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間違いヤンデレ  作者: 石山 雄規
一章 廻るティーポット、あるいは運命の赤い糸
21/21

08

 身体の活動状態が整うのに、たっぷり二時間かかる。血圧が低いせいだ。

 だから寝ずに夜を明かした。寝られなかったと言った方が正しいかもしれない。


 ともあれ標準的な女子高生の朝より早かった。ベランダから街を覗くと、東側のビル群の隙間から柔らかく膨らんだ光が底から浮かび上がってくる。朝日が弱く射す。

 甘ったるい紅茶を一杯飲み、眠気覚ましに熱いシャワーを浴びて、セーラー服に着替え。

 鳴る『まだ、ごろごろ』のアラームを止めて、僕は玄関を出る。


「…………」


 電車に乗り込み通学路を往く最中、というより昨晩からずっと同じことを考えていた。


 思考の枝葉は多岐に渡る。やれ綾乃のこと、樹多村のこと、自分のこと。

 共通点は、それらを今考えることに意味はないってことだろう。


 つまり僕は、どうでもいいことばかり考えていた。

 ドアが開くも入る人はいなかった。電車は再び揺れる。

 考えれば、無駄なことばかり考えるのが性癖だった。目的を持った手段としての思考でなく、考えることそれ自体を楽しむ節があった。現在進行系の内省が典型だ。癖だった。


 言い過ぎた。


 昨日の帰り道からずっと、それだけ思っていた。

 桜山に到着し、八番口階段を上がって高校に歩き出す。


 嫌になるのが、考えは『だから、これからどうすべきか』なんて前には向かっておらず、むしろ核心を取り巻くよう環状線を形成していた。同じ地点をうろうろしては『あぁ、もしあの瞬間に戻れたら』と逆走を繰り返す。

 言ってしまえば、思い返してみれば、僕の人生の九割はそんな感じだった。

 脳が痺れている感じだ。寝てないのも原因の一つだろう。手に力が入らず、指先がカサカサした。血が回ってない。擦ると、誰か別の人が動かしている感触が確かにあった。気付けばもう校門だった。


「おはようございます。梅沢先生見えますか?」


 職員室に鍵を借りに入ると、ちょうどコーヒーを飲む梅沢先生と目があった。


「早いな。鍵なら円城寺が持ってったよ」


 円城寺? いつもこんなに早く来てるのか。

 名前を聞いてふと思う。


 そういえば、どうして昨日彼女は来なかったのだろう。

 考えようとしてやめる。いるんだから、直接聞けばいい。


 渡り廊下を抜ける。校庭では朝練か野球部が走る。西棟を歩く途中の空き部屋からは熱心な管弦楽部が同じフレーズを繰り返す。廊下から窓を覗くと影が延びて見え、裏手の高い木をすっぽり覆い隠していた。


 生徒会室に入ると、先生の言ったとおり、小動物的な装いの円城寺がいた。


「おはよ。早いね」


 円城寺は文庫本を読んでいた。カバーをしているから何の本かは分からない。それと、わざわざ眼鏡を外していた。本を手繰り寄せ、一字足りとも見逃さずとばかりに凝視していた。

 彼女は本を指に挟んで閉じ、眼鏡を耳にかけて、くっきりした視界でこちらに目をやる。


「湊先輩こそ……隈ひどいですけど、どうしたんですか」


「あぁ……似合ってる? 仮病メイクってやつなんだけど」


「ほぼパンダですね」


 円城寺は再び本を開き、今度は眼鏡をかけたまま本を読み始める。

 視線は寄こさないが、少し不満げだった。僕にはそれが、変わった本の読み方をしているのを目撃された恥ずかしさを隠しているようにも見えて、ちょっぴり笑ってしまう。


「明日もこの時間に来ます?」


 円城寺が言う。来るなと言っていた。


「今日だけだよ。三文かき集めるほど困ってないし」


 彼女は「それは残念ですね」と悲しんでみせた。お互い三文芝居だな。


「それで、今日はどうかしたんですか?」


「……その、樹多村が」


 来てるかもしれないから。

 そう言おうとして。


「今日も休むんじゃないですか?」


 そう言われた。


「…………今日、も?」


 円城寺は本から視線を外すことなく、少しイライラ調子で座り直す。

 で、言う。


「えぇ。おかげさまで昨日の文学フリマの打ち合わせも延期になって……もうちょっと自己管理をして欲しいですよ。馬鹿は引かないって言いますけど、風邪なんて正味馬鹿しか引きませんね、えぇ」


 打ち合わせ、延期。馬鹿、引く、風邪。


「ねぇ、湊先輩も思いません?」


 ……………………あぁ!! そう思うよ!!!!


 慌ててスマホを取り出し電話を掛ける。1――2コールで繋がった。


「はい、もしもし」


 通話の向こう側からは樹多村らしき声が聞こえてきた。

 が、ガラガラ声だ。ごほごほと咳き込む音もする。


「無事!?」


「無事じゃねえよ。声聞けば分かるだろ」


 風邪? ただの風邪?

 なにが腸チフスにかかるだ。お前、馬鹿でも引かない風邪なんか、かかりやがって!!

 というか、何回連絡したと思ってる。

 電話は12回。メッセージは38回。スタンプは100以上連打したぞ!!


「寝込んでるのに何十回も掛けてきやがって。そんなに俺のこと好きだったか?」


「馬鹿!!」


 そう叫んで電話を切る。

 落ち着け、冷静になれ。環状線を乗り換えて、思考を前進させろ。


 ……昨日、樹多村は風邪で休んだ。寝込んでいたから、僕からの電話にも出なかった。

 綾乃は彼が来ないことを知っていた。彼の風邪を知っていたんだ。

 彼女の仕業? いや、ホールケーキが物語っている。二人であの量は食べきれない。



 ――――私はなんにもしてませんよ。



「……円城寺さんは昨日、なにしてた?」


「え、小説書いてましたけど」


「その前……綾乃に会ったよね」


 僕にも連絡が来ていないのに、樹多村が綾乃にだけ風邪を引いたと報告する理屈はない。

 すれば当然、別の誰かから聞いたことになる。

 誰だ、決まってる。

 綾乃と文芸部員たる樹多村を繋ぐ唯一の人物なんて、円城寺しかいない。


「あぁ、なんか準備してる梶原さんに会いましたけど」


「詳しく」


「え?」


「詳細にお願い!」


 とはいえ、概ねの流れはもう容易に推測できていた。

 そして僕のほぼ推察通りに、円城寺は面倒くさそうに昨日のことを話してくれた。


 授業を終え文芸部室に向かい、樹多村が休みのため打ち合わせが延期だと聞かされ、その足で久しぶりに夕方の生徒会室へ。

 そこでなにか楽しそうにパーティーの準備をしている綾乃と会い、綾乃と樹多村が遅いと聞かされた。

 樹多村が風邪で休んだこと、おかげでフリーになった旨を話し、テーブルに置かれた小ぶりなホールケーキを見つけて、誰かの誕生日会かと尋ねたが、違った。


「なんのパーティーだって?」


「――失恋祝いって。やっぱり面倒くさそうだったので図書館行きましたけど」


 生クリームが食べられないんですよ、と円城寺は付け加え、本を閉じる。


 指先がベタつくのを感じる。血が回っていく。握る拳に汗をかく。

 思考は衛星軌道上をティーポットみたく廻るんじゃなく、一直線に弧を描いていた。


 切り忘れたアラームが鳴った。

『とっとと動け』のアラームが、ジリジリ鳴っていた。


「……ところで、湊先輩はなぜ早起きを?」


「ごめん! また後で!」


 生徒会室を飛び出して中棟の教室へ走り出す。校則では廊下を走ってはいけないと記されているらしいが、僕はぼちぼち登校してきた生徒を押しのけて走り抜ける。

 中棟四階の一年八組、綾乃の教室に顔を出す。


「生徒会長の黒川です! 梶原綾乃は来てますか!?」


 八組じゃ僕は結構な有名人だったようで、学園に広まりつつある「噂」も相まり、浮ついた雰囲気に迎えられる。

 教室を一望する。いない。まだ来てない。


 即座に廊下を引き返し、今度は万が一のとき連絡がいくであろう職員室へ。

 あぁくそ、綾乃の担任が誰かなんて……いや、確か。


「おはようございます! 梅沢先生!!」


 梅沢先生だ!


「ど、どうした。すごい剣幕だけど……」


「綾乃から連絡いってませんか?」


「ん、あぁ。風邪で休むと連絡があったよ。樹多村もそうだし流行ってるのかな。黒川も体調には気をつけろよ」


「たった今、流行り風邪を引いたので、休みます!!」


 職員室中に響き渡るデカい声でそう叫んで、僕は再び踵を返し玄関口で靴を履き替えて、ダッシュで桜山駅に向かう。桜通線で高岳へと電車を走らせる。


 彼女の、綾乃の家へと。

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