第64話「偽神暗鬼」(2)
「………………」
その様子を、ベルは少し離れたところで見守っている。レイリーが死んでしまっていることは、誰の目から見ても明白。ベルは彼女の死を受け入れ、これまでのレイリーの姿を思い浮かべ始めていたが、エミリアは違った。彼女はまだレイリーの生存の可能性を信じ、心臓の鼓動を聴こうとしている。
「エミリア……
レイリーは……
レイリーは………………………もう死んだんだ。帰ろう…………」
ベルはエミリアに近づいて、事実を明確にする。それまでベルにとってレイリーはただの裏切り者でしかなかったが、レイリーの生を望み、必死にその死を否定し続けるエミリアの姿を目の当たりにして、気持ちに変化がないわけがなかった。レイリーは、こんなにも1人の人間に想われている。エミリアが言うように、共に過ごした中で見せた彼女の笑顔は本物だったのかもしれない。
ベルはレイリーに悲しい過去があることを知っている。これまで孤独しか味わってこなかったレイリーは、たとえそれが嘘であっても、仲間との日々を心から楽しんでいたのかもしれない。
「嘘………レイリーちゃんは生きてますわ!絶対連れて帰りますっ!」
それでもエミリアはレイリーの死を否定する。どれだけレイリーの胸に耳を当てても、鼓動は聴こえて来ない。レイリーが目を開くことはなく、腹部には治療しようのない大きな傷が開いている。
彼女は死んでいる。エミリアはすでにそれを完全に理解していた。ただ実際にそれを口にしてしまうのが、とてつもなく怖いのだ。
「………………」
冷たくなったレイリーにすがるエミリアを見て、ベルはそれ以上何も言わなかった。レイリーが生きているとひたすら信じようとするエミリアを見て、ベルは何もすることが出来なかった。
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その頃、ルナトの町は騒がしくなって来ていた。
「月衛隊がうろついてるみたいだ…」
「この食堂にいるのは頭の良い考えじゃないな……」
ブラインドの隙間から食堂の外を覗いているバートとランバートが、町の異変に気づく。怒り狂うベンジャミンの命を受けた月衛隊が、一斉に町に出動していた。彼らが探しているのがバーバラたちであることは言うまでもない。
「急いでこの町を出た方がいいかもしれんな……」
「でもアタシはこんな状態だ。アタシを置いてとっとと逃げな」
バーバラには、この町から逃げる気がなかった。車椅子に乗っている今の彼女は、確実に皆の逃亡の妨げとなる。それは仲間を思う彼女だからこそ、出た言葉だった。
ガチャ……
「誰だ‼︎」
その時食堂の裏口の扉が開かれる。バートはその音にいち早く反応した。
「…………………」
そこにいる全員が、裏口の方へ注目する。未だ姿は見えないが、何者かがこちらへ近づいて来ているのは間違いなかった。足音を聞く限り、こちらへ向かって来ているのは1人ではないようだ。
「……………なんだハンクか、遅かったじゃないか!」
謎の侵入者が姿を現した時、ランバートが胸を撫で下ろす。彼らの前に現れた集団の先頭に立っていたのはハンクと言う男。彼は32年前、奇跡の旅客船ミセリコルディア号で働いていたランバートの仲間だ。
「誰だい、そいつは?」
「不測の事態に備えて、前もってブレスリバーの仲間を呼んでおいた。コイツらがいれば、バーバラも難なく逃げられるだろう。もっと早く来てくれるものだと思っていたんだがな」
ランバートは用意周到な男だった。ルナトに来る前に、ブレスリバーの仲間に増援を頼んでいたのだ。以前ミセリコルディアで働いていた水夫たちはもちろん、彼がブレスリバーで作った新たな仲間が大勢この町に駆けつけていた。
「へへへ、すんません。車運転するのなんて久しぶりだったもんで」
ハンクは苦笑いして謝罪する。
「車で来たのかい。アンタの仲間ってのは何人いるんだい?車は何台あるんだい?」
「総員21人。車は7台あります。外は怪しいマントの奴らが出歩いてますが、どうしますか?」
水夫たちをまとめるハンクと言う男は、状況を簡単に説明した。
「そいつは月衛隊だ。私たちは奴らの怒りを買ってしまった。一刻も早くこの町を出たいのだが、上手く行きそうか?」
彼らのボスはランバート。いつでも場を仕切ろうとするのがバーバラの性だが、この場での仕切り役はあくまでキャプテン・ウィリアム・ランバートだ。
「崖の上には7台の車と9名が待機していて、残り12名は下に降りて来てます。逃げる人数は何人ですか?」
ハンクはいつもの調子で、現状をランバートに報告する。すでにルナトの高い崖の上には逃走用の車が用意してあり、準備は万端だ。
ガチャ……
「誰だ!」
その時再び裏口の扉が開く。今度こそ月衛隊かもしれない。そんなことを思いながらランバートをはじめとする逃走者たちは、扉の方に注目する。
「お待たせ……」
そこに現れたのは、ベルとエミリアだった。全身を血で染めたエミリアは憔悴しきった様子で、俯いている。その隣で、ベルは血塗れのレイリーを抱きかかえている。
「何があったんだい………」
レイリーの変わり果てた姿を見たバーバラは、驚きを隠せない。彼女は裏切り者を許す気など毛頭なかったが、いざ傷ましいレイリーの姿を見ると、そうも言っていられなかった。
「色々あったけど……今は逃げるのが先だろ?町には月衛隊がウロウロしてるぜ」
「これで全員だとしたら、総勢28名に死人が1人ですか」
ハンクは瞬時に状況を判断し、逃走する人数を把握した。このような緊迫した状況を、彼は何度も経験して来たのだろうか。
「逃げるが勝ちか。奴らがここに来るのは時間の問題だ。さっさと行くよ!」
「直ちにこの忌まわしい町を抜け出す!お前たちはバーバラを抱えてくれ、さっさと逃げるぞ!」
バーバラに負けじと、ランバートも遅れて指示を出す。水夫たちが来るまでは、どうバーバラを逃すかが問題だったが、これだけ人数がいれば問題はない。後は時間だけの問題だった。月衛隊に見つかる前に、追いつかれる前に、逃げなければならない。
「アイキャプテン‼︎」
統率のとれた水夫たちは、ランバートの命を受けて一斉に動き出す。最後の最後に現れた強力な協力者によって、同志たちの逃走は格段に容易いものとなった。
「いたぞ!逃すな!」
しかし、バーバラたちが裏口から食堂を出た数十秒後、月衛隊が彼らの姿を見つけてしまう。人数も多く、逃走手段も揃っているが、あまりにも早い段階で敵に知られてしまった。崖の上まで登ってしまえば、すぐにここから逃げ出すことが出来るが、その前に追いつかれてしまうと面倒なことになる。
食堂を飛び出した19名の逃走者たちは、崖に向かってひた走る。全速力で崖に向かう彼らの中には、何やら大きな袋を抱えている者もいた。その正体はレイリーの亡骸だった。そのまま彼女を置いていくようなことはせず、逃げた先できちんと供養するつもりなのだろう。
「急げ!上に登ることだけを考えろ」
ようやく崖の麓にたどり着いた時、ランバートが大声でそう言った。彼らの前にある梯子は全部で3つ。この場所にたどり着いた者から順番に梯子を登って行く。全員が必死だ。彼らのすぐ後ろには、月衛隊が迫って来ている。
後ろを振り向けば、徐々に月衛隊の数が増えて来ているのが分かる。彼らの人数も少なくはない。ルナト脱出は一刻を争う。バーバラを抱えた水夫たちと、レイリーを抱えた水夫たちが先頭を行き、それにリリとアレンが続く。
そして、その後を残りの水夫たちが追いかける。3つの梯子を最後に登り始めたのは、左からそれぞれベル、ランバート、バートだった。
「逃げるのか?ファウスト!」
ベルが梯子に片足を掛けた瞬間、一際大きな声がこだまする。恐る恐る振り返るベルの後ろには、ベンジャミンの姿があった。まだ少し離れた所にいる彼の姿は小さいが、ベンジャミンがここまで来るのも時間の問題だ。
「くっそ……」
憎しみに駆られたベンジャミンに返答することなく、ベルは先を急ぐ。一々追手の相手をしている時間はない。ベンジャミンのような敵に追いつかれれば、確実に逃走計画に悪影響が出る。ベルは一心不乱に上を目指した。
「貴様だけは、逃がさん‼︎」
呼びかけに答えもせず逃げ続けるベルを見て、ベンジャミンは怒りに震える。彼は目の前を覆い尽くす月衛隊の群れを乱暴に掻き分けながら、ベルの後を追った。それに続くように他の月衛隊メンバーも次々に動き出し、逃走者たちを追い詰める。
「船長、これはマズいですよ」
後ろを振り返ったハンクが、真下にいるランバートに報告する。急いで上がらなければ、犠牲者を出しかねない。
「あぁ、分かってる。下の奴らは私が相手する。お前は黙って先を急げ」
ランバートはそう言いながら、ハンクの足に触れた。今この時、ランバートがルナトを訪れてから最も緊迫した空気が流れていた。復讐に燃える月衛隊の面々が、すぐそこまで迫っている。
他の逃走者たちも、追手がすぐそこまで迫っていることに気づき、死に物狂いで梯子を登って行く。彼らはかなりの高さまで崖を登り詰めていたが、ゴールまではまだまだ遠い。
そんな状況の中、ついにベンジャミンが梯子のすぐ近くまで到達してしまう。復讐の鬼が梯子を登ろうとしていた。
「アンタら、もっと速く動きな!敵はそこまで迫ってるんだよ!」
追手の様子を高い所からずっと観察していたバーバラは、彼女を抱える水夫たちに怒鳴った。
「お前ら全員殺してやる」
怒り狂うベンジャミンは、ついに両手で梯子を掴む。彼が掴んだのは、当然ベルが登っている1番左の梯子。彼の1番の標的は、ベルだ。ベルとベンジャミンの間には100メートル近い距離があるが、彼の驚異的な身体能力を考えれば、追いつかれるのは時間の問題だろう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
迫るベンジャミンの手。超人的な肉体のベンジャミンは、あっという間にベルたちとの距離を詰める。すぐそこまで迫っているベンジャミンから逃げ切る術はあるのか!?




