第49話「黒いリボン」(2)
10年前…
リミア連邦 港町リオルグ。
港町の小さな古民家に、幼いリリの姿があった。10年前、彼女は7歳。まだまだ幼い子どもだった。当時のリリは、髪を結んでいなかった。
「わーん‼︎」
幼いリリは泣いていた。家の外まで聞こえそうなほど大きな声で、泣いていた。大粒の涙を流すリリは、ベッドの側で蹲っている。何か悲しいことでもあったのだろう。
そんな彼女を遠くから見つめる、美しい女性がいた。彼女は、部屋の入り口でリリを見守っている。その視線はとても暖かく、全てを包み込んでしまいそうだ。
「ぐすん……」
しばらくして、リリは大きな声で泣き喚くことはなくなっていた。それでも、彼女の涙が止まることはなかった。拭いても拭いても、涙は溢れて来る。
「あらあら。どうしたの?私の可愛いリリちゃん」
遠くから見守っていた女性は、優しい笑みを浮かべながらリリに近づいた。それは、見ているだけで温かい気持ちになれるような、優しい笑顔だった。
「泣きたくないのに、涙が出てくるの……」
幼いリリの目を赤くなり、耳まで赤くなっている。喋りながら、リリはずっと涙を拭っている。もう袖までビショビショだ。
「そんなに泣いたら、可愛いお顔が台無しよ」
女性はリリの瞳から溢れ出す涙を、優しく拭った。
「あはーん‼︎ママーっ!」
母親の優しさは、かえってリリを泣かせてしまった。全てを包み込んでしまうような母親の優しさに、リリは心から甘えているのだ。リリは母親の胸に飛び込み、しばらく泣き続けた。涙が枯れるまで泣き続けた。
「そう。涙が枯れるまで、思いっきり泣けば涙は止まるの。好きなだけ泣きなさい」
身を委ねて泣くリリを、母親は優しく抱きしめた。母親の無償の愛は、子どもの悲しみを全て包み込む。リリは、気の済むまでずっと泣き続けた。
日が暮れるまで泣きつづけ、ようやくリリの涙は止まっていた。泣き止んだリリの目はすっかり腫れてしまっている。まるでハチにさされたかのようだ。
「まあ、おかしな顔。そんなに泣くからぶちゃいくになっちゃいまちたよ」
リリの母親ステラは、悲しみのどん底に沈んでいるリリを少しでも笑わせようとしていた。ステラはおどけながら、手鏡をリリの顔の前に持っていった。
「…………ぷっ!」
あまりにも不細工な自分の顔を見て、リリは思わず笑ってしまった。我が子の気持ちを明るく戻す方法。母親であるステラはその方法をよく知っていた。
「私の可愛いリリちゃん。一体何があったの?」
「あのね、学校でね…お母さんの悪口言われたの……」
すっかり落ち着きを取り戻したリリは、彼女が長い間泣き続けるようになったわけを話し始めた。
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6時間前…
リリは学校にいた。7歳のリリは、まだ学校に通い始めたばかり。周りの子どもたちと接することにも慣れていなかった。
「おい、そこの金髪!」
リリに声をかける、1人の少年がいた。この、燃えるような真っ赤な髪の少年は、この時初めてリリに声をかけた。
「…………」
その少年に対して、リリが返事をする事はなかった。少年は礼儀がなっていなかった。まだまだ幼い少年が礼儀を知らないのは仕方のないことかもしれない。
しかし、リリはそれが癇に障っていた。
「お前生意気だな!俺様が話しかけてやってるんだ!こっち向けよ!」
しつこくリリに声をかける少年。彼は、まさに10年後にリリが出会うことになるロック・ハワードにそっくりな人間だった。強気で、傲慢で自己中心的。リリが最も嫌いなタイプだ。
「ふんっ………」
リリは、気に入らない人間の相手をする気などなかった。そんなくだらない人間と話しても、何も良いことはない。それを、リリは幼いながらも理解していた。
女性の方が男性よりも精神年齢が高いと言う。今リリに声をかけている少年は、確実にリリよりも精神年齢が低かった。
「チッ!調子乗るなよ!ババアの子ども!」
リリの素っ気ない態度が、今度は少年の癇に障わった。自分の思い通りに行かない事があれば、すぐに怒る。まさしくロックと同じだ。
「何ですって⁉︎」
少年の吐いた暴言に対して、リリは思わず反応してしまった。母親の悪口を言われて、リリは黙っている事が出来なかった。いくらなんでも、初対面の人間の母親の悪口を言うのは失礼過ぎる。
ここで、リリの怒りのスイッチが入った。
「お前の母ちゃんはババアって言ってんだよ‼︎だってババアみたいな髪じゃないか!」
臨戦態勢になったリリに対して、少年が引くことはなかった。それどころか、さらにリリを挑発している。
少年がステラのことを“ババア“と呼ぶのには、理由があった。リリの髪の毛は金色。
しかし、ステラの髪の色は違った。ステラはグレージュの髪の毛。灰色っぽい彼女の髪の毛は、少年にとっては老人のように見えてしまったのだ。
美しいステラは決して老人ではなく、もちろん少年も心からそんな事を思っていたわけではない。
しかし、少年はつい勢いに任せてリリを傷つけるようなことを言ってしまったのだ。
「私のママはおばあちゃんなんかじゃない‼︎」
喧嘩腰の少年に対して、リリは1歩も引かなかった。彼女は、間違ったことに徹底的に立ち向かって行く強さを持っていた。
「ババアだよ。ババアの子ども!ババアの子ども!お前の母ちゃんバ・バ・ア!」
少年は、人の心を傷つけるのが悪い事だと理解していなかった。それどころか、悪口が人の心を傷つける事さえ、あまり理解していない。彼は心の赴くままに、リリの心を傷つける言葉を繰り返した。
「うるさい‼︎」
その時、バチンと大きな音を立てて、リリの平手が少年の頰にぶつかる。リリは我慢の限界だった。
その手には、とても強い怒りが込められていた。
「痛ぇじゃねえか!」
少年は、赤く腫れた頰を押さえて抗議する。そんな彼の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。ここでようやく、少年はリリを傷つけていた事にようやく気づいた。
実際のところは、少年はリリとただ話がしたいだけだった。コミュニケーションの取り方を知らない少年は、間違った方法を取ってしまったのだ。
それからリリは誰とも言葉を交わすことなく、家に帰った。少年と喧嘩している最中から家に帰るまで、ずっと彼女は気を張っていた。ピンと張っていた糸が、家に着いた途端に緩まった。
それが、リリを泣かせた原因だった。リリは強い子どもだった。普通なら、悪口を言われた時点で泣いていたのかもしれない。
しかし、リリは徹底的に戦って、家に帰るまでずっと泣くのを我慢していた。
リリは、幼い頃から強い心を持っていたのだ。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
思い起こされる過去。強く優しい少女リリの幼少期のお話でした。




