国王、帰還する 2
夜空に浮かぶ巨大なシルエットがゆっくりと城の中央に沈んでいった。
城内の庭園に降り立ったフェルロフは、すぐさま飛び去ろうとするネキテン公を引きとめて、すわ魔族の奇襲かと慌てふためく衛兵の一人を捕まえると、ある物を持ってこさせた。
「こ、これは!」
それを見てネキテン公の目の色が変わる。
大きな石の塊。宝物庫に置いてあった、大きなサファイアの原石だ。
「こ、こんなものを貰ってしまってもよいのか……?」
躊躇うネキテン公だったが視線は釘付けになっていた。
欲しい! と顔に書いてあるようだ。
フェルロフは笑って「これは運賃とお近づきの印に」と気前よくプレゼントした。
ウルディキは国土に鉱石を出土する山をいくつも持っていながら採掘に費やす資金が無く、さらには加工する技術も持ち合わせていない。毎年わずかに原石を採掘しているが、今までは宗主国であるアレンティア帝国に貢物として半ば強引に奪われていた。それがアレンティアとの国交を絶った今、所在無さげに宝物庫で埃を被っていたのだ。
フェルロフはドラゴン族が金銀財宝を集め、自分の棲み処に溜め込むのが趣味だと聞いていたので、道中で身を切る寒さに震えながら、空輸の礼をこれにしようと決めていた。
「戦勝パーティーでまたお会いしよう。なに、その帰りもまた私が送り届けて差し上げようではないか」
とネキテン公はニヤつく顔を抑えられず興奮気味に言って、サファイアの原石を両手にしっかり掴んで帰っていった。
巨体は空に浮かぶとあっという間に雲間に消えた。
「喜んでもらえたようで何よりだな。そしてただいま。お前達の国王陛下が今帰ったぞ」
フェルロフは何事かと集まっていた衛兵たちに腕を広げて言った。その自信に満ちた言動は魔族との交渉が上手くいったことを力強く示している。
だというのに。
衛兵たちの顔がどうしてか暗い。誰も彼も皆フェルロフと目を合わせようとせず、気まずそうにしている。
「なんだ、どうした?」
「い、いえ…………」
「………………」
「………………」
随分と歯切れの悪い返事である。
なんとも居心地の悪い空気が漂う。
「え、えっと。深夜の警備ご苦労。引き続きよろしく」
と言ってフェルロフはそそくさと城内に入った。
旅の疲れで全身に重石を付けられているようだったが、寝るにはまだ早い。
先にアイシャに会ってからだ。
アイシャはフェルロフの家庭教師である。
七年前、魔法協会の研究員であったアイシャは古代遺跡の調査の帰りに逗留したウルディキで、先代の王、つまりフェルロフの父親に召し抱えられることになった後、フェルロフの魔法学の先生となった。
結局魔法は身に付くことはなかったが、今まで姉のようにフェルロフの世話を焼いてくれていた。
安心して国を留守に出来るのも彼女あってのことである。
交渉が成功したことを一番に報せたいのは彼女であるし、不在の間に何があったのかも彼女なら把握していよう。
衛兵たちのあの態度についても何か知っているかもしれない。
そんなわけでアイシャに会いに行くのだ。
アイシャの自宅はちゃんと街の方にあるのだが、城の一室に割り当てられた研究室で、彼女はいつも資料に囲まれて寝泊りをしている。
なので当然自宅ではなく、研究室に向かう。
研究室の中は雑然としていて埃っぽかった。
月明かりで室内は割と明るいが、それでも目が慣れるまでは少し待たなければならず、フェルロフはしばらく目を瞬かせた。
足元には古代遺跡のスケッチや、謎の言語の写本が散乱していて足の踏み場が無い。何の価値があるのかよくわからないそれらを掻き分けつつ、フェルロフは奥へと進む。
やがてうず高く積まれた本の塔の側に、この部屋の主の姿を見つけた。
まるで栗毛の猫のように、丸まって静かに寝息を立てている。
フェルロフはそれを見て、ちょうど魔王からもらった上着を小脇に抱えていたことを思い出し、風邪など引かぬよう彼女の体に掛けてやった。
「さて、どうしたものかな」
流石にアイシャを起こす気にはなれず、フェルロフは辺りを見回した。
そしてふと気付く。
机の上に、『フェル 私がいないときに帰ってきたらこれを読んでね』と書かれたメモの束があるではないか。
フェルロフはそれをそーっと音を立てないように手にすると、研究室をあとにした。
メモの字を読む為、明るい庭園へとまた戻る。
自室に戻ってもよかったが、その距離すらもどかしかった。
中央にある石像の台座に腰掛け、メモを取り出すと、その一枚目には彼女の丁寧な整った字でこう書いてあった。
『異世界より勇者来たる』