6、なんで
名門美術芸術大学。この学校には、方針がある。この大学を創立した人は、油絵で有名になった、佐久間 太一郎という人物だ。彼を敬い尊敬するために、この大学は初期、油絵と水彩画のどちらも教えていたのを、つい数年前油絵だけに絞ることになった。
教授たちの口癖はこうだ。
「絵の中の王者だ。水彩画なんて、あれは絵じゃない。紙を水で濡らしただけのものだ。佐久間 太一郎は、日本の油絵の素晴らしさを世界に知らしめたお方だ。そんな人が創り上げた大学に通えることを、誇りに思ってほしい。」
私が入学する頃には、水彩画なんてもってのほかになってしまっていた。芸術・美術は油絵。油絵こそ至高。私は早速、この大学に入った意味を失ってしまっていた。
最上階の、1番奥の部屋。ここは心休まる、静けさと孤独を兼ね備えた、私だけの秘密基地だった。どこか競争めいたこの学校の目から、私を隠してくれる………はずだった。いや、今までは確かにそうだった。それが今、たった1人の侵入者によって壊されていく音が聞こえた。
「それ、学校指定の絵じゃないよね?どうして君がこんな時間に、誰も行かないような場所に行くんだろうって思って付いてったら……面白いことしてるね!」
ああ、もう嫌だ。この喋り方、無駄に流暢な日本語も癇に障る。
「……これは………」
「もしかして、隠れて描いてたの?」
茶化すような言い方に、ムッとする。
「そうです。隠れて教授たちの目を盗みながら学校の方針とは合わない水彩画なんかを描いてました。チクる気ならどうぞご勝手に。」
酷い第一印象だ。マイロニーと話すのはこれが初めてなのに、つい語尾を強めに言ってしまった。
「ん〜?チクるってどういう意味?」
わざとあどけなくする口調に、イライラはさらに加速する。
「は?告げ口するって事ですよ。そんくらい分かってるんでしょ?日本語ペラペラのくせに。」
「うん!まあね!」
はぁーーー……長いため息が出る。生理的に無理だ。そう感じる。
マイロニーが教授に告げ口したらどうなるんだろう。今までそんなこと考えていなかったけど、こんな日が来るのも絶対に無くはなかった。水彩画はもう描きません、教授たちの望む通りの絵を描きます。そう言えば許してくれるのだろうか。
「そうじゃなくて、君がなんでそんな事を言うのかを聞いたんだけど。」
「はい?」
マイロニーはあごに指を添え、大きな薄茶色の目を瞬きする。今度は茶化している様子はなく、真っ直ぐに私を見てくる。
……変な気分だ。こいつ、こんな性格じゃあないだろう。
「だって……学校からしたら良くないんでしょう、水彩画は。油絵を描きなさい、油絵が芸術の全て、油絵こそ至高、油絵油絵油絵って………。だから肩身が狭くて、こんな場所で絵なんか描いてるんじゃないですか。どいつもこいつも、自分がよければ全てよしなんて勝手な考えしやがって!どうして水彩画を認めてくれないの!私が描きたいのは水彩画なの!!なんで………っ」
なんでこいつ、目を離さないの。学校の方針を知らないの。なんでこいつ、私の話を聞いてるの。なんで……
「水彩画は絵じゃないなんて、ゆうの………!」
なんで、涙を優しく拭いてくれるの。