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水彩のフィヨルド  作者: 佐藤産いくら
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9、無理なんです

 何を思いついたのか、突然マイロニーは立ち上がり、叫んだ。何事かと彼を見上げると、マイロニーはいっそう顔をキラキラと輝かせて私に告げた。


「行こうか!ノルウェーへ!」


 しばしの沈黙。はあ、と思わずため息が出る。急に何を言い出すんだこの人は。

「行ってらっしゃい。」

「何言ってるんだい、夢子も行くんだよ?」

「行きませんよ。マイロニー先生だけで行ってください。」

 適当にあしらい、落とした筆を拾って再び絵に目を向ける。絵へと近づけた私の手を、マイロニーがガシリと掴む。また筆がころんと落ちる。

「夢子がいなきゃ意味が無いじゃないか!行こうよ!」

 大きな目をキッと見開き、私を見つめる。対する私の目はきっと逆かまぼこのような形だったに違いない。

「無理です。だいたい、ノルウェーまで行くお金なんて私には……」

「そんな心配は無用だよ。誘うのは僕で、旅費を出すのも僕だからね。」

「………長期休みでもないのに、学校を休むわけには」

「僕が先生達に言うから!絵の研修旅行で保護者としてついてくって。」

 ダメだ、もう完全に行く気になっている。だいたいなんでそんなにノルウェーに行かせたいんだ。

「ね、いいでしょう?」

 そんなにクリンとかわいく言っても無駄だ。だって私は………………私は、行きたくない。

「………さっきも言いましたけど、無理です。」

「だから大丈夫だって。お金も、学校も全部僕に任せてくれれば」

「無理なものは無理なんです!!」

 ぴたり、とマイロニーは口をつぐむ。「どうして」と、聞きたそうな顔だ。

 ああ、どうして。どうしていつも、この人の前では感情が抑えられなくなるんだろう。いつもの私ならずっと無視をし続けることぐらいできたのに。

「………無理、なんです…………。」

 良かれと思って誘ってくれたはずなのに、こんな断り方をしてしまい、なんとなく気まずい。

 マイロニーは、ふ、といつもの顔に戻る。そして声を荒らげることもなく、ただ教師として優しく話しかけてきた。

「無理、というのは、物理的に行くことは不可能ということではないよね?」

「………違いますけど………」

「何があったのかは聞かない。美しくないからね。ただこれは確信して言えるんだ。この旅が君にとって非常に有意義なものになるだろうということが。」

 なんでこんなに自慢げなんだろう。すごくムカつく。でもそれ以上に、マイロニーの言葉を深く信じたいと思う自分がいる。

「美しくないって………何よ、それ。」

「だってそうだろう?フランスではいかに美しく生きるかが人としての生き様なのさ。」

 胸を張って言う姿に呆れながらも、笑みがこぼれる。私もこの人のように、こんなに楽しそうに生きれたらいいのになぁと思う。


 心配事も、恐れも、隠し事も無く生きることが出来たらいいのに。


「来週の日曜日の朝に、空港のロビーで待ってるよ。来るか来ないかは君しだいさ。」

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