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28 17年越しの思いは。

 王城で迎える三度目の春。

 それはサラにとって新しい主に仕えるようになって初めての春となった。

 庭園の噴水がきらきらと空の青を映す中、花の香りを胸いっぱいに吸い込む。

 眠気を誘う穏やかな気候の中、サラの前を通り過ぎる一人の青年がいた。


「あれ、サラさん? お久しぶりですね」


 黒髪の青年が翠色の瞳を細めるのを見て、サラも視線を和らげて答える。


「お久しぶりです、ロイスさん。この度は叙爵おめでとうございます」


「ありがとうございます」


 戦争が終わって半年。

 王国に有利な条件で結ばれた講和条約はアイソープ国との戦争だけではなく、休戦を挟み長く続いた東の島国との戦争も終わらせることになった。

 その中でアスコット伯爵の長男ロイス・ハイジは農林水産局書記官として戦後処理に奔走し、戦場となった地の住民の生活の立て直しに尽力したとして子爵位と領地を得ることになっていた。

 そして彼にはもう一つ。


「ご婚約もおめでとうございます。侯爵家のご令嬢だそうですね。素敵な方だと聞いています」


「はい。美しく賢い女性です。両親いわく、彼女ならアスコットの屋敷を取り仕切ることができるだろうと」


「それは何よりです」


 サラがロイスに婚約できないことを伝えたのは半島から戻ってすぐのことだった。

 膝に頭をつける勢いでした謝罪をロイスはわかっていたように受け入れ、頭を上げるように言った。


『主のことが好きなのでしょう』


 そう言ったロイスは肯定するサラに怒ることもなく、残念だと笑った。


『知っていましたよ。でも彼は二の足を踏んでいるようでしたから、もしかしたら掠め取れるかと思ってね』


 最後に握手をしましょう、と右手を出したロイスは仕事人の顔になっており、サラもまた、宰相補佐官秘書として彼の手を握った。

 同盟は不成立でも友好的な関係は続けること。

 二人の間で交わされた黙示の約束は守られ、ヒューズ子爵家もアスコット商会と取引をするようになった。

 商会経由で輸入された紙製品や竹に興味を示したサラの兄が電球の長寿命化に成功したというニュースが届いたのは二日前のことだ。

 次期アスコット伯爵のロイスとこのまま良い関係を続けられればいいとサラは願う。


「サラさんはどうなのですか。政務もそろそろ落ち着く頃合いですが」


「トーリ様はしばらく休暇を取られていて。ディファイン領にもいらっしゃらないようなんです」


「おや。それなのにあなたがここに居るということは、噂は本当なのですね? あなたが宰相付秘書になったというのは」


「はい。年末にディファイン家との契約が解除になりまして、今は新しく宰相閣下御本人と契約させていただいています。毎日『小娘ー!』って叱られてますよ」


「はは、閣下らしいですね」


 笑い合う二人の間をそよ風が過ぎてゆく。

 遠くで時を告げる鐘の音が鳴った。


「では、そろそろ」


「お仕事頑張ってください」


「サラさんも」


 別棟の会議室へむかうロイスを見送り、サラは散歩を続ける。

 もっとも、これはただの散歩ではなく宰相命令による情報収集の一貫だ。

 しかしそんな名目も春の空気に霧散し、燃え上がる炎のように咲き誇る薔薇を順繰りに楽しんでいるうちに、サラは年末のことを思い出していた。



 それは雪こそ降らないまでも寒い日で、トーリが手配した馬車から降りたサラは毛皮のコートの中に首をすくめて足を早めた。

 半年ぶりに訪れたディファイン領の屋敷。

 一時期勤めたこともあるその屋敷で迷うことはなく、コートと荷物を小脇に抱えたサラは一直線にディファイン侯爵の部屋へと進んでいった。


「旦那様、サラです」


「入りなさい」


 久々に会う雇い主は以前会ったときよりも金髪の白さが目立ち、どこか老け込んだように見えた。


「トーリから聞いてるよ。うちとの契約を終了させるんだね」


「はい」


 戦争が終わって二ヶ月半、戦後処理に目処が付き始めたところでトーリが言ったのは「宰相の秘書になってくれないかな」だった。

 理由を聞いても「サラのため」としか言わないトーリに何度も食い下がったが、トーリの意思は固くその指示が覆ることはなかった。


「サラ君は本当によく働いてくれた。あの危なかっしい息子達を戦地から無事に連れ帰ってくれたろう。感謝しています」


「いえ、ユリウス様はもともとお強い方でしたし、トーリ様も……なんというか運がお強い方ですので」


「君もたいそう強かったと聞いたよ。第一王子の前で力尽きかけたユリウスに赤色のドレスを投げて『これが着たいなら勝ちましょう』と言ったかと思えば、アイソープ軍の中尉を人質に取って降伏を迫ったって? サラ君は息子達よりも無鉄砲だったようだ」


 否定しないサラにディファイン侯は楽しげに笑うと、サラとの契約書を広げた。


「君は本当に強くなった。初めて会った時の、私のようになりたいと言って震えていた女の子が嘘のようだ」


 燭台の炎に契約書をかざすと、ディファイン侯は燃え上がるそれを銀の盆に置いた。

 ゆらめく炎は赤みを帯びた橙で、思わず見入ってしまう。


「君はトーリのことをどう思う」


 ディファイン侯の問いは何を意図したものなのか。

 当たり障りなく「仕事の早い方だと思います」と答えるサラに侯爵は軽く頷いた。


「君は私が政務についていた時のことを知っているかな。

 私はね、ずっと有能だと言われ続けていた。皆そう言って持て囃し、私自身、周りの仕事ぶりを見て自分は有能だと信じていたんだ。

 でも、そんなものは勘違いだった。

 今でも忘れない。

 圧倒的才能を前にし、自分が凡人であることを突きつけられた瞬間。

 それが自分の息子であることの衝撃。

 私はね、あれが怖いんだよ。それこそ年端もいかない子供のうちからね」


 ディファイン侯は心底トーリのことを恐れているようだった。

 サラにはわからない何かがこの家族にはあるのかもしれない、と追及したくなる気持ちを抑える。


「でも、君の前では彼はただの人のようだね」


 サラの表情を読み取ったのだろう、侯爵の顔に笑みが戻る。

 銀盆の上の炎が徐々に消え、黒い灰が残った。


「今までありがとう。次に会う時を楽しみにしています、サラ・ヒューズ子爵令嬢」


「長い間、お世話になりました」


 立ち上がるディファイン侯にサラは丁寧なお辞儀を返す。

 ディファイン侯はまた会うことを確信しているようだったが、サラがディファイン家での仕事を辞める以上、たとえ領が隣同士とはいえ二度と会うことはないだろう。

 大切な命の恩人。

 学校へ行くと決めた時には懐中時計までくれた優しい人。

 扉を出たサラは閉まる扉に向かい、もう一度深々とお辞儀をした。



 トーリが休暇から帰ってきたのは薔薇の季節が終わる直前だった。


「閣下、お土産です」


 ふらりと宰相執務室に現れたトーリはコンペイトウと落雁を宰相の机に置き、ついでにサラにも小風呂敷の包みを渡す。


「トーリ様、東の島国へ行かれてたんですか」


「うん、たぶん」


 トーリの曖昧な答えにサラが首を傾げると、トーリは「ちょっと記憶が曖昧なんだよね」と答えた。


「記憶が曖昧って何があったんですか。薬でも盛られましたか」


「おいトーリ、仕事の記憶はあるんだろうな」


「その点についてはご心配なく」


 宰相は「ならいい」とトーリに書類箱を渡す。

 その書類箱は宰相が「こいつは面倒だからあいつにやらせよう」と言った書類が集められた箱で、休暇明け早々トップスピードで仕事をしなくてはいけない元主に心の中で合掌する。


「ちょっとサラを借ります」


「有料だぞ」


「昨年は僕の秘書を勝手にこき使ってましたよね」


「おまえは俺の部下だ。部下の手駒を使って何が悪い」


「横暴な」


 軽快なやりとりのあと、トーリがメモに何かを書き付けて宰相に渡した。

 宰相の舌打ちが確かに部屋に響く。


「早く行け」


 その声を合図にトーリに背中を押され、風呂敷包みを置く間もなく部屋を出されてしまう。


「トーリ様、なんですかいきなり」


 しかしトーリは「ついてきて」と廊下をずんずん進んで行く。

 その行く先は薬草園で、金属音をさせて門を開けたトーリは奥へ奥へと進んでいき、やがて足を止めた。


「サラと一緒にやりたいことがあってね」


 トーリがサラに風呂敷を開くよう指示する。

 風呂敷の中からはお湯を入れた瓶と緑色の粉末、竹製の机上箒に似た道具とスープボウルのような焼き物の器が二つ出てきた。


「これ、視察中に見ました。抹茶ですね」


「うん。外で飲むのも良いって聞いてね。サラに淹れて貰おうと思って」


「淹れるではなく点てるですトーリ様。それに分量がわかりません」


「そこはメイドの勘で」


「トーリ様はご無体でいらっしゃいます」


 二人でベンチに座り、粉茶を入れた器にお湯を入れ、机上箒に似た道具で粉末を溶かしていく。

 溶けきったと判断して手を止めたときだった。


「どなたかいらっしゃるんですか……?」


 鈴の鳴るような可愛らしい声が聞こえ、声の主がサラとトーリのいる場所へ近づいてくるのが見えた。

 立ち上がろうとするサラを制し、トーリもベンチに座り続ける。


「あ……補佐官様でしたか」


 茶色の髪を編み込んでまとめたシャルロットが蜂蜜色の瞳を細める。


「お久しぶりです。どうぞこちらへ」


 トーリがサラとの間を開け、そこに座るようシャルロットに勧める。

 お茶の数が足りない、と目で訴えるも、トーリは問題ないといった様子で目を一度瞬くだけ。

 遠慮するシャルロットを無理にトーリが座らせた時だった。

 これまでにないほど近くに寄ったせいか、シャルロットの体から甘い香りがするのに気づく。

 そしてそれは、こんな昼間に女性から香ることは有り得ない香りであることも。


「シャルロットさん」


「なんですか」


 可愛らしく艶めく唇が魅惑的な果実に見えてくる。

 思考を奪い取られないようにと抹茶粉のついた指先の匂いを嗅ぎ、気を引き締めたサラはベンチから立ち上がった。


「その薬は人の精神を惑わす禁薬。ご存じですよね」


 ベッドに数滴垂らすだけで人を情欲に狂わせると言われる催淫薬。

 文献で読んだ香りの情報だけでは心もとないが、女であるサラがシャルロットに欲情しかけたのだ。

 効果から辿ればどんな薬が使われているかは明らかだった。


「いえ、なんのことだか……」


「あなたはトーリ様に麻薬を渡している。表には出ていませんが、他の人にも渡していますね?」


「そんな、私はただお疲れだとおっしゃる方に気持ちが楽になるお薬を」


「そう言って中毒者を量産し使い物にならなくする。素晴らしい手口ですね」


 ふるふると怯えるシャルロットは可愛らしく、守ってあげたくなる姿をしている。

 シャルロットの後ろでトーリが抹茶を飲むのを見て、トーリがサラに仕事を丸投げしたことを理解すると少し泣きたくなった。


「催淫薬の香りで誘惑し、心の隙間に付け入って麻薬中毒者を作り出す。しかも相手はこの国の官僚ばかり。

 半年前の戦争の際、アイソープ国が裏で麻薬を輸出していたことが明らかになっています。

 あなたはこの国を潰すために派遣されてきた。違いますか」


「私……なんのことだか……」


「サラ、ここに良い薬があるよ。その名も自白剤。お湯も余ってるし飲ませてみたら」


 トーリが薬包とお湯の瓶を持ち上げる。

 その瞬間シャルロットはベンチから立ち上がって走り出した。


「あ、逃げた」


「捕まえますよ?」


「うん。よろしく」


 小柄な割に驚くようなスピードで走るシャルロット。

 しかしサラは一息で距離を詰めると彼女の前に

回り、ぶつかってきたシャルロットの首に素早く腕を巻き付けた。

 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。

 もがくシャルロットが動かなくなり完全に意識を失うまで押さえたサラはシャルロットを後ろ手に縛った。


「戦争が終わって国交も回復したし、大人しく国に帰ってくれてればよかったんだけどね」


 呑気に歩いてくるトーリ。

 それをサラはギッと睨む。


「私、シャルロットさんがスパイとか全く知らなかったんですけど! 香りとかトーリ様の雰囲気でそれっぽく罪人扱いしちゃったけど間違ってたらどうするんですか」


「あー、大丈夫大丈夫。方向性間違ってたら止めてたし。それにしても抹茶は凄いね。頭の中がスッキリする」


「……トーリ様、もしかしなくてもご自分だけでは催淫薬に勝てないとお思いだったんですね」


「うん。僕も男だから」


 サラが意識のないシャルロットを倒れないように支えているのを見て、トーリがシャルロットを担ぎ上げる。


「それより飲みなよ。美味しかったよ」


 トーリの差し出した器の中で抹茶が揺れる。

 受け取って一気に飲み干せば、ぬるくなってはいたが、濃い苦味がすっきりと喉を通っていった。

 初めての割に良いあんばいになっていたようだ。

 満足げに頷くサラから器を受け取ったトーリはそれを風呂敷の中に他の道具と一緒に包み、そのまま歩き出す。

 薬草園を出て詰め所に書類と一緒にシャルロットを置くと、トーリはサラを中庭に誘った。


「ねえ、サラ」


「はい」


「東の島国で見た花、覚えてる?」


「たくさんありましたね」


「じゃあ、この木に見覚えは?」


 トーリが示したのは中庭の一角、普段目に留めていなかった場所の木だった。

 青々とした葉の生い茂るその木は白い花が点々とつき、真珠を散らしたドレスのようだ。

 近寄りながら見た花は、白色の中で黄色の雄しべが束になって主張している。

 その花の名前をサラが忘れるはずがなかった。


「サラの木……なぜここに」


「お土産」


 よく見れば木の根元だけ土の色が変わっており、つい最近いじられたことを示していた。


「ありがとうございます……でも王城にいる間しか見られませんね」


「問題ないよ。いつでも来られるんだから」


「でも、私はただの秘書です。契約が終われば」


「僕は死ぬまで王城で働き続けるよ。王弟殿下が戦死なさって第二王子殿下が駆け落ちした以上、第一王子殿下を支えてこの国を守り続けるつもり」


「それじゃトーリ様しか見られないじゃないですか」


 お土産ってもしかして自分用のお土産ってことですか、と続けようとしたサラの手をトーリがそっと握った。


「官僚の妻は王城に入ることが出来る。

 サラ、僕とずっと一緒にいてくれないか」


 空色の瞳に宿る強い光。

 その真剣な表情はずっと昔どこかで見たような気がしてサラの胸がざわつく。


「サラが五歳の時に出会って、なんて元気な子だろうって思った。

 甘いものが好きで、雨の日も何か楽しいことを見つけては笑っていて、転んだって泣かずに前を向き続ける、そんな姿にどんどん惹かれていった。

 髪を結ぶリボンが可愛いねって言ったら、一本あげるって片方ほどいてくれて。

 思わず好きだって言っちゃったのに、緑好き仲間だね、なんて頓珍漢なこと言うサラに僕は頭を抱えたよ。

 だから成長したサラがディファイン家で働くことを決めてくれた時は本当に嬉しかった。

 サラは僕のことを忘れていたみたいだけど、それでも、一緒にいられるのが嬉しかった。

 でも僕は君のそばにいられない制約がかかっていて、だからサラのために諦めようと思ったんだ。

 それなのに、サラは僕を好きだって言うから」


「わ、私のせいですか」


「違う。

 サラが背中を押してくれた。

 だから僕は制約を外しに行ってきたんだ。

 もう僕はサラをあきらめたりしない。

 サラ。僕とずっと一緒にいて欲しい。

 ……好きなんだ」


 見覚えがあるのは当然だった。

 なぜならサラは17年前にこの表情を向けられていたのだから。

 忘れていた記憶がぼんやりと起き上がってくる。

 そして思い出した。

 あの時、向けられた真剣さが怖くて逃げてしまったことも。


「トーリ様、私も、私だってトーリ様が好きです。

 だから……ずっと一緒にいてください」


「サラ」


 トーリがサラに一歩近づき、そっと顔を寄せる。

 目をつむったサラの唇にトーリの唇が重なる。

 ふれるだけのキスは焼き立てのパンの香りがした。



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