12 人種の壁は越えられない
ぴちゃ、ぴちゃ。
メルヴィンの耳に水を踏みしめる音が入る。
「ダリルのヤツ、俺を追ってきたのか? いや、違うな。3人か。1人以外、俺はよく知らないな」
メルヴィンはビルの壁に寄りかかっていた。その近くには彼の能力によって、水たまりができている。この水たまりは半径20メートルの範囲にまで広げられ、そこに立ち入る者の足音はすぐにわかる。メルヴィンはこうやって索敵をしていた。
範囲内にいる3人が何の目的で近づいてきているかは彼の知ったことではないが、彼はいつでも戦える状態だった。
そして。足音が大きくなる。
メルヴィンはそれに反応し、路地裏から通りを見た。
「アドリエンヌ……」
メルヴィンは思わず声を漏らす。
服装こそ違うものの、彼が見た者はアドリエンヌ――アディナだった。藍色の髪、褐色の肌、瑠璃色の瞳。それはメルヴィンとも共通する特徴だが、かつて彼がともに戦った者の特徴でもあった。
アディナの両隣にいるのはゴシック風の服装の顔色が悪い男――ゲオルドと白髪の男――マルセル。2人が今のアディナの仲間であることはメルヴィンにもすぐにわかった。
「……そこにいるのは誰だ」
アディナは言った。
彼女は時折足元に溜まった水を見ていたが。
「俺を忘れたとは言わせない。なあ、6年前俺と一緒に戦っただろ? こことは違う世界でも」
その声はアディナもよく知っていた。以前より低くはなっているが、かつての仲間の声であることには間違いない。
「ええ……私の記憶違いでなければ。名前はメルヴィンで合っている?」
「合っている。6年前から、ずっとあんたを探していた」
路地裏から姿を現したメルヴィン。
アディナの知る6年前の姿の面影を残しながらも、彼は逞しく成長していた。
メルヴィンの姿を見たアディナは、彼の顔を直視することができなかった。いくら変わっているとはいえ、その姿には以前アディナを辱めた人物と重なるものがある。辱めたのが彼――メルヴィンではないとわかっていても。
「そう。どうやってここまでやってきたのかは知らないけれど、その服装ということはストリート・ギャングの一員ということか」
と、アディナは言う。
周囲の空気が張り詰める。
「そういうことになる。だが、安心してくれ。俺はリーダー達とは違うから」
「リーダー……?」
アディナはメルヴィンに聞き返す。
「ああ。失踪したボスに代わって2人が俺たちのリーダーになった。2人ともボスにはなれないと言っているが。それも俺にとっては関係ないことかもしれないな。結局、俺は彼らと同じ人種ではないから」
メルヴィンはここで言葉を止めた。
「人種、か。こちらでも避けられない問題ね」
と、アディナも言う。
彼女の中で、これまでに受けた仕打ちが蘇る。こちら側の世界にやって来てからも、言葉の通じない相手から強引に辱められることもあった。肌の色を原因にして逮捕されることもあった。
「俺たち、分かり合えない連中とは分かり合えないんだよ……」
と、メルヴィンは言った。
「確かにそうかもしれない。だけど、それが私をそちらに靡かせる切り札になると思った?」
それに応えるアディナ。
アディナもメルヴィンもこの場所でイデアを展開していた。戦いは避けられないのだろうか。
「ならねえな。あんたの頑固さは俺も知っているからな」
メルヴィンは言う。彼が言葉を発すると、その足元の水が彼の感情に呼応するように波打った。
「アディナ! 俺たちの目的を忘れたか? ストリート・ギャングと戦うことではない、レヴァナントとこの事件の黒幕を討つことだ!」
アディナの後ろからゲオルドが言った。
アディナは歯を食いしばり、踵を返そうとした。
「おい、レヴァナントって何だ。それも黒幕って」
メルヴィンはそう言ってアディナを呼び止める。
アディナは足を止め、再びメルヴィンの顔を見た。それと同時にゲオルドが口を開く。
「失礼。お前たちのところではアンデッドと呼ばれていたのか。とにかく、そいつらを町に放ったやつを知っている。彼らを――」
「リーダーには黙っておくが、手を貸そうか」
と、メルヴィンは言った。
ここにいる全員が予想していなかったことだ。
「異質とはわかっていたが、こういうことだったのか。仲間意識ってモノは……」
「最初はあったさ。が、やはり人種の壁は越えられないな。強さでは認められても本当に仲間や兄弟として認められているかどうかも怪しいところだ」
メルヴィンの異質さはここから来ているのだろう。ゲオルドはすぐに理解した。
メルヴィンという男は身を置く場所を間違えた。様々な人種――人間ではない吸血鬼までもが身を置く鮮血の夜明団に所属していれば彼が孤独を味わうことはなかったのだろうか。
「で、俺とお前らはあくまでもギブアンドテイクの関係。連絡は俺とアドリエンヌ……アディナか。とにかく、俺と彼女で連絡し合うということでいいか?」
メルヴィンは言う。
「構わない。俺たちは目的が一致しているに過ぎないからな」
刑務所から少し離れたエリア――ダウンタウンのはずれの古いアパートの一室に2人のリーダーはいた。
ここがストリート・ギャング、デーモンボーイズのアジト。アパートを何室か借り、その部屋すべてがアジトとなっている。ボスがいたときの名残か、部屋のカーテンはきっちりと閉められていた。
暗い部屋の壁近くの椅子に座っているのはシャルム。
「今、誰が生きているんだ?」
と、シャルムは言う。
「ルーファスもロドニーもチャドも死んだ。エリオットとトミーも連絡が取れなくなった。確実に生きているのはダリルとメルヴィン。他はわからないな」
シャルムに声をかけられたダニエルは答えた。
「おいおい、シャルム。こりゃあかつてない危機だぜ。ボスはいねえ、メンバーは相次いで殺される。猫を可愛がってる場合じゃねえぞ」
「そうだな……それで、今は何ができる? この時間に殴り込みか? もしできるのなら急いだほうがいい」
シャルムはそう言って立ち上がる。物静かな彼からも、静かな殺気――兄弟を失った悲しみがにじみ出ていた。
その殺気を警戒したのか、彼の足元にいた猫は怯え、机の下に隠れてしまった。
「どうするかなァ? ま、出たとこ勝負って感じか。悪名高き野郎どもをぶっ殺せたらそれでいいよなあ?」
ダニエルも椅子から立ち上がる。
「よっしゃ、行こうぜ。俺たちは強い。たとえ敵が多かろうとな」
シャルムとダニエルはアジトのドアを開けて外に出た。2人を見送るように、部屋の中で猫が鳴いた。




