第18話 医者、自らを診る
【今回の症例】患者名:剣崎アラタ。主訴:動悸、労作時息切れ、間欠的な胸部違和感。
――医者が自分を診られない理由は、技術ではない。
医者は、自分の主治医にはなれない。
理由は簡単だ。――怖いからである。
医者が自分の症状を数えるのは、患者のそれを数えるより、ずっと難しい。
数えてしまえば、認めることになるからだ。
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【VINDICATE】対象:剣崎アラタ(この身体)
脈拍:発作性心房細動 〈心臓が時々不規則に震え、脈がバラバラになる〉
基礎に弁膜症の疑い 〈弁膜症=心臓の中にある逆流防止の扉が、うまく閉じなくなる病気〉
所見:労作時息切れ、動悸、間欠的な胸部違和感 〈動くと息が切れ、時々胸がざわつく〉
警告:この身体、心臓に器質的異常あり
〈器質的=気のせいや疲れではなく、臓器そのものが実際に傷んでいるということ〉
転生前の"死因"とは別個の、新たな脆弱性
放置した場合の転帰:数年内に心不全、あるいは──血栓による塞栓症
〈心不全=心臓が血を送りきれなくなる状態〉
〈塞栓症=心臓の中でできた血の塊が飛び、脳などの血管を詰まらせること〉
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俺は、寝台の上で、しばらく動けなかった。
病名は分かった。リスクも、予後も、必要な管理も分かる。
それでも怖かった。
第一話の最後に患者の恐怖を知ったつもりでいた。だが知識で整理できる恐怖と、これから何年生きられるか分からない恐怖は、別物だった。
(……冗談みたいな話だ。前世は大動脈解離で死んだ。転生先の身体は、心房細動と弁膜症持ちときた。──俺は、心臓に嫌われる星の下にでも生まれたのか)
だが、恐怖より先に、俺の頭は冷静に回り始めていた。前世の、あの床に倒れた夜と同じ。ただ違うのは──今回は、処置ができる立場にいることだ。
心房細動。心臓の上の部屋が、細かく震えて、血の流れが澱む。澱んだ血は、塊を作る。その塊が飛べば──脳の血管を詰まらせ、脳卒中を起こす。まさに、俺が国王で見たあの病だ。
「……皮肉なものだな」俺は一人、闇の中で呟いた。「国王を救った俺が、次は自分が同じ病の予備軍とは」
翌朝、俺はエリスに、全てを話した。
彼女は、しばらく言葉を失っていた。そして──怒った。
「なぜ、もっと早く言わなかったのですか!」
「言ってどうなる。仕事が山積みだ。帝国を放り出して、寝込むわけには──」
「──貴方は、いつもそうだ!!」
エリスの叫びが、部屋に響いた。彼女の菫色の瞳に、涙が滲んでいた。
「他人の命は、一人残らず数え上げて、仕組みを作ってまで救おうとするくせに! 自分の命だけは、いつも後回しにする! 王女の時も、団長の時も、眠り病の時も、貴方は寝ずに働き続けた! ……貴方が前の世界で、なぜ死んだのか──私、分かってしまいました。貴方は、他人を救いすぎて、自分を壊したんでしょう!」
俺は、言葉に詰まった。
図星だった。前世の俺は、七十二時間連続勤務の果てに、大動脈が裂けた。それは病であると同時に──自分の身体を、患者リストに一度も載せなかった、その報いでもあった。
「……そう、かもしれない」俺は、ようやく認めた。「俺は、"個人の限界"を超えたくて、仕組みを作ろうとした。でも……その"個人"の中に、俺自身は、入っていなかった」
エリスは、涙を拭い、そして──俺の胸に、そっと手をかざした。淡い、優しい光が灯る。
「私が、貴方を管理します。今日から、貴方は私の患者です」彼女は、震える声で、しかしきっぱりと言った。「貴方が私に教えたんです。『回復魔法は治癒の代替ではなく、増幅だ』と。『限界を知った上で、最も効く場所に使え』と。──なら、私の光で、貴方の心臓の負担を和らげます。血を澱ませないための養生を、貴方の"アナリティクス"で設計しなさい。私たちは、貴方の病も、"仕組み"で管理するんです」
俺は、彼女の光に包まれながら、久しぶりに──自分の身体を、患者として見つめた。
(……そうか。俺は、これを学ぶために、二度目の人生を貰ったのかもしれない。他人を救う仕組みと、同じくらい、自分を大切にする仕組みを作ることを)
その日から、俺のカルテに、新しい一枚が加わった。
〈患者:剣崎アラタ。主治医:エリス。──"防げた死"のリストに、自分自身を、二度と載せないこと〉
――このカルテが閉じられるのは、まだずっと先だ。
だが確かに、この日から。
俺の二度目の人生には、「主治医」がいる。
【今回のカルテ】
医師も患者である:自己診断だけに頼らず、主治医を持つことが重要である。
【たとえるなら】自分で自分を診るのは、自分の背中を自分で見ようとするようなもの。どうしても、鏡が――つまり主治医が要る。
【次回】第19話「帝都会議 ― 医療同盟の設立」
国境をまたぐ医療同盟。だがアラタが本当に欲しかったのは、条約ではなく「一枚の記録様式」だった。




