16 斃すべき敵のために
「ゲオルドさん……」
息絶えたゲオルドの姿を見ながら。マルセルは絶望していた。
ゲオルドに弾丸を撃ち込んだ本物のトロイ・インコグニートは未知の力を使う。それまでは想定の範囲内。だが、問題はその能力だった。
本物のトロイが使っていた能力は正体不明のもの。マルセルやメルヴィンが気づいたときにはゲオルドの胸が弾丸に貫かれていたのだ。
「どうにかして救えなかったのか……? 人はやはりこうも簡単に死ぬのか……」
「そうだな。あんたも魔物ハンターなら割り切れるだろ」
と、メルヴィンは言う。
彼はマルセルを突き放しているようだったが、彼もある意味で悲しみを抱えていたのだった。
「お前にはわからないだろうな……」
マルセルはそうぼやく。そんなときだった。
メルヴィンはこの場所に近づいてくる敵を察知する。敵は4人――
「構えろ。敵が来る!」
メルヴィンは声を上げる。それと時を同じくして、クリフォードはアサルトライフルを構える。
こちらにやってきたのは、シャーリー。クリフォードに弾丸を撃ち込まれ、頭を吹っ飛ばされたのだが、その傷も再生しているらしい。
「気を付けろ、そいつは吸血鬼だ」
と、クリフォード。その直後、クリフォードは発砲する。その銃声。銃口から放たれる弾丸はマルセルの忌まわしき記憶――目の前でゲオルドを殺されたのと重なる。
「わかっている……」
マルセルは震えた声でそう言うと、装填したまま持っていたクロスボウをシャーリーに向けた。
――今はとにかく目の前の敵に集中しなければ。そうしなければゲオルドさんに合わせる顔がない。
マルセルはクロスボウを引く。光の魔法が込められた一矢はまっすぐに飛び、シャーリーの右肩を貫いた。そこから流れる光の魔法はシャーリーの体を侵食する。
「野郎……吸血鬼ハンターがここにまで!」
激高したシャーリーはすぐさまイデアを展開する。そのビジョンは直径1センチにも満たない鉄球。それに手を触れることなく、シャーリーは鉄球を放った。
あるものは床にぶつかり、あるものは壁にぶつかり、そしてあるものは天井にとりつけられた照明にぶつかる。すると、鉄球がぶつかった照明は天井から取れて、地面に落ちる。その時の音はまるで、照明より重い物が落下したかのよう。――いや、照明が重くなったのだ。
そんな中、マルセルは気を取られることもなくクロスボウを再装填したのだが――
――体が重い。手は動かせるにしても、それ以外は無理だ。
「動けなくなったか、吸血鬼ハンター! お前さえどうにかすれば、クロイツに歯が立つヤツなんていねえだろ!」
重さゆえ、クロイツは彼自身の体を支えることもできていない。床に座り込んだマルセルはクロスボウを握りしめ、シャーリーに怨嗟の目線を向けた。
「命乞いか?」
と、シャーリー。
「マルセルみたいなのが命乞いをすると思ってるのか? 曰く、マルセルは斃すべき敵のために命を捨てる覚悟くらいはあるらしい――」
メルヴィンはそう言うと、マルセルの方を見た。メルヴィンの周囲にはイデアが展開されているのか、水がたまっている。
「俺がシャーリーを抑える。あんたが斃せるときにそのクロスボウを撃てばいい」
メルヴィンはそう言ってマルセルとシャーリーの間に立つ。
メルヴィンとシャーリーは同時に動いた。シャーリーが鉄球を放ったと思えばメルヴィンはどこに隠し持っていたのか、誰かの着ていた上着を出し、それを受け止める。鉄球が上着に触れる直前、上着は水と化す。
鉄球はそれにはじかれ、地面に落ちる。
「野郎……だがな、俺だけがいると思うなよ」
「……わかっているさ。まずはあと1人。その後ろにあと2人、だろう?」
メルヴィンは水の塊を服の状態に戻すと、今度は地面――シャーリーの足元を水に変えた。
直前までそれに気づかなかったシャーリーは一気に足を取られ――
いや、メルヴィンが有利だと考えていたのは一瞬だけだった。シャーリーの足元の水が明らかにおかしい揺らぎを見せる。次の瞬間。
「地震……じゃない! これは……」
重力を操作されている。
一瞬にして重力の方向が変えられ、天井が床となる。それと同時に、天井へと落ちてゆくメルヴィンたち。
そんな中、ユーリーは呟いた。
「バルトロメオか」
それを呟いたところでどうにでもならないのだが。そのユーリーでさえ、バルトロメオの能力の対処法はわからない。いや、対処法があるにしても、やはりあの能力にはトラウマがある。
そして、天井に叩きつけられる一行。
「知っているのか?」
メルヴィンはユーリーの言葉を聞き焦がすことなく、気づいていた。
「知っているも何も、戦って逃げられたんだよ。殺されることも考えとけ」
と、ユーリー。
「ふん。洒落にならん殺戮能力があるくせによくいうな」
メルヴィンはそう言って、敵が向かってきている方向を見る。
斧だ。斧がこちらに向かって飛ばされる。
ユーリーがこのとき思い出したのは、首を落とされそうになったときのこと――
「避けろ! 殺され――」
斧は。メルヴィンらとは異なる場所に向けられた――
斧はゲオルドの遺体の首を切断し、その近くを血で染める。マルセルはその様を直視することもできなかった。
――俺が殺すことをためらったからか? あのとき俺が克服できていたら?
この事態に。ユーリーは討ち漏らしたバルトロメオのことを思い出す。それだけでなく、ゲオルドの死に顔も。
バルトロメオが現れたそのとき。ユーリーの体の周りに展開されていたイデアが青く染まる。それは――吸血鬼の命さえも奪いうる。
その様を見て、ここにいた誰もが口を覆った。多分ここで死ぬことになるのだろう、と。
青き毒、青き黴に食いつくされるバルトロメオとシャーリー。命を奪う段階となって、ユーリーは初めてそれを知る。
重力は元に戻る。マルセルの体も軽くなる。そして、この空間に存在していたものすべてが不自然な重力から解放された。
――生きている。
メルヴィン自身の感覚は生きていることを必死に訴えているようだった。
「何をした?」
メルヴィンはユーリーに問う。
「俺に聞くな……じゃないな。これも俺の能力らしい。殺す範囲が絞られたみたいだが、俺もその実情がわからねえ」
と、ユーリーは答える。
「よくわからない力を安易に使うのか。全く、危険なヤツめ」
「どうとでも言え。俺は『殺す者』だぞ」
心なしか、ユーリーの表情は曇っていた。それはマルセルも同じ、いや、ここにいる全員が。
「なあ、ユーリー。ルナティカがいないならここから引きあげてもいいんじゃないか? もう一度本拠で……」
「そうしよう。ゲオルドさんからの伝言もある。あと、できれば連れて帰りたいんだ……」
ここでマルセルがクリフォードの言葉を遮った。彼の傍らには首を落とされたゲオルドの遺体が転がっている。
「それはできない。状況は思いのほか差し迫っている。俺たちが常に強者であるとは限らないし、ここの処刑人だってそろそろ動くだろう。今は、置いてくしかない」
「……そうか」
問題の2人以外にもアリスなんかがいる。上のフロアにいたトロイもこちらに降りてくるのかもしれない。
一行はメルヴィンの知る隠し通路から刑務所の外に出ることにした。