第64話「偽神暗鬼」(3)【挿絵あり】
「復讐したいのはこっちの方だよ!アタシの左脚返しな!」
その時、遠くから声が聞こえる。それは風に掻き消されてしまいそうだったが、確かにベンジャミンの耳に届いた。
バーバラの声だ。
「貴様も同罪だ。今度は脚だけじゃなく、全身切り刻んでやる」
ベンジャミンの瞳は狂気に満ちていた。今の彼の瞳は、獲物を狙う猛獣のそれだった。復讐に頭を支配されたベンジャミンは、最早まともな思考が出来ない状況に陥っていた。教皇の仇を取る。その気持ちだけが彼の頭を支配している。
ドーン‼︎
ベンジャミンが梯子を握る両腕に力を入れたその直後、鼓膜を突き破るほど強烈な破裂音が辺りに響き渡る。どうやら、ベンジャミンの間近で何かが爆発を起こしたようだ。その周辺は煙に包まれ、状況を確認することが出来ない。
「誰がアンタに殺されるもんですか!」
下の様子をずっと見ていたバーバラが得意げにそう言った。どうやら彼女が真下に爆弾を落としたようだ。彼女は料理だけでなく、爆弾さえも作ることが出来た。
ところがその直後、煙の中から屈強な2本の腕が飛び出し、再び梯子を掴む。そしてベンジャミンは梯子を登るのではなく、力いっぱいその梯子を手前に引っ張り出した。
ミシミシと音を立てた梯子は、ゆっくり崖から引き剥がされて行く。頑丈なはずの梯子が、まるで針金のようにグニャッと曲がった。崖と梯子を固定する留め具は、次々と外れていった。
「おいおい、マジかよ……」
それはベルのいる地点まで影響を及ぼしていた。すでに梯子は半分以上が崖から剥がされ、ベルは不安定な梯子にしがみ付いている。
逃走者たちは、黒魔術を使わずにレイリーと同等の腕力を見せるベンジャミンの恐ろしさを、改めて思い知った。
ドーン‼︎
その時再び爆発音が鳴り響き、ベンジャミンの動きが妨げられた。バーバラの攻撃の手が休むことはなかった。彼女はありったけの爆弾を次々と落としている。
ドーン、ドーン‼︎
絶え間なく爆発の起きる崖の麓では、ベンジャミン以外の月衛隊が身動きの取れない状況が続いていた。ベンジャミン以外は誰も、今いる場所から先に進むことが出来ない。
何度爆発が起きようと、ベンジャミンはその都度煙の中から姿を表す。
梯子を壊すことを諦めたベンジャミンは、真ん中の梯子を登り始めた。ベルの動きを鈍くして、そのまま彼を捕まえるつもりなのだろう。
下で爆発が起き続けている間、逃走者たちはかなりの高さを登っていた。彼らはすでに崖の半分以上の高さまで到達しており、順調に行けばこのまま追手から逃げ切ることが出来そうだ。
「ベル・クイール・ファウストォォォッ‼︎」
梯子の様子を見ながら慎重に上を目指すベルがふと右下を見ると、怒り狂うベンジャミンが隣の梯子を物凄い勢いで登って来ているではないか。その速度はベルとは比にならないほどのもので、うかうかしていると簡単に追いつかれてしまいそうだ。
「……レイリーを殺したのは、お前なんじゃないか?」
ベルはベンジャミンの様子を見ながら、そう叫んだ。レイリーが死んだ直接の原因はベルではない。腹部の傷が、それを物語っていた。
「それがどうした?お前たちには関係ないだろう。役立たずの駒を捨てて何が悪い?」
ベンジャミンに一切悪気はなかった。教皇の力になれなかった、役立たずの駒。彼にとってレイリーは、所詮その程度の存在だった。
それに、レイリーはベルたちにとって裏切り者。ベンジャミンは、彼らがレイリーの事を気にしているとは、塵ほどにも思っていなかった。
「そうか……それだけ聞けたら十分だ。
……………………復讐されるのは、お前の方だよ」
ベルは静かにそう呟いた。その声がベンジャミンに届くことはなかったが、それはベルの決意を表していた。
レイリーはずっと正体を隠して来た敵だった。それでも、その本性は、孤独で不器用な少女。彼女には友達が必要だった。
もっと早く友達が見つかっていれば。あの時彼女を拾ったのがベンジャミンでなければ、彼女の運命は大きく変わっていたかもしれない。
「どうした?逃げることを諦めたか?」
しばらく俯いていたベルを見て、ベンジャミンはそう思った。
「テメェに…………テメェに人を憎む資格はねぇ‼︎」
ベルは声を張り上げて、ベンジャミンに叫ぶ。ベルの瞳からは、一筋の涙が流れていた。裏切られていても、仲間として生活していた時間は決して嘘ではなかった。何とかこの世に留まり、罪を償うチャンスのあったかもしれない命を、ベンジャミンは簡単に奪ってしまった。
静かに怒りの炎を燃やすベルはベンジャミンに向けて多重の魔法陣を展開し、息つく間もなく腐炎によるバーニング・ショットを放った。
茶色い炎の一筋が、真っ直ぐにベンジャミンに届く。そして炎の筋はそのままベンジャミンの腹部を貫いた。奇しくも、それはレイリーを絶命させた彼の一撃と同じ位置に直撃していた。
「ファウスト…………」
ベルの怒りの一撃を受けたベンジャミンは梯子から手を離し、そのまま地面に落下した。
梯子の麓では未だにバーバラの爆弾によって発生した炎が燃え盛っており、ベンジャミンの姿は炎の中に消えていった。
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しばらくして、19名の逃走者は無事に崖を登り切った。
崖の頂上には、7台の車がエンジンを吹かせながら待機していた。その全ての車はオープンカータイプの軍用車で、車体は深緑色に塗装されている。太いタイヤと頑丈そうなボディからは、どんなに険しい道でも進んで行ける強さを感じられる。
「安心してる暇はないぞ。奴はしぶとい、じきに追って来るだろう」
「船長、目的地はブレスリバーでいいんですよね?」
ハンクはすぐに車に乗り込んだ。
「あぁ、ブレスリバーまで無事に帰る。お前たちもそれでいいな?」
ランバートは、同志たちの顔を見ながら尋ねた。もはや故郷に戻ることの出来ないバーバラ、エミリア、バートは迷いなく頷いて見せたが、ベルたちはそうではなかった。
「なんだ?不都合でもあるのか?」
「いや、それが……俺たちエリクセスに行きたいんです」
てっきり全員がブレスリバーを目指すものだと思っていたランバートは、ベルの反応を見て驚いている。ベルはジェイクとセドナの助言のとおり、まずは黒魔術士騎士団本部のあるエリクセスを目指そうと考えていた。
「エリクセスか……それはちょっと不都合だな……そうだ、1台お前たちにやろう。それでエリクセスに向かうといい」
ランバートは少し考えた後、ベルたちに車を1台渡すと言う選択肢を選んだ。それは無責任な選択にも思えるが、バーバラたちとベルたち双方にとって都合の良い選択でもあった。
「えっと……」
「ありがとうございます!」
ベルがどう返答すべきか困っていると、迷うことなくリリが車の鍵を受け取った。
「お前運転出来んのかよ?」
「まあまあ、私に任せて!」
不安な顔をするベルに、リリはとびきりの笑顔で応えた。もちろん彼女に車の運転の経験はない。リリが運転の経験がないことに見当がついていたベルは、宙を仰いだ。
「それと、こいつも持って行け。多少は誤魔化せるだろう」
ランバートは、さらにベルたちにプレゼントを渡す。それは、船乗りがつけるようなバンダナ3枚。よく見てみると、その間に眼帯が1つだけ挟まっていた。
「マジですか……」
戸惑いながらもベルはそれを受け取り、苦笑いした。確かに変身の魔法は残り1回しか使用出来ない。変装手段が増えるのは有難いことだが、この程度の変身では、正体を隠すことは出来ないだろう。
「いいってことよ」
ベルの心のうちを知らないランバートは、笑顔でベルの肩を叩いた。
そんなやり取りが終わると、ベルたちに与えられる車に乗っていた水夫たちは他の車両に移動し、残りの逃走者たちも次々と車に乗り込んだ。
もちろんレイリーも、車両の1つに乗せられた。
「達者でね!」
先頭車両で出発するバーバラが、最後尾の車両に乗っているベルたちに手を振る。これに続くように次々と車両が出発し、エミリア、バート、ランバートがベルたちに別れを告げた。
「私たちも行くわよ………‼︎」
全ての車両の出発を見届けると、リリも車を出発させた。出発する頃には、ベルは貰ったバンダナを律儀に頭に巻き、アレンはバンダナだけではなく眼帯までも身に付けていた。頭のリボンが曲がるのを危惧したリリは、バンダナを巻かなかった。
明らかに不慣れな様子でレバーを引き、ハンドルを握るリリ。ところが、レバーをしっかり引いていなかったようで、車は一向に動く様子を見せない。
それを見て、ベルは一抹の不安を感じていた。一方のアレンは何も気にしていない様子。そんなアレンは海賊になりきって、無邪気にはしゃいでいる。
「今度こそ、行くわよっ!」
スイッチやレバーを弄りながら、ようやくリリは車を発進させた。他の皆と遅れを取ったため、ベルは心配して後方を確認する。幸い、ベンジャミンたちが崖を登ってくる気配はしなかった。
逃走を再開したベルたちの命運は、リリの運転に委ねられた。そんなリリは、1度も車を運転したことがない。何はともあれ、復讐の鬼が暴れるルナトの町を脱することは出来た。
指名手配犯ベルは、リリとアレンを連れて王都エリクセスを目指す。この先に何が待ち受けているのかは分からないが、ベルがリリの運転に不安を覚えているのは確かだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
まるで第2章が終わるような雰囲気が漂っていたかとは思いますが、まだ第2章は終わりません!まだ一波乱、二波乱あります!笑
第2章は第1章よりちょっと捻くれた終わり方をするので、お楽しみに!




