第54話「見えない牙」(1)
ベルとレイリーがビースト・ロードを抜けた頃、エミリアはバートと一緒にいた。
改稿(2020/09/15)
バーバラの食堂の1室。薄暗い部屋のベッドで、バートが横になっている。エミリアはベッドの脇の椅子に座り、眠るバートを見守っていた。
「エミリア……」
「ふぇっ!」
突如言葉を発したバートに、エミリアは言葉にならない声を上げる。
「ハハ……俺は眠ってたのか?」
「ええ。お父様に連れられて、あなたは傷だらけで帰りました」
「情けないな……何で俺はこんなに無力なんだ……」
バートは自分の力の無さを悔いていた。仮面の男に大したダメージを与えることも出来ず、ボロボロの状態で帰って来てしまった。
「バートは無力なんかじゃありませんわ!」
「俺なんか無力さ……俺たちには黒魔術士がいる。アイツらに比べれば、俺の力なんて無いに等しい」
バチン‼︎
「何するんだ⁉︎」
自身の無力さを痛感していたバートだったが、突然左頬に激しい痛みが走った。昨夜ベンジャミンに殴られてからバートの左頬は腫れている。エミリアはそれを知ってか知らずか、左頬をビンタした。
「その、俺なんか…って言うのやめてください‼︎あなたは強い……ですわ」
バートにビンタした直後までエミリアの感情は高ぶっていたが、喋っているうちに落ち着きを取り戻した。
それどころか、今では彼女の顔には恥じらいも見て取れる。
「………どうしてそう思うんだ?」
「あなたのおかげで……昨日私は無事でした。あなたがこんなになるまで、頑張ってくれたおかげで……」
エミリアの頰を、一筋の涙が伝っていた。そんな彼女の顔を見て、バートは頬を赤らめる。
「と、当然だ!シワだらけの化け物なんかにお前を渡してたまるか!」
バートは急に気恥ずかしくなった。彼はエミリアを愛している。エミリアと結婚するのは自分だと、普段から口にしている。そんなバートだが、いざ2人きりになると、変に緊張してしまうのだった。
「ふふっ……」
「ところで、あの金髪の黒魔術士のことはどう思ってるんだ?」
2人の間に流れる空気に気まずさを感じたバートは、唐突に話題をすり替えた。これは恋人同士の間に流れるくすぐったい空気なのかもしれないが、バートはそれに耐えられなかった。
「何でそんなことを聞くんですか?」
「だって、アイツは俺よりも強くて頼りになる……あ、アイツのこと好きなんじゃないのか⁉︎」
今のバートは少々卑屈になっている部分もあったが、この言葉は彼の本心だった。まるで王子様であるかのように、突如として現れたベル。颯爽と現れただけではなく、強力な黒魔術も持っている。
エミリアが尊敬を込めてベルのことを“騎士様”と呼ぶことからも、彼はエミリアがベルに惹かれているのではないかと思っていた。
「まあ……分からず屋さんですわね」
それを聞いたエミリアは微笑んだ。この微笑みの意味を、この時バートは理解することが出来なかった。エミリアは、鈍感なバートに愛おしさを感じていた。
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その頃、ベルたちは月の塔を訪れていた。
月の塔、またの名をセント・ルナト・タワー。この塔はルナト教の信者にとって、最も神聖な建造物とされている。天にも届きそうなほど高い塔だが、その最下部は礼拝堂になっており、日々町民が礼拝に訪れていた。
日が暮れても礼拝者は後を絶たず、ベルたち月衛隊が現れても彼らは礼拝を続ける。礼拝堂の祭壇には、数えきれないほどの供物が捧げられていた。
月衛隊隊長ベンジャミン、そして新メンバーの3人は、礼拝堂の祭壇の前で足を止めた。
「ベル・クイール・ファウスト、レイリー、ジム・コリー。お前たちを月衛隊のメンバーとして認める」
ベンジャミンの低い声が礼拝堂に響き渡る。ビースト・ロードを無事に突破したのは3人。自然の黒魔術を使うベル、超化の黒魔術を使うレイリー、そして能力不明のジム。
「これからは教皇様のために、その力を使ってもらう。月衛隊の一員になるにあたって、まずは教皇様に忠誠を誓ってもらおう」
礼拝堂の中心で、3人の黒魔術士の月衛隊入隊式が始まる。
「教皇様にこのオーブを捧げます」
まず最初に口を開いたのはジム・コリー。ただ運が良かっただけなのか、黒魔術を使ったのか。ベルたちと共にビースト・ロードを走り抜けた男。彼は片膝をついて、教皇に忠誠を誓う。
「教皇様にこのオーブを捧げます」
続いてレイリーも、ジムと同じ言動をとった。レイリーは無神論者の同志だが、月衛隊に潜入するためには、偽りの自分を演じなければならない。
一方ベルはなかなかそのセリフを口に出来ずにいた。心の底から敵対している相手に忠誠を誓うことなど、嘘であってもやりたくないのだろう。
「早く!」
屈んだ状態のレイリーは、小声でベルに催促する。
「……顔も合わせたことない奴に忠誠誓わなきゃいけないのか?」
「どうした?何か問題でもあるのか?」
ベンジャミンは、ベルとレイリーの不穏な動きを見逃さなかった。
「い、いいえ。何でもありません」
「そうか……」
焦って取り繕うベルを見て、ベンジャミンがそれ以上言及することはなかった。
「教皇様に……このオーブを………………捧げ…ます」
ついにベルは心を決めた。言葉で忠誠を誓おうと、ベルは教皇に対して敵意しか抱いていない。入隊の誓いは、形式だけのもの。ベルには微塵も、信仰心などなかった。
「よろしい。これでお前たちは晴れて月衛隊の一員だ。その証として、これをお前たちに授けよう」
ベルとレイリーは無事に月衛隊への潜入を果たした。
彼らがベンジャミンから与えられたのは、黒いマントだった。それはベンジャミンが着用しているものと同じで、色だけが違った。今日加入した新メンバー以外の月衛隊のマントは青紫色だ。
教皇に忠誠を誓うことを拒んでいたベルだったが、与えられたマントはすぐに羽織った。
「さっそくだが、黒魔術士を新たに募ったのは他でもない。教皇様の結婚式が間近に控えていることは、お前たちも知っているな?間も無く結婚式だと言うのに、我々はまだ花嫁とコンタクトを取ることが出来ていない」
「それはどういうことですか?」
何の事情も知らないジムは驚いている。結婚式が決まっているのに、花嫁とコンタクトすら取る事が出来ていない。どう考えても異常だ。
「民にとって、教皇様と結ばれるとことはこの上ない幸せ。しかし、それを邪魔する輩がいるようだ」
ベンジャミンの顔が曇った。きっと、昨夜のバートとの戦闘を思い返しているのだろう。
「そんな罰当たりな連中がいるんですね……」
この町にルナト教を否定する者がいることを、ジムは知らなかったようだ。ジムは長いものに巻かれるタイプの人間。周りにあるものに反発することなく、当たり前のように受け入れる。彼はそうやって生きてきたのだ。
「このままでは結婚式が台無しになってしまうかもしれん……複数の人間が我らの邪魔をしている。そこで、お前たちには正体不明の反抗勢力の情報を掴んでもらいたい。猶予は2日だ」
抗う者が1人ではないこと、それは昨夜はっきりした事実。バーバラたちが月衛隊の情報を掴めていないように、月衛隊もまた反抗者の情報を掴めていない。
「たった2日ですか⁉︎」
ベルはあからさまに驚いた様子を見せる。
「当然だ。結婚式まであと5日。今日を除けばあと4日だ。確実な情報を掴み、必ずミス・ランバートをお連れする。誰にも邪魔はさせん!」
バーバラの想像通り、月衛隊は焦っていた。結婚式を予定通り進めるため、ベンジャミンには微塵の猶予も残されていなかった。新たな戦力として加入した黒魔術士は逆転の起爆剤。ベンジャミンはそう思っているに違いない。
「そしてもうひとつ。結婚式の3日前、つまり今から2日後。お前たちが得た情報を元に、ミス・エミリア奪取作戦を行う。私とお前たちを含めた7名で、ミス・ランバートをお迎えに行く」
「なぜ7名なんですか?月衛隊を総動員した方がいいのでは?」
レイリーは疑問を口にする。
月衛隊には後がない。力を出し惜しみして、エミリアを奪えなかったら元も子もないはずだ。それなのに、総員の3分の1ほどの人数で、奪取作戦を決行しようと言うのか。
「これは万が一のための保険だ。我ら全員が奴らの罠にハマるようなことがあってはならないからな。まずそのようなことは起きないと思ってはいるが……」
「なるほど」
「結婚式が無事に開かれるかは、お前たちの活躍に掛かっている!期限内に必ず情報を掴め。さもなければ、そのオーブを捧げてもらう」
ベンジャミンの瞳は冷酷だった。月衛隊は教皇の手となり、足となる。彼らは、教皇が全てを思い通りに運ぶための駒。そのために月衛隊は命をも捨てなければならない。
入隊早々言い渡された任務。それは、“反抗勢力の詳細な情報を掴むこと”。その反抗勢力が月衛隊に潜入した。そんなことは、ベンジャミンは夢にも思っていないだろう。命を受けたベルとレイリーは、さっそくバーバラの食堂へと向かった。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
無事に月衛隊に入るベルとレイリーだったが、結婚式に向けた準備はすでに始まろうとしていた…




