第39話 あやかしの衣
残された二人は、いつものように夜回りの支度を始めたが、どこか落ち着かないまま、家を発つことになった。
路地裏を進み、貧困街の入り口で、男衆たちと合流する。
かつてともに泥をすすった仲間たちは、今や二人を頭と仰ぎ、自警や火消しの集まりとしてまとまっていた。
「二人とも、遅かったじゃねえか。何かあったのか?」
仲間の一人が声をかけてくる。
シキはモモの異変については触れず、ただ、港を見すえて告げた。
「近いうちに、僕とクロウは港に停泊している穏ヶ島行きの船に乗る。しばらくここを空けることになるよ」
その言葉に、男衆の間に動揺が走った。
「オニの島へ? おいおい、あそこは呪われた島だって噂だぜ」
クロウは背負っていた、ずっしりと重い大剣を肩から下ろした。
少し考えてから、仲間の一人へと差し出す。
「俺がいない間、ここを頼むぜ」
突然のことに驚きつつも、仲間は「あ、あとのことは任せてくれ」と、その重みを受け止めた。
大剣を手放したクロウは、隣のシキに向けて、どこかすごみのきいた笑みを投げかける。
「明日にでも、別の獲物を探さないとな。ぜんぶ斬り殺すってわけには、いかねえだろうからよ」
シキは応えず、ただ無言で歩みを進めた。
仲間たちは顔を見合わせ、一人が二人の背中に向けて声を張った。
「へっ、お前らが決めたことなら、俺たちがとやかく言う筋合いはねえよ。しっかりな!」
仲間と別れ、二人きりになった帰り道。
夜風が路地裏を吹き抜け、赤髪を乱暴に揺らす。
「やっぱり、一人で行かせるべきじゃなかったかな」
クロウが、こらえきれないといった風に吐き捨てた。
いつも背中にあった大剣の重みが消え、どこか手持ち無沙汰そうに、その大きな両の手のひらをこすり合わせている。
「いくらモモが大丈夫だって言ってもよ、夜遅くにどこの馬の骨ともわからねえ男のところへ乗りこませるなんて、俺の気が済まねえ」
シキは歩調を変えず、周囲の闇に目を配りながら応じた。
「闇市で、ここらでは見慣れない上等な宝飾品を売り歩いていた男の噂は、僕も耳にしていた。おそらく、それがトウヤという男だろうね。じつのところ、ねぐらも割れている。宿の主人とは話がついているから、いつでも踏みこめる」
「お前……そういうこと、先に言えよな」
クロウは顔をしかめ、シキを小突いた。
「でもよ、あいつは優しすぎる。妙な悪党に言いくるめられて、酷い目に遭ってねえかって、そればかり考えちまう」
「それは僕も同じだよ。僕らの目の届かない場所で、何かあったらと考えるだに恐ろしくはある」
クロウはこすり合わせていた手を止め、モモが消えていった路地の先の闇をにらみつけた。
シキもまた歩調は変えないまま、いつの間にか同じ闇へと視線を注いでいる。
どちらからともなく歩みが速まり、二人はそれきり口をつぐんだ。
◇
夜回りを終え、二人が家の木扉を開けた時のことだ。
室内にともるあたたかな光のなかに、モモと、見慣れない人影があった。
「やはり、そのままだと大きすぎますね。少し身幅をつめましょう」
モモはトウヤの衣服を羽織った状態で、机のかたわらに立っていた。
モモ自身が針を持とうとしたものの、その危なっかしい手つきを見かねて、今はトウヤが針と糸を手にしている。
トウヤはモモの背後から、彼女の身体を包みこむように、至近距離から衣の布地をすくい、細やかに縫い合わせていた。
寸法を合わせるために、長い指先がモモの肩や背に触れ、トウヤのかすかな吐息が、モモの耳元をかすめていく。
モモは緊張のあまり、ほんのりと頬を染めて硬直していた。
針を運ぶトウヤの所作は、あくまで職人のそれだった。
ただ、その合間。
モモの首筋にかかる髪をそっと払った指先が、一瞬だけ、名残を惜しむようにとどまる。
あやかしの布越しにも、かすかに立ちのぼる気配がある。
祠の奥で凍えている、あの子と同じ――呪いのにおい。
トウヤはそれを、肺の奥深くまで静かに吸いこんだ。
(ああ……この娘の中には、確かに、あの子がいる)
愛おしさと、底の見えない執着とが、薄紫色の瞳の奥で音もなくまざり合っていく。
そのまなざしが少女と弟のどちらへ向けられたものなのか、恐らくは当人にも、もう分かってはいなかった。
扉の開く音に、トウヤの手がぴたりと止まる。
モモの肩越しに、ゆっくりと薄紫色の瞳が向けられる。
侵入者を値踏みするように目を細め、モモとの距離を馴れ馴れしく保ったまま、不敵に口元をゆがめる。
「おや、お帰りのようですね。君たちが、モモの言っていた『大切な連れ』ですか。はじめまして」
その挑発的な挨拶に、クロウとシキの眼が据わるのが、モモにはわかった。
一触即発だった険悪な空気は、モモの必死の仲介によって、かろうじて解きほぐされた。
挨拶を最低限に済ませた後、二人の視線は、トウヤの手元へと注がれている。
トウヤが細い針を動かし、モモの身幅に合わせて縫い進めていたのは、あやかしの加護が織りこまれた、彼自身の衣服だった。
「島を包む濃霧から身を隠し、オニの目をあざむくことができます。何より、その宝石のごとき右腕を人目にさらしたまま船に乗れば、強欲な海の男どもに何をされるか分かったものではありません」
やがて最後の糸が切り落とされ、モモの身体になじんだ上着が完成する。
少し大きめの袖が揺れるものの、結晶化した腕は、他者の目から完全におおい隠されている。
「よく似合っていますよ、モモ」
トウヤが満足げに微笑み、その細い指先で、モモの髪の端を優しく整える。
そのあまりの距離の近さに、クロウの眉間が、ふたたび深くゆがんだ。
「素晴らしい腕前だ、トウヤ殿」
シキが二人の間に割って入り、トウヤの視線をさえぎった。
「衣服の件は感謝する。あらためて今後の進路について膝を交えたいところだが、あいにく夜が更けすぎている。僕らも夜回りの疲れがある。続きは明朝、夜明けとともに始めよう」
明らかな、退室のうながしだった。
トウヤは肩をすくめ、裁縫道具を片付けると、外套の頭巾をゆるりとかぶり直す。
「それは賢明な判断です。……モモの部屋の片隅で、僕もともに寝泊まりしても構わないのですがね?」
薄紫色の瞳をいたずらっぽく細めて、トウヤがささやく。
「ふざけんな、この白髪野郎が……!」
クロウが拳を握りしめて飛びかかろうとしたが、トウヤはそれを見越したように、身軽な動作で木扉へと退いた。
「冗談ですよ。今日のところは大人しく退散するとしましょう。では、また明朝」
食えない笑みを残し、青年は夜の闇へと去っていった。
後には、二人の苦々しい沈黙と、モモの困ったような笑顔だけが残された。




