29 強さの始まり
本日二度目の更新、最終話です。
空高く鳴く鷹。
キツネ狩りにうってつけな秋の日。
久々に実家に帰ってきたトーリは馬車移動で凝った腰を伸ばした。
そんなトーリとは対照的に十歳の息子と八歳の娘が興奮したように馬車を降りてくる。
気付けば高い所に登っている息子と、なんでもかんでもモーターを付けたがる娘。
元気の有り余る二人にとってディファイン領は制約の多い王都よりもよほど魅力的なのだろう、先を争うように屋敷へと入っていく。
「おじいちゃーん! 来たよー!」
向かう先はトーリの父親の部屋。
じじ馬鹿な父はきっと沢山のおもちゃやお菓子を用意して彼らを待ち構えているだろう。
やれやれ、と馬車から降りる妻に手を貸していると、まるで初めからそこにいたかのように彼はいた。
「久しぶりだね、トーリ。総務大臣補佐官には慣れた?」
町着姿の青年は軽い口調でそう言うとトーリに何かを投げて寄越す。
思わずつかんだそれは金属の筒だった。
「君はたしか……夜の目のコノハさんだよね。どうしてうちに?」
「約束を果たしに来た」
青年ーーコノハはにやりと笑う。
金属の筒は横一文字に切れ込みが入っており、引っ張ると真っ二つに割れた。
中から巻いた紙が出てくる。
「あれ、コノハさん。お仕事ですか?」
「ううん、今日は野暮用。サラには悪いけど、ちょっとトーリ借りていい?」
妻と青年がやけに親しげに言葉を交わしているのに違和感を覚えつつ、しかし歴代の宰相の秘書をしてきている彼女ならば王族専属の諜報部隊と繋がりがあっても不思議ではないと思い直す。
金属の筒から出てきた紙は自分の筆跡だった。
「トーリ、それ読んだらヒューズと繋がってる森に来て」
コノハはそう言って屋敷の前から去って行く。
なんなんだ、と思いながらも上から読んだその紙の内容は奇妙なものだった。
『トーリ・L・ディファインへ
これを読んでいるということは、君は幸せな家庭を築いているということだろうね。
僕はトーリ・L・ディファイン。
これを読んでいる君から12年前にいる。
サラにはまだ告白していない。
君も覚えがあると思うけど、東の島国とアイソープ国との関係でバタバタしてるからね。
なんにせよ、これは君にとって過去の自分から届いた手紙だ。
おっと、こんなもの書いた記憶がない、と呟く顔が見えるようだよ。
僕は記憶に自信があるからね、当然だと思う。
でも、信じてもらうしかない。
だって君は大事な記憶をたくさん、たくさん失ってしまっているから。
これを届けたコノハのことも、ろくに知らない男だと思っただろう?
でも今の僕にとっては大切な友人だ。しかも、かなり信用できる部類の。
そうじゃなきゃ12年後の僕に手紙を渡してくれなんていう気の長いお願いなんかしないだろう?
ところで。
質量保存の法則は覆るという話はわかるかな?
ある一つの時点を切り取った時、その瞬間に世界に存在する質量は、他のどの時点を切り取ったものとも同一だと考えるのが質量保存の法則だ。
まあ、実際はそんなことはなくて、世界を構成する要素を加速してぶつければ質量変化はいとも簡単に起きるし、本来併存するはずのないものを同じ時点に置くことも可能なんだ。
もしここまでの内容が理解できたとしたら、あとはうまいことやってくれ。
でも、もし少しでも疑問を抱いたなら、僕は君に頼みがある。
これから君に森に入って貰いたい。
熊を一頭仕留めてもらいたいんだ。
まあ仕留めなくてもいいけど、森で泣いている女の子を助けてヒューズ領に届けるっていうのは忘れちゃいけない。
その子はディファイン領の子じゃないからね。
幸運を祈るよ。
12年前の君、トーリ・L・ディファイン』
「読んだ? って読んだからそんな格好なんだよね」
しばらく待たせたはずなのに、まるでたった今来たというような風情でコノハは森の前に立っていた。
狩猟服を着てライフルを肩にかけるトーリの姿を見ると予想通りと言ったように頷く。
「森に入って少し進んだら、僕は待ってる。トーリはやることをやったら戻ってきて」
「コノハさんは何を知ってるんだ」
「聞きたいなら帰りに話すよ。上に睨まれて閉じ込められるのはごめんだからね」
森に踏み入る二人を止める者はいない。
五分ほど歩いたところでコノハはナイフを取り出して木に傷をつけた。
「何やってる?」
「ん? 目印だよ」
そうか、と前に進もうとしたトーリは、一瞬眩暈に襲われる。
馬車の移動がたたったのかもしれない。
傷のない木に手を滑らせたコノハが木に傷をつける。
既視感のような違和感を覚えたが、眩暈のせいかもしれないと足を進める。
分かれ道の手前に来てコノハは立ち止まった。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
本当にその先に進む気はないらしい。
トーリはよくわからないながらも「行ってくる」と返して森の奥へと進んだ。
水場を過ぎ、ヒューズ領にかなり近づいただろうところで聞こえたのは馬のいななきだった。
そして女性の悲鳴。
明らかに何かが起こっている。
声の記憶を頼りに足を早めると、二メートルは軽く超える熊が後ろ足で立ち上がっているのが見えた。
気配を気取られぬよう木の影に身を潜める。
熊の前に倒れているのは女使用人らしい。
そして、少し離れた場所でへたりこむ幼い少女。
たとえ手紙がなかったとしても、トーリは少女を助けるために動いただろう。
手早くライフルの準備をするも、その間に女使用人が熊の餌食になり無残にも姿を変えてゆく。
すまない。
間に合わなくて、すまない。
心の中で謝罪を繰り返し、熊の頭蓋をしっかりと狙う。
息を止めて、放つ。
ズドーン
衝撃音が響く。
火薬の臭いが漂い、熊は吼えながら倒れる。
だが、まだ油断はできない。
もう一度その頭蓋に向けてライフルを放つ。
「大丈夫、そのままで」
少女に声を掛けて、熊にとどめをさしにかかる。
数発撃ち、獲物が動かなくなったと確信できるまでしばらく待つ。
物音一つしない時間がすぎ、トーリはようやく少女の前に姿を現した。
「もう大丈夫だよ、おチビちゃん」
娘の姿に似た幼い少女。
恐怖で表情を失っているのが可哀想で、安心させるように頭を撫でてやり、娘にするようにひょいと抱き上げる。
女使用人の亡骸については後でヒューズの使用人に頼むことにし、トーリは少女を森の外へ送ることを優先した。
森から出るとヒューズ家の使用人たちはあわてふためくようにして少女を受け取り、トーリのことをディファイン侯爵と呼んで何度もお礼を繰り返した。
ディファインなのは違いないが侯爵なのは父であって自分ではないんだが、と言うタイミングもなく、トーリは森の中に取って返した。
使用人たちがサラお嬢様、と言っていたが、サラの兄姉の娘の中に妻と同じ名前の子がいた記憶はなく、おそらくヒューズに遊びに来ていた貴族の娘だろうと予想する。
帰りの森は行きよりも長く感じた。
一方、トーリを森の奥へ送り出したコノハは少し悲しそうに地面を蹴っていた。
「僕は……ずっと勝てないのかな」
そう言って来た道を振り返る。
ここは28年前の森だ。
コノハが生まれてもいないこの時間にコノハにとって無視出来ない分岐が起こっていると考えると、背筋が寒くなるような気がした。
ポケットから古びた手紙を取り出す。
何度も読んでふちが擦り切れたその手紙は、今こそ読むべきだと感じられた。
『コノハへ
まず、これを読んでも、どうか僕をとめないで欲しい。
いきなりで申し訳ないけど、かなり切実だ。
コノハは優しいし行動派だから、必ず僕を止めようとするだろうって思うんだよね。
とりあえず僕は君が僕をとめないでいてくれることを祈って先を続けることにするよ。
ヒーヅルの掟は君も知っている通りだ。
技術は外部の人間に渡さない。利用させない。
住民は住民とのみ結婚すること。
住民の子は住民とすること。
そして、これらを破った場合、当該住民は存在が抹消されること。
ところで、住民の定義はなんだろうか。
上層部が認めた人間?
うん、端的に言えばそうだ。
でも本質はどうか。
世界にまだ存在してはいけない科学を有する者、といったところじゃないか。
ということは、その科学を失った人間は住民でいる資格がなくなるということだ。
ついでにヒーヅルについての記憶がまっさらにななれば完璧だろうね。
コノハは第三研究室の研究内容を知っているかい。
あそこは生活科学と銘打っているけど、正確には幸せを分析して構築することを目的としているんだ。
人が快適に感じる温度や湿度、音や光といった刺激を分析して人工的に生み出す技術がメインだけど、彼らが研究する中に胸糞悪い記憶を消去するという技術がある。
要するに、消す記憶を選んで任意で消せるってことだ。素晴らしいね。
ここまで書けばコノハはもうわかったかな。
僕はこれから第三研究室の人間を連れて上層部に掛け合ってくる。
サラと一緒にいるためにヒーヅルを捨てようと思うんだ。
成功したら僕はたぶんコノハについてほとんどのことを忘れてしまっていると思う。
コノハと王城で話すことは全くといって良いほどなかったからね。
だから、それだけは君に申し訳なく思うよ。
この前、君が欲しいと言っていた任意の複数人を瞬間移動させる装置だけど、一昨日完成した。
研究室に置いてある靴の中敷の中にデータチップを入れてあるから好きに使っていい。
移動先の座標は認識可能範囲に限られるけれど、効果は保障する。
なんせ、よくわからないまま起動させても一発で移動を成功させることができた代物だからね。
ああ、よくわからないまま起動させてっていう点に不信感を抱かないように追記しておくと、この装置を初めて使った時、僕はまだそれを発明していなかったんだ。
だって、未来の僕が何の説明もなしに装置を過去に送ったんだからね。
なんでそれが分かるかっていうと、僕がさっきその装置を過去に送ったからだ。
いやー、不思議な感覚だったよ。
だって、手の中に改良前の素材があるのに、目の前に装置となった素材がうろうろしてるんだからね。
話がそれたな。
ともかく、その装置はオンオフ機能はもちろん、対象切替によって最大三人まで移動させることができる。
装置起動者と残り二人だ。
人の腕は二本だからちょうど良いだろう?
装置の代金だけど、今から言う三つのことをして欲しいんだ。
一つめは、研究室のロッカーに残した金属の筒を回収して12年後の僕に渡して欲しいということ。
二つめは、12年後の僕を28年前のディファイン領の森の中へ連れて行って欲しいということ。
三つめは、過去へ連れていった12年後の僕をもとの時間軸に帰して欲しいということ。
これだけだ。
金属の筒の中身は見ても構わない。見ても特に得られるものはないだろうからね。
現時点で過去から未来へ行く方法は確立されていないけれど、おそらくあと五年か、遅くとも十年あれば<もといた未来>へ行く方法が確立されるはずだ。
なんでそれがわかるかっていうと、うん、実はさっき君が来たんだよ。
本当のところ、未来の自分の予想をするのは困難で、君へのお願いを何年後に発動してもらうかを悩んでいたんだよね。
そうしたら青年になった君がやってきて、僕を一発殴ってから12年後の11月15日だって言ったんだ。
あれは本当に痛かった。
でも、僕が忘れても、十年以上もの間君が僕を友達だと思っていてくれたこと、本当に嬉しく思う。
最後に、卵が先か鶏が先か、という点について、おそらく僕は第六の誰よりも体験していると思うから残しておくよ。
まず、過去が未来を生むのが原則だ。
でも例外的に、未来が自分を生ませるために過去を生むんだ。
その分岐が初めからあったのか、新たに作られるのかはわからない。
ただ、ある一定の未来が存在することがわかっている場合、その未来を信じることはかなり力になる。
未来の自分がやるべき行動を自分がまだやっていない場合、自分はその時点で死ぬことは無いと信じて構わない。
もう少し言ってしまうと、未来の自分がとるべき行動を取れないように自分を配置しておけば、その間の生存は保障されると考えて良い。
ただ、分岐がいつ起きるかは不明だから、あまり無茶はしないように。
人生の一部分をループし続けて死んでいくのはごめんだろう?
特に、ヒーヅル上層部にだけは睨まれないよう細心の注意を払うことをお薦めする。彼らは分岐作成くらい平気でやりそうだからね。
さて、そろそろ時間みたいだ。
あとは頼んだよ。
トーリ・L・ディファイン』
終
これにて完結です。
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