第24話・斑鳩宮炎上
陽光が穏やかな霜月の午後、突然、斑鳩宮の山背皇子を訪ねて来た者があった。
「火急に山背皇子にお取次を、と申す者が」
「誰だね」
「名乗りませぬ。さるお方からの使いで飛鳥から来た、火急に皇子にお伝えすることがあると」
「ふむ……。会ってみましょう」
どこかで見たことがあるようなその遣いの下人は、まだ呼吸を乱していた。
「訳あって主の名は申せませぬが、火急にお伝えすることがございます。山背皇子に謀反の疑いありと、入鹿臣が討伐の軍隊を出されました」
謀反とは、天皇殺害を企て国家を覆そうとした罪のことである。
「どういうことです」
「私どもにも事情がわかりません。ただ、皇子を捕らえようと軍隊が斑鳩へ向かっています。早急にお逃げください」
「わかった。そなたも急いでここを離れるが良い」
山背皇子は遣いを返すと、弟と息子たちへ遣いを出した。
「そのような者が言うこと、信用できるのですか」
山背皇子にそう問いかけるのは、山背皇子の長男、難波皇子である。 斑鳩宮には山背皇子の子供たちと、近隣の宮に住む舂米皇女の同母弟妹たちが集まった。
山背皇子の実弟、日置皇子の宮にも遣いを出したのだが、日置皇子もまだ現れない。日置皇子は、山背皇子の相談相手となり信頼する弟であり、このような時、一番に相談したかった。
「私は信じる。あの者の顔、見覚えがある。確か秦氏の邸にいたような」
そう言った山背皇子に、次男の弓削皇子が反論した。
「だいたい、なぜ謀反の疑いをかけられなければならぬのです。何もしていないのに。入鹿臣の軍隊に我らを捉えられるものですか」
「そうです。そのような嫌疑をかけられているのなら、天皇に弁明すれば良いのです。逃げる必要などありませぬ」
舂米皇女も言う。
女たちは別室で不安げな顔をして聞いている。
「うむ。だが、とりあえず、女子供はどこか安全な場所にいた方がいいかもしれぬ。軍隊が来たら私が話をして」
そう山背皇子が言った時だった。表から大声がした。
「上宮大兄、軍隊が」
家臣の田目連の声だったがそれをかき消すように大声がした。
「山背皇子、謀反の罪で処罰する」
山背皇子が門へ出ていこうとすると、田目連が行手を遮った。
「既に宮は取り囲まれ門前は兵でいっぱいです。問答無用で宮に押し入って来るのを防御するのに精一杯です」
「私が出て行って話そう」
「無理です。話など通じません。相手は誰彼構わず矢を射ってきます。出て行ったらやられてしまいます。この場はとにかくお逃げください」
いつの間にか、山背皇子の後ろに皆が揃っていた。
家令の三輪君文屋は言った。
「私に案がありまする。宮に火をつけ、敵が気を取られている隙に裏から抜け出し逃げましょう。空も暗くなってきました故、何とか欺けましょう」
山背皇子は三輪君の作戦に従うことにした。
「おおっ」
斑鳩宮から火の手が上がると、兵は怯んだように見えた。
部屋に火を放った後、三輪君は炎の上がる部屋の中に馬の骨をいくつか投げ込んだ。
「これで皇子が焼け死んだと油断させておいて」
山背皇子らが宮の裏口から出ると、辺りは薄暮が迫っていた。昼間は穏やかだったが、日が落ちると急に冷え込む。一行は手をさすり首を窄めながら、人目につかぬよう足早に宮から離れた。
寒風の中、川岸まで来ると、再び三輪君が言った。
「生駒山にある別荘へ参りましょう。あそこならば夜露も凌げます。そこでこれからのことを考えましょう」
「おお、我はなんと頼りになる家臣を持ったのだ」
山背皇子は震える手で三輪君の手を取った。




