8 だから俺が裁こうと
檻の中から出るなり、バルトロメオは鉄格子の残骸を振りかぶる。ユーリーはそれを受け止め、バルトロメオの目を直視した。
目の光は消えている。死んでいるようではないが、彼自身の意志が感じられない。まるで、外部から何者かに操られているかのように。
――攻撃は重い。そういうことか。
ユーリーはバルトロメオを薙ぎ払った。
ただでさえ強いユーリーの膂力はそのイデアでさらに強化されている。バルトロメオはいともたやすく吹っ飛ばされ、背中から壁にぶつかった。
バルトロメオは激しく咳き込み、立ち上がれないでいる。そんな彼を目の前にして、ユーリーは下手に追撃しようとはしなかった。
気にしているのはバルトロメオの挙動。彼は一体どう動くか――?
バルトロメオは狂戦士のように立ち上がり、今度はクリフォードの方を狙ってきた。クリフォードが銃口を向けるより前に。
それに気づいたグランツはバルトロメオを止めるためにダーツを放つ。バルトロメオはそれを強引に避けようとしてバランスを崩す。そして。
「グランツもクリフォードも先に行け!」
ユーリーが声を張り上げる。
「そうさせてもらう!」
と、グランツ。クリフォードも状況を見て――
グランツとクリフォードは走り出す。刑務所のフロアの奥に向かって。
そして、バルトロメオの目の前にいるのはユーリーだけとなる。
「逃がしたか。まあいいか、いずれこの奥のボスに」
バルトロメオは口ごもる。ユーリーはその言葉に少しだけ耳を傾けるが――
「どうだろうな? ボスっていうと、プリズン・ギャングだろう。あの2人……グランツを誰だと思っている?」
と、ユーリー。
彼の言葉も聞かず、バルトロメオは右脚を踏み込んでユーリーの懐に突っ込んでくる。鉄パイプを握る右手とは反対側――左手に込められたのは妖しい紫色の光。それが持つ力とは。
バルトロメオの考えなどユーリーにわかるはずもなく、彼の能力は発動する。
――重力は乱される。付近からは重力という名の秩序が失われ、混沌と化すだろう。
ユーリーが覚えたのは、斧が引っ張られる感覚。これは磁力などではない。鉄製の斧だけが引っ張られる感覚ではなく、体全体が引っ張られているようなのだ。
このとき、ユーリーはバルトロメオの能力をそれとなく理解した。
「重力――」
そうやって声を漏らす中。ユーリーは壁に叩きつけられた。
上が上ではない。引力を感じる方向は先ほどまで『壁』だと思っていたところだ。が、今ではそれも関係なく――
バルトロメオはこれまでと同じように『地面』に立ち、鉄の棒から手を離す。すると、鉄の棒は銃口から放たれた銃弾のような速度でユーリーへと向かう。
そして。ユーリーも身体がふわりと浮くような感覚を覚えた。これは――
鉄の棒に引き寄せられている。バルトロメオが静観する中、鉄の棒はユーリーの腹に命中。ユーリーの顔は苦痛に歪む。
向きの問題か、刺さってはいなかったものの痛みは相当だ。
「ぅ……がはっ……」
ユーリーは思わず咳き込む。が、彼には吹っ飛ぶことも許されていなかった。
押しつぶされるような感覚。未だ、鉄の棒はユーリーの腹を抉らんと、ユーリーの腹を縊り切らんとしている。
「無様だよな。『殺す者』っていっても大したことないじゃねえか」
バルトロメオは言った。
ユーリーはそれに反論することも抵抗することもできずにいる。できる限りイデアを展開し、痛みにこらえながら。だが、それもいつまで持つかわからない。
「が、思いのほか頑丈だよなァ! さすが虐待され慣れている! 人殺しのための虐待とか、なあ!」
肉体的な痛みだけではなく、精神的な痛みまで。
苦痛を与えられながら、ユーリーはバルトロメオに対して殺意を燃やし始めていた。
バルトロメオは触れてはいけないことに触れた。仮にユーリーが自由の身であったのなら、ここで首を落とされていたのかもしれない。
だが、現実は――
「ふ……ざ…………」
声にならないユーリーの声。彼の周りに展開された灰色の胞子。それが紫となるとき、近くにいるあらゆる命が奪われる。能力を使っている本人であるユーリーを除いて。
それに気づいたバルトロメオは重力の方向を変えた。
反発する鉄の棒。そして、ユーリーは天井に向かって落ちてゆくことになる。そのときにユーリーの手から斧は離れる。
激突。天井の一部が破壊された。イデアを展開していなければ、ユーリーは死んでいただろう。
「野郎……使う前にこうしてきやがったか……」
受け身を取りながらユーリーは呟いた。痛みはあるものの、少しずつ思考が鮮明になってゆく。瓦礫と砂煙の中、見えたものは――
それは宙に浮いていた。重力を操るバルトロメオが相手であれば、ありえない話でもない。
それは――斧は。ユーリーの首の真上にあった。それも、少し重力を弄られてしまえばユーリーの首が落ちるような位置。
「場所はこの辺りだな?」
砂煙の向こう側。バルトロメオは手探りのような状態で、そう言った。
多分、まだ見つかっていない。この砂煙の中であれば――
ユーリーはバルトロメオに気づかれないように、姿勢を変えた。かなりの重力がかかっていたが、それも不可能ではない。
その2秒後。
鈍い音を立てて斧が地面に激突する。
「死んだ……な?」
バルトロメオは呟いた。
首を切られたら大概は死ぬ。その直後、生きていたとしても処置を施さなければ死ぬのは確実だ。
バルトロメオの中では、ユーリーの首が砂ぼこりの中に転がっているだろう、と確信していた。だが。
天井に刺さった斧に手を伸ばすユーリー。その手にはしっかりと手ごたえを感じ、ユーリーは斧の柄を掴む。
一方のバルトロメオは砂ぼこりの中の様子――生きているユーリーの様子に気づく。
「あんたが俺を処刑する気だったのか」
ユーリーは言った。
「殺人鬼が何を言ってんだかなァ? お前、もう100人くらい殺しているよな。それで裁かれないというのもどうかと思ってな、だから俺が裁こうと――」
「くだらねえことを言うなよ。それじゃあ、刑務所を牛耳ってるあの野郎と同じだぜ」
と、ユーリーはバルトロメオの言うことを遮った。
ユーリーの周りを漂う灰色の、少し青く染まりかけた胞子。これが意味することはただ一つ。バルトロメオの命はユーリーの手の上だというに等しい。バルトロメオが何かを考えつかない限り。
ユーリーに直視されながら、バルトロメオは言う。
「誰だ? 俺の知ったことじゃねえな。ま、これからの絶望とかも俺の知ったことじゃねえ……せいぜい――」
再び重力の方向が変化した。今度は反転――いや、斜め下だ。
絶妙な重力の変化を利用しながら、バルトロメオはこのフロアから消えた。