1話
※イラストおよび校閲にAIを使用しております。
気がつくと、俺は薄暗いアパートの自室の前に立っていた。
病院からここへどうやって帰ってきたのか、その間の記憶がすっぽりと抜け落ちている。
――『残念ですが、回復の見込みは極めて薄いと言わざるを得ません』
白く無機質な病室で主治医が告げた残酷な宣告が、何度も脳内で反響する。
婚約者の千尋が事故に遭い、植物状態となってから1か月。奇跡を信じて毎日見舞いに通っていたが、現実はあっさりと俺から希望を奪い去った。
泣き崩れ、絶叫する千尋の両親の姿が網膜に焼き付いている。その痛切な声に耐えきれず、俺は逃げるように病室を飛び出したのだ。
冷たい金属製のノブを回してドアを開け、暖房の効いていない冷え切った部屋に入る。
首を絞めつけるネクタイを引き剥がし、スーツのジャケットと共にベッドへ無造作に放り投げた。そのまま、部屋で唯一の居場所である黒いゲーミングチェアに深く腰掛ける。
ふう、と重い溜息をつきながら、いつもの流れ作業のようにPCの電源ボタンを押した。
冷却ファンが微かな駆動音を立て、モニターが青白い光を放つ。
俺はもともと、休日のほとんどをPCの前で過ごすほどのヘビーゲーマーだった。だが、人間というものは、心底絶望すると何かを楽しむことすら億劫になるらしい。千尋が倒れて以来、あれほど好きだったゲームには一切触れていなかった。
虚ろな目でデスクトップに並ぶアイコンを眺める。
何もやる気は起きない。ただ、漠然とゲームライブラリの画面を開いてスクロールしていると、ふと一つのタイトルが目に止まった。
『エリシオン戦記』
学生時代、文字通り寝食を忘れて没頭したリアルタイム・ストラテジーに分類される戦略ゲームだ。
中世ファンタジーの世界観を舞台に、一国の君主となって内政や外交をこなし、軍を率いて自国の世界制覇を目指す。プレイの度に地形や国家の配置、資源の状況といったワールドが自動生成されるため、単なるパターンの暗記は通用しない。常に臨機応変な対応が求められる硬派なスタイルに、俺は熱中したのだった。
「懐かしいな……」
無意識のうちに呟き、マウスを握る手に少しだけ力がこもる。
現実逃避のつもりだった。ほんの少しでも、今のこの胸を潰すような苦しさから逃れられるなら、何でもよかった。
試しに『エリシオン戦記』のアイコンをダブルクリックすると、お馴染みの重厚なBGMと共に、タイトル画面が立ち上がる。
そのまま難易度選択の画面へと移行したとき。
「……ん?」
俺はマウスを動かす手をピタリと止めた。
このゲームには、一切のセーブ&ロードが許されない最高難易度「鉄人」が存在する。俺はそのモードで何度もクリアするほどやり込んでいた。だが、画面にはその「鉄人」のさらに上に、見たことのない選択肢が存在していたのだ。
神々しい黄金色の光を放つ、未知の難易度。
【 神託 】
なんだこれは。大型アップデートでもあったのだろうか。
カーソルを合わせると、ポップアップで説明文が表示された。そこには、こう記されていた。
『混沌たる世を統べ、遍く地に安寧を敷きし時、英雄王の望みは叶えられん』
「望みは叶えられん……か……」
ゲームのクリア特典としては、ありふれたフレーバーテキストだ。頭ではそう理解している。
だが。
『回復の見込みは、極めて薄い』
再び主治医の言葉が蘇る。静かに眠り続ける千尋の青白い顔が浮かぶ。
もし、それが本当なら。
もし、どんな望みでも叶えてもらえるのなら。
俺の震える指は、もはや理性を超えた本能に従っていた。
すがるような思いで、右手のひとさし指に力を込める。
マウスをクリックした音が、静まり返った部屋に響いた直後だった。
モニターから、目を焼くほどの強烈な白光がほとばしった。
「なっ……!?」
光は俺の視界を真っ白に塗りつぶし、そのまま身体ごと飲み込んでいく。
熱も、痛みもない。ただ、絶対的な光の中で、俺の意識は急速に途絶えていった。




