第一章:旅立ちの鐘と、眠れる鉄(前半)
◆ 世界:エーテルテラ
剣と魔法、神秘の力が満ちる広大な世界「エーテルテラ」。
大陸には、創世の神々が魔王の先祖を封じるために使ったとされる「五つの伝説の武具」の逸話が残されている。悪用を防ぐべく世界各地に封印された武具たちは、一人の勇者がそのすべてを身につけた時、神の領域の力を引き出す究極の姿「伝説の装備」へと覚醒すると伝承では言われている。
トントン、カン、カン、カン――。
朝の光が差し込む工房に、心地よい金属音が響き渡る。
辺境の町にあるその鍛冶屋では、すでに一仕事終えたドワーフの父親が、鍛え上げたばかりの農具を満足げに眺めていた。太い腕、赤銅色の肌、底抜けに広い肩幅、 trenches、そして顔の半分を覆う見事な髭。絵に描いたようなドワーフの体躯を持つ父・バルカンの横で、15歳になる息子のアンヴィルは、大きなふいごを引いて額の汗を拭った。
「ほら、アンヴィル! 手を休めるな、火床の温度が下がっちまうだろうが!」
「わかってるよ親父! でも、親父の叩くペースが早すぎるんだって!」
「ガハハ! これくらいでへばってどうする。お前は人間としちゃあ筋が良いんだ、俺の技術をしっかり盗みやがれ!」
ドワーフの父親バルカンと、人間の息子アンヴィル。
血の繋がりなどないことは、誰の目にも明らかだった。それでも、二人の間にある空気はどこまでも温かく、本物の親子そのものだった。
作業が一段落すると、バルカンは大きな手でアンヴィルの頭をごしごしと乱暴に撫で回した。不器用で、硬くて、でも信じられないほど温かい掌。アンヴィルはこの頑固で優しい父親のことが、たまらなく大好きだった。
仕事の合間の休憩時間、バルカンは冷たい水をアンヴィルに手渡しながら、いつもと同じ話を、まるで昨日のことのように懐かしそうに語り出す。
「お前はな、俺が森へ武具の素材にする木材を取りに、巨木の根元へ入った時にポツンと捨てられて泣いていた人間の子だ。衣服の隙間に『アンヴィル』と書かれたメモだけが残されていた。だからそれがお前の名前だ。俺には嫁さんも子供もいなかったからな、天からの授かり物だと思って夢中で育ててきたんだよ」
父親は豪快に笑い、再びハンマーを握り直す。
「俺みたいな無骨なドワーフの飯を『美味しい』って残さず食べてくれる。お前は本当に良い奴に育ってくれたよ」
種族の違う、拾われた人間の自分。
それでもアンヴィルは自分の境遇を「寂しい」と思ったことは一度もなかった。血は繋がっていなくても、目の前で汗を流して笑う父親バルカンに、自分は確かに世界一愛されている。その確信があったからだ。
「さぁて、休憩は終わりだ! 夜はお前の大好きな肉スープを作ってやるからな!」
「本当!? やった、親父のスープ世界一好きなんだ!」
二人は笑い合い、再び工房に心地よい鉄の音を響かせた。
この温かい日常が、永遠に続くのだと信じて疑わずに。
しかし、運命の歯車はあまりにも残酷に、突如として回り出す。
その日の深夜、大地を揺るがす地鳴りとともに、激しい雨が降り始めた。
泥にまみれた石畳を容赦なく叩きつける雨音を切り裂き、町に響き渡ったのは、凄惨な悲鳴と狂ったような咆哮だった。突如として襲来した、魔王軍の軍勢。天を突く激しい炎と黒煙が、数時間前まで平和だった町をあっという間に地獄へと変えていく。
「アンヴィル! ぐずぐずするな、これを持って走れ!」
崩れ落ちる工房の炎を背に、アンヴィルの前に立ちはだかったのは、煤と血にまみれた父親バルカンだった。その手には、昼間まで叩いていた農具ではなく、父が自ら最高峰の鋼を叩き、生涯のすべてを懸けて鍛え上げたという一本の剣が握られている。
「親父……! でも、親父はどうするんだよ!? 一緒に逃げよう!」
「馬鹿野郎! 俺の短い足で魔獣から逃げ切れるかよ!」
父親は荒々しく笑い、アンヴィルの胸元に無理やり剣を押し付けた。あの昼間と同じ、分厚く、硬い掌が、アンヴィルの肩を壊れそうなほど強く掴む。
「いいか、アンヴィル。俺は鍛冶師だ。自分の作った最高の一振りの意地、それを魔族どもに見せつけてやらなきゃ職人生命に関わる。お前は生き延びろ。生き延びて、強くなれ。そして……この世界を蝕む魔王を、ぶち倒してくるんだ!」
「嫌だ! 親父を置いていけるわけないだろ!」
「行けーーっ!!」
それが、最後の言葉だった。父親バルカンの圧倒的な怪力によって、町の隠し裏口へと力任せに押し出される。振り返った視界の先、炎の中に飛び込んでいく小さな、しかし誰よりも巨大な父親の背中が見えた。アンヴィルは涙で視界を完全に奪われながらも、ただ無我夢中で、泥を撥ね散らしながら走り続けた。
冷たい雨が容赦なく体温を奪っていく街道まで逃げ延びた時、アンヴィルの足が止まる。
肺が破れそうなほどに息が切れ、心臓が痛いほどに脈打っていた。手にあるのは、父から託された一本の剣だけ。何もかもを失った。
(何が魔王を倒すだ……! 僕は、ただの拾われ子なのに……!)
自分はただの身寄りのない、持たざる「普通の人間」だ。そんな自分が、世界を救う勇者に、魔王を倒す特別な存在になれるはずがない。孤独と不安、それから父親バルカンを救えなかった絶望が、15歳のアンヴィルの身体を芯から震わせた。ボロボロとこぼれる涙が、雨水と混ざって地面に落ちる。
その時、激しい雨幕の向こうから、一人の人影が音もなく現れた。
深く被ったフードの隙間から覗くのは、長い年月を生きてきたことを物語る見事な白髪と、すべてを見通すような、深遠で、どこか懐かしい瞳。その老人は、絶望に打ちひしがれて立ち尽すアンヴィルの前に静かに佇むと、何も言わずに片手を差し出した。
「え……?」
老人の掌の上で、ひとつの「玉」が不思議な、しかし狂おしいほどに温かい輝きを放っていた。
戸惑うアンヴィルの手をそっと取り、老人はその玉を少年の泥まみれの掌へと落とする。言葉は一切なかった。しかし、その玉が肌に触れた瞬間、あの狭い工房で父親バルカンと並んでスープを飲んでいた時のような、絶対的な安心感がアンヴィルの心を確かに包み込んだ。
老人は満足げに一つ深く頷くと、踵を返し、冷たい霧の向こうへと姿を消していった。
アンヴィルは掌の中の玉を、痛いほどに強く握りしめた。冷たかった身体に、ふつふつと熱が戻ってくる。
自分を息子として育ててくれた父親バルカンの愛を、その身に宿した剣を証明するために。
「……親父」
アンヴィルは涙を拭い、腰に帯びた不格好な鉄の剣に手を置いた。
自分を息子として育ててくれた父親バルカンの愛を、そしてその身に宿した剣の意地を証明するために。少年は泥を撥ね、果てしない冒険へと一歩を踏み出した。




