルの黒い瞳が見つめている。


「欲しかろう、このクスリが」


 甲高いデルモーグの声に、ヴァンはハッとしたように彼を見た。


「だ、誰が、こんなもの欲しがるもんか!」


 威勢良くタンカを切るものの、ちゃぽちゃぽと音を立てる小瓶が気になって仕方がない様子に、デルモーグは、にぃ、と口の端を吊り上げた。


「そういう顔は、お前の兄にそっくりだな。―――だが!」


 デルモーグが言ったことを理解するよりも早く、ヴァンはデルモーグの足によって、容赦なく蹴り飛ばされた。

 ジュリオがヴァンの様子に気を取られたその一瞬! ナサニエルがジュリオを組み伏せた。


「っ!」


 ジュリオが抵抗するより早く、ガツンという衝撃とともに、彼の視界がブラックアウトする。

 気を失っていたのも、ほんの少しの時間だったのだろう、目を開ければ、うずくまったままのヴァンと、自分を見下ろすデルモーグがいた。


「何故、という顔だな、ジュリオ」

「そうですね。まったくもって、身に覚えがないのですが」


 頭をさすりながら立ちあがろうとしたジュリオは、その足に枷がはめられているのを知って、苦い顔をした。


「アントニオ、と言ったかな、あの下働きは。あれは簡単に話した」


 その名前に、ジュリオは思い当たった。クスリの買い付け人だ。


「君に金を脅し取られて、クスリを買うことができなかった。それがアレの言い分だが、どうだ?」


 なるほど、賭博でスったことを隠し通そうというハラだったか。ジュリオは心の中でくつくつと笑った。


「そういうことですか。……全く、賭博でスったことを隠してくれ、と私に言って来たのは誰だったんでしょうね」

「賭博……? あぁ、そういう話は聞いているな。あの男はバクチ好きだと」


 デルモーグは自慢の髭を、ピン、とつまんだ。


「だが、お前が私を裏切ったということは間違いない。……私をなめてもらっては困るな。クスリ漬けの人間の目は見慣れている。アレは全くの正常だ」


 デルモーグの後ろに控えていたナサニエルが、雇い主から見えないのをいいことに、「この外道が」という顔をした。


「お前の処分は後で決めることにする。行くぞ、ナサニエル」

「あれ、この二人を一緒にしておいていいんですか?」

「構わん。どうせ何もできまい」


 デルモーグは背を向け、さっさと部屋を出る。少し、心配そうに後ろを振り返るナサニエルを連れて。

 彼らの足音が遠ざかったのを確認して、ジュリオは離れたところに転がったままのヴァンに近寄った。


「ヴァンさん、ケガは?」

「……ねぇよ」


 うずくまったまま動こうとしないヴァンから、返事があったことに、ジュリオは安堵する。


「すみませんね、うまく事を運べなくて」

「……」


 ヴァンはゆっくりと体を動かし、仰向けになった。だが、腕で顔を隠しているため、表情は分からない。


「なぁ、あいつが言ったのはどういう意味だ? ―――お前の兄にそっくりだって」

「そのままの意味です。どうやら、彼にクスリが使われてしまったようですね」

「……っ! ずいぶん、冷静に言えたもんだな!」

「冷静に言おうが、どう言おうが、それが事実ですから」


 その厳しい言葉に、ヴァンは黙り込んだ。

 ジュリオは、特に言葉をかけることもなく、自らの足にはめられた枷を見つめた。元々、鍵開けや罠解除を得意していたこともあり、このぐらいのちゃちな鍵は難なく開けられるだろう。だが、枷を外した後が問題だった。


(邸を抜け出してしまえば、アレを取り戻すのが難しくなりますね)


 隣で同じように捕まっている「もう一つ」を連れ出すのは簡単だったが、それでは仕事を果たしたことにならない。


「おい、ジュリオ」


 呼びかけられ、振り向いた途端、彼は目を疑った。

 もちろん、声を掛けてきたのは、ヴァンに違いなかった。いつもと同じ黒髪、いつもと同じ華奢な身体。

 だが、それと同時に、確実に何かが変わっていた。そう……目だ。

 あの遺跡で『継承』を行ってから、ヴァンの目が黒から濃い紫に変わっていたのは知っていた。だが、今はその瞳は固い決意に満ちて、感情に左右されるのか、明るい紫色に輝いていた。


「……なん、でしょう?」

「神さまが、この邸にいるのは間違いないんだな?」

「はい。―――ただ、どの部屋にあるのかは、旦那様と、マダム、そしてマルコしか知らないことですが」

「ここにあるって分かれば十分だ」


 ヴァンはすっくと立ちあがる。


「ヴァンさん、何を―――?」

「呼びかける」


 言うが早いか、ヴァンは大きく息を吸い込んだ。

 ジュリオと、とりわけデルモーグに蹴られた腹がひどく痛みを訴えていたが、そんなことはどうでも良かった。

 眠った状態の神さまに呼びかけられるかどうかなんて、分からなかった。

 呼びかける、と決めてから、頭の中で、すごい勢いでページをめくる音が響く。


「あんな奴らに、渡せるか……っ!」


 ヴァンの頭の中に、神さまと話す手順が浮かび上がる。

 本来なら、神さまに手を添えて―――無理。

 声は、神さまの聞こえるぐらいの大きさで―――無理。

 それでも―――


『かしこみ申し上げる。神の契約者の末裔、名はヴィル・エーダ!』


 届け、ただそれだけを考える。

 反応は、ない。


(やっぱり、いろんなもの、すっ飛ばすのは、無理があるのか?」

『かしこみ申し上げる。神の契約者の末裔、名はヴィル・エーダ!』


 お願いだから、届いてくれ。ただそれだけを考える。頭に浮かぶのは、あの祭の夜、篝火に照らし上げられた神さまの姿。


『……誰だ?』


 頭の中に、その声が返って来たとき、一瞬、幻聴かと思った。低い、少し不思議な感じのする、声。


『き、聞こえていらっしゃいますか? あー、と、私の名前はヴィル・エーダ。つい先日、巫女として継承を終えたばかりの者です』


 ヴァンが名乗った後、また、沈黙が横たわった。


『……眠りを邪魔するか。新米の割には、随分、態度のでかい巫女だな』


 一瞬、何を言われたかた分からなかった。態度が、でかい?


『先程、巫女の血を持つ者によって、眠れと言われたばかりだ。それを遮るか?』


 想像していたよりも、ずいぶんと、イメージの違う神の言葉に、ヴァンは戸惑いを隠せないながらも、なんとか会話を続けようと試みる。


『それは、正統な巫女の言葉ではないはずです。巫女の言葉を優先すべきではありませんか?』


 少し不機嫌になった声の響きに、隣で行く末を見守るジュリオが、いぶかしむように目を細めた。


『ふむ、お前が正統であればの話だ。確かに何者かがあの場所で継承を行ったようだが、それがお前だと、ましてや巫女の血を引く者だと、どうやって証明する?』


 ヴァンは絶句した。

 本来、巫女は継承ののち、神に宣誓をすることによって、初めて巫女と認知される。ヴァンは、もちろん、それを行っていない。


(……それにしたって)


 あまりに無慈悲な神の言葉に、ヴァンは呆然とするしかなかった。


『ここへ来ることができないなら、柱にて宣誓を行え。あれは我が一部に等しい』

『それは……』

『うるさい。もう寝るぞ』


 それきり、神の声は途絶えた。

 ぺたり、と座り込んだヴァンに、ジュリオは「どうでした?」と直球で尋ねてきた。


「どうした?って、……あー、どうもこうもねぇよ。神さまに触れるか、あるいは遺跡の柱に触れるか。どっちかしねーと、取り戻せねぇ」


 ヴァンは結果だけをぶちまけた。詳しい会話の内容を話す気にはなれなかった。神さまが、あんな、口調で、なんて。


「なるほど、どこに本体があるか分からない以上、遺跡まで行った方が懸命ですね」


 スッパリと言いきったジュリオに、ヴァンは足元の鎖をじゃらり、と鳴らしてみせた。「これはどうするんだ」と口にする気力もなかった。


「そんなものは、どうにでもなります。……早い方がいいですね。いつ引き離されるか分かりませんし―――」


 部屋の外の足音を聞きとってジュリオは口を閉じた。目配せでヴァンに注意をうながすと、何事もなかったように自分は壁にもたれかかった。


「よう、邪魔するぜ」


 入って来たのは、人懐っこい笑顔を浮かべたくせっ毛の男だった。


「何のようだ、ナット」


 不機嫌そのもので答えたヴァンに、ナサニエルはさらなる笑顔を浮かべた。


「あっれー? まだその名前で呼んでくれるんだ。うれしいなぁ。あっはっは」


 飄々と笑って見せると、彼は手にした鍵をチャリ、と鳴らした。


「やー、ヴァンを連れて来いってさ。神さまとお兄ちゃんとご対面だってよ?」


 ダン、と壁を殴りつける音が響いた。


「あれ、なんだ。その様子だと知っちゃったんだな。あららー」

「あぁ、そりゃもう、あれだけ匂わせてくれたらな!」


 拳は痛かったが、それ以上に、胸の方が痛かった。何をどうしたらクスリ漬けの兄との対面が嬉しくなるというんだろうか。


「私はまだこのままですか?」

「あぁ、何も言われてねーからな。そうじゃねーの?」


 ナサニエルはジュリオを伺いつつ、ヴァンの足元にしゃがみこんだ。彼の危惧を知ってか、ジュリオはわざとヴァンから離れた位置に立っている。その隙を狙う気はないとアピールするように。


「……まぁ、アレだ。あれをお兄ちゃんとは思わないこったな」


 明るい口調で、だが、注意を促すその言葉に、ヴァンは少なからず驚いた。


「なんで、そんなこと言うんだ?」

「えー? まぁ、大人の事情とか配慮とか、まぁ、そんなもんだ」


 足かせを外すと、ヴァンの腕を掴んでナサニエルは部屋を出た。多少の抵抗を受けると思っていたのだろう。「拍子抜けだな」などと呟いて。

 一人、残されたジュリオは、着ていたシャツの首の後ろに手を回すと、襟の下から細い金属の棒を取り出した。


「まったく、甘いにも程がありますね、お二方とも」


 やるなら手も足も拘束しないと意味がありませんのに、と鼻歌でも歌うように呟きながら、あっさり自分の足にはまった枷を外した。


「さて、奪還といきますか」


 青い瞳は、これから始まることが面白くて仕方ない、と、キラキラ輝いていた。



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