第458話「いつもの朝へ」
朝。
神城家の台所から、炊きたてのご飯の香りが静かに広がっていた。
味噌汁の湯気が立ち上り、美月は焼き魚を皿へ並べる。
玲奈は窓を開け、朝の風を家の中へ迎え入れた。
庭では、ぴーちゃんが小さなじょうろを抱え、昨日植えた苗へ嬉しそうに水をあげている。
「お兄ちゃん、みずあげたよ!」
元気な声に、悠真は優しく笑った。
「ありがとう。きっと大きく育つよ。」
「ほんと?」
「ああ。」
その短いやり取りだけで、十分だった。
食卓には、いつもの席。
いつもの笑顔。
いつもの「いただきます」。
誰一人欠けることなく、穏やかな朝が流れていく。
世界病は消えていない。
空を見上げれば、白影は今日も静かに浮かんでいる。
けれど、その存在に怯えていた日々は、もう過ぎ去っていた。
恐れるのではなく、受け入れる。
諦めるのではなく、生きていく。
それが、この世界で暮らす人々の答えだった。
朝食を終えると、悠真は工具箱を持って玄関へ向かう。
「今日は橋の点検だったね。」
美月が声を掛ける。
「夕方には戻るよ。」
「気を付けて。」
玄関の戸が開く。
柔らかな朝日が町を照らし、遠くでは畑へ向かう人々が笑顔で挨拶を交わしていた。
子どもたちは元気よく走り、誰かが井戸をくみ、誰かが屋根を直している。
特別な一日ではない。
だからこそ、大切な一日だった。
悠真は一度だけ神城家を振り返る。
縁側では恒一がお茶を飲み、玲奈は洗濯物を干し、美月はぴーちゃんと笑い合っていた。
守りたかったものは、ずっとここにあった。
悠真は静かに歩き出す。
その背中を、朝の光が優しく包み込む。
町も、人も、季節も、今日という日をまた歩き始める。
神城家の一日は、これからも変わることなく続いていく。
――完




