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「チェックメイト」――感情を捨てた軍師は、愛する仲間のために最強の兵器となる。心を殺し、偽物の王は君臨する。  作者: アンペアアワー


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第1話 月光と鉄格子

 鉄格子の隙間から差し込む月光が、冷たい石床を白く照らしている。

 そこは、希望などという言葉が入り込む余地のない、暗く閉ざされた「檻」の中だった。


「う、うぅ……お母さん……怖いよ……」

「……おうちに、帰りたい……」


 部屋の隅で身を寄せ合い、震えながら泣きじゃくる二人の少女。

 銀の髪を涙で濡らしたルナと、紅い髪を振り乱して泣き叫ぶイヴ。

 七歳の子供にとって、ここはただの理解不能な恐怖の掃き溜めだ。


 だが、その中心で。

 紺色の髪を床に散らし、不遜なほど大胆に「大の字」になって寝ている少年がいた。


 ヒイロだ。


 彼は、ルナやイヴの悲痛な叫びなど聞こえていないかのように、規則正しい寝息を立てている。眉間に少しだけ皺を寄せ、ムスッとした不機嫌そうな顔のままで。


「……ねえ、起きてよ……」

 ルナが恐る恐る、ヒイロの肩を揺らす。

「……なんで、寝れるの……?」


 ヒイロはうっすらと片目を開けた。深紫のアメジストのような瞳が、暗闇の中でわずかに、そして鋭く光る。

 彼は面倒そうに鼻を鳴らすと、寝返りも打たずにぶっきらぼうに言い放った。


「うるせえ。泣いたって、腹が減るだけだ」

「……でも……」


「……絶対、助けに来るから。……それまで、寝て待つだけだ」


 その言葉は、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。七歳にしてはあまりに冷めた、そしてあまりに強い「信頼」。

 彼は再び目を閉じ、大の字のまま、深い意識の闇へと沈んでいく。


 その小さな背中が、いつか自分たちを守る巨大な盾になることを、泣きじゃくる二人はまだ知る由もない。


 重い鉄の扉が、鼓膜を震わせるような音を立てて開いた。差し込んできたのは、昨日までの独房の薄暗い光ではなく、突き刺さるように眩しい白光だ。


「おい、立て。移動だ」


 白衣を着た男たちが数人、無機質な足音を立てて入ってくる。昨日まで泣きはらしていた銀髪の少女は、その音にびくりと肩を震わせ、隣にいた紺髪の少年の服の裾をぎゅっと握りしめた。反対側にいた赤髪の少女は、小さな拳を握り、男たちを睨みつけて唸るような声を漏らしている。


 そんな中、少年だけはゆっくりと、あくびをしながら体を起こした。


「……まぶしい」


 ムスッとした顔で、目を細めて男たちを見上げる。男たちの手には、七歳の子供の手首にはあまりに不釣り合いな、冷たい金属の拘束具が握られていた。


 三人は廊下へと引きずり出された。裸足の裏に伝わる床の感触は氷のように冷たい。壁はどこまでも平滑で、自分たちの姿が歪んで映るほどに磨き上げられている。窓なんて一つもない。ただ、天井の照明が規則正しく並び、不気味な青白い光を放っているだけだ。


「これからお前たちの部屋へ案内する。……逃げようなどと思うなよ。貴重な被検体なんだからな」


 男たちの言葉を、少年は意味も分からず聞き流していた。ただ、隣を歩く銀髪の少女が今にも泣き出しそうな顔をしていたから、彼は繋がれていない方の手で、少女の頭をポンと叩いた。


「泣くな。……鼻水出るぞ」


 少年のぶっきらぼうな声に、少女は一瞬だけきょとんとして、それから小さく頷いた。


 案内されたのは、窓のない、四方を真っ白な壁に囲まれた広い部屋だった。昨日までの汚い石牢に比べれば、あまりに清潔で、あまりに空虚な場所だ。そこには簡素なベッドが三つ、行儀よく並んでいる。


「今日からここがお前たちの生活区域だ。食事や睡眠などは、すべてここで管理する」


 重い電子ロックがカチリと閉まる音が響き、男たちの気配が消える。完全な静寂が訪れた部屋で、少年は迷うことなく一番奥のベッドへ歩み寄ると、ドカッと「大の字」になって寝転がった。


「……前より、広いな。これなら暴れても壁に当たんねえ」


 不機嫌そうな顔のまま、天井を見上げて吐き捨てるように言う少年。少女たちは顔を見合わせ、吸い寄せられるように少年のベッドのそばへ近寄っていった。


 翌日。少女たちは、聞き慣れない妙な音で目が覚めた。


「えいっ!……はっ!……えい!!」


 シーツを蹴り飛ばし顔を上げると、部屋の中央で紺髪の少年が汗を流していた。七歳の短い腕を一生懸命に突き出し、見えない敵に向かって何度も拳を振るっている。時折、足元がおぼつかずにフラつきながらも、彼は一心不乱に空気を叩き続けていた。


「……なにしてるの?」


 銀髪の少女が、眠そうに目をこすりながら不思議そうに尋ねる。少年は動きを止め、肩で息をしながら、Tシャツの袖で額の汗をごしごしと拭った。


「……練習だ。俺の兄ちゃんは、もうすごい魔法が使えるんだ」


 自慢げに胸を張る少年の瞳に、ほんの一瞬だけ、年相応の子供らしい光が宿る。


「兄ちゃんは、これくらい『びゅん!』って動いて、悪いやつを全部やっつけるんだ。俺も、いつか兄ちゃんみたいに強くなる。そしたら……」


 少年は一度言葉を切り、ぎゅっと小さな拳を握りしめた。汗の滴が床に落ちる。


「そしたら、ここから逃げるんだ。……ここから、逃げられるかもしれないだろ!」


 その言葉に、少女たちは顔を見合わせた。七歳の彼女たちにとって、それがどれほど途方もないことか、まだ理解はできていない。けれど、汗を流しながら真剣に言い放つ少年の姿を見て、銀髪の少女がぽつりと呟いた。


「……ねえ。あなたの名前、なんていうの?」


 少年は少し照れくさそうに鼻の頭を掻くと、ぶっきらぼうに答えた。


「……ヒイロ」

「ヒイロくん、っていうんだ。……私は、ルナ」


 銀髪のルナが少しだけ微笑む。すると、それまで黙って見ていた赤髪の少女が、勢いよくベッドから飛び起きた。


「私はイヴ! ……ねえ、ヒイロ。それ、ずるい。私もやる!」


 イヴはヒイロの真似をして、見よう見まねで拳を突き出した。


「えいっ!」

「おい、もっと腰を低くしろって、兄ちゃんが言ってたぞ!」


 窓のない白い部屋。初めて名前を呼び合った三人の子供たちは、届かない自由に向かって小さな拳を振り続けていた。


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