第13話 炎の瀬戸
やがて船は、慎重に速度を落としていった。
船はすでに瀬戸へと侵入し、上陸地点を求めて、水流任せに進んでいた。
両岸を高い崖に囲まれた、この狭い水路。
その狭さゆえに流れが速く、一度引きこまれてしまえば、自力で停船することも、反転して逃げ出すこともできなくなる。
モモは船尾の物陰で、自分の右手を強く抱えこんでいた。
人差し指の結晶が、霧の冷気を吸い上げて、ピキピキとかすかな音を立てている。
骨の奥をえぐるような痛みが、徐々に強くなっていく。
それは、オニたちの領域へ、あの惨劇の舞台へと、確実に近づいている証拠だった。
その、張りつめた静寂のなか――来るべくして、その時は来た。
左右の岩壁の上から、無数の赤い光の筋が、夜空を埋めつくす。
降り注ぐ火矢の雨が帆を焼き、夜の水路が、赤黒い炎の道へと変わっていく。
「敵襲! オニだ、オニが出たぞ!」
燃えさかる火の光に照らされ、崖の上から太い縄を伝って、異形の影が次々と滑り降りてきた。
悲鳴も、怒号も、何もかも、記憶のなかで一度見た通りだった。
それでも、のどの奥が引きつり、あの水底の記憶がよみがえりかける。
崩れ落ちそうになった瞬間、シキが正面へ回りこみ、モモの凍える右手を、自分の両手で痛いほどに強く握りしめた。
「モモ、僕を見て。クロウだって、そこにいる。君をおいては、どこへも行かない」
手のひらに走る鋭い痛みと、言葉のくさび。
モモの意識は現実の戦場へと引き戻され、呼吸が静かにつり合いを取り戻していった。
「まあ、なんとかなるだろ」
クロウの大剣が、肉薄した一体を受け止めざま、激流へたたき落とす。
シキの白刃はモモを背にかばったまま、襲い来るオニの首筋を正確につらぬいた。
二人が斬り開いた空白を、船は炎を引きずったまま進んでいく。
しかし、船全体の戦況は、劣勢の度を深めていた。
頭上からの火矢はすでに止んでいる。
にもかかわらず、屈強な船乗りたちは火の雨への恐怖から抜け出せず、降下してきたオニの勢いにのまれ、一方的に追いやられていく。
このままでは、上陸前に全滅する。
それは、操舵室から甲板をのぞいていた白髪の若者、トウヤの計算において、決して許せない事態だった。
島の中枢へ潜入するための囮を、こんなところで失うわけにはいかない。
トウヤは呼吸を整えると、操舵室を出た。
大鉾を握りしめ、手下どもを怒鳴りつけている船長の背後へと、音もなく近づく。
「船長殿」
響いた声は、おびえきった奴隷のふりをかろうじて保ちながらも、驚くほど静かに、確実に耳へ通るものだった。
トウヤは船長の衣服のすそを弱々しくつかみながら、ささやいた。
「オニどもは最初から、矢を射かけるためだけに崖の上にいたのではありません。矢を使い果たした奴らは、武器を持ち替えて、すべてこの船に乗りこんできています。つまり、崖の上にはもう一体も残っていません」
トウヤの紡いだ言葉は、船長の自尊心と、その奥にある焦りを刺激した。
「――野郎ども、聞いていたかい! 奴らは矢を撃ちつくして、この船に乗りこんできてんのよ。崖の上にはもう案山子の一つも残っちゃいないわ!」
死角から放たれた槍の一撃を野性的な反応でかわすと、船長は、そのオニを蹴倒し、さらに踏みつぶす。
そして、大きく息を吸った。
「目の前の雑魚どもをたたきつぶして、男を見せなぁ!」
甲板の男どもに向けて、雷鳴のような檄が飛ばされた。
その事実と激情が、崩れかけていた手下たちの戦意を、強引につなぎ止めた。
奮起した男たちは、頭上へのおびえを振り払い、燃えさかる甲板の物陰から一斉に這い出した。
目の前の敵へ向けて武器を突き出し、反撃を始める。
戦況がくつがえるのを見届けたトウヤは、さらに船長の耳へと声を滑りこませた。
左手を自分の胸に当て、首をかしげて言葉を発する。
「このまま水路を進むと、古い波止場があります。そこから道なき道を行くことになりますが、山を越えれば、オニの拠点を背後から突くことができます」
「へぇ……。やられっぱなしでいられるかってのよ」
船長は彫りの深い顔を禍々しくゆがめ、大鉾をへし折らんばかりに握りしめた。
「逆にその拠点を襲撃してやるわ。根こそぎ奪って、とっととこの島をずらかるわよ!」
船長は手下どもへ向けて、侵攻の指示を怒鳴り散らした。
トウヤの思惑通り、何も知らずに欲にのまれた男たちは、あおり立てられていく。
船長が巨体をふるわせながら操舵室へ向かい、舵手に命を下す。
ギギギ、と船体が引き裂かれるような悲鳴を上げ、大きくかたむいだ。
うねりとともに、炎を巻き上げる船首が、水路の最奥――波止場へと激しく乗りつけた。
接岸のすさまじい衝撃に、甲板の全員が体勢を崩す。
船はついに、黒煙を巻き上げながらも、穏ヶ島の裏手へと深く突き刺さって停止した。
その衝撃が収まるよりも早く、操舵室から飛び出してきた船長の野太い怒号が、響き渡る。
「拠点の発見者には、報奨金を弾むわよ!」
船長の声に奮起した男たちは、松明をかかげ、我先にと船べりから波止場へと飛び降りていった。
興奮冷めやらぬ、人のふりをした獣の群れが、夜の静寂を乱暴に踏み荒らしていく。




