第十六話
障壁は落下の衝撃を柔らげ弾けた。
ミルは肘をついて立ち上がる。背の丈ほどもある草がチクチクと頬に当たって痛かった。胃の中が回って今にも吐きそうな口元を押さえると、自分を守るように包むアルブムにお礼を言って、顔を上げた。
「アルブム!?」
力なく横たわっている。その腹には折れた木の枝が刺さっていた。
「今ポーションを――ない」
リュックが消えている。
一気に血の気が引く、周辺を見回したが見当たらない。ポーションがなければ回復ができない。ここには薬師も聖属性の使い手もいないのだ。
はじけ飛んだ時に、どこかに飛んで行ってしまったのだ。
――応急手当ができないとき、毒じゃなきゃ刺さったもんは抜くんじゃないよ。血が大量にでて、早死にするからね。
脳裏に蘇ったのは道中講義をしてくれた薬師の言葉だ。
かといって、このままにしておけば苦しいだけ。
モンスターの鳴き声も近づいてきている。足下が震え、萎えた手から杖を取りこぼしそうになる。ぐっと指先に力を込めるが、緊張で感覚が薄れていく。
「キュゥ……キュキュ」
「置いてなんていかないわ! ごめんなさいっ。私が投げ飛ばされたばかりに!」
言葉を交わす間にも足音が近づいてくる。杖を構えた。
草をかき分けて突進してきたのは、ドードーのようなモンスター。胸は赤く、小鳥の腹のように膨れている。尖った黒い嘴から、ねっとりした涎と牙が見えた。鶏冠は威嚇するように膨れ、奇声を上げながら襲いかかってくる。
貼り付けていた障壁の一つを分厚くし、横から思い切り叩きつけた。怯んだドードーは見えない敵に驚き意識をそらす。その隙に逆から吹き飛ばす。木の幹に背中からぶつかったドードーは、目を開けるとけたたましく鳴いた。途端、草をかき分ける音が、一斉に向かってくる。
仲間を呼んだのだ。
怯んだ瞬間、泥の固まりが飛んでくる。足で器用に目潰しをしてくるのは、やはり下層に行くほど狡猾になるモンスターの性質ゆえか。
「<障壁>、<鈍足魔法>、<不調和魔法>!」
一斉に襲いかかってくるドードーの数体が、膝を折って転がった。
細く尖らせた障壁を、残りの二匹に突き立て縫い付ける。残りの三匹に叩きつける。骨の折れる音がした。首がひしゃげ、あらぬ方向へ曲がっていく。赤い血が散った。
「<沈黙魔法>!」
鳴き声も断末魔も、一瞬にして消えた。
息のある最後の一匹を突き殺す。前衛がいないのが、これほど怖いとは思わなかった。
震える足を叱咤して、草地を血で染めるアルブムの口元を撫でる。舌がだらんと外に出ていた。
「大丈夫だからね、アルブム。すぐに、すぐに帰ってくるわ」
囲うように障壁を張り、ミルは飛び上がった。
荷物はどこかに落ちたはずだ。
そっと進んでいけば争う声が耳に入る。
「……だろう! 貴様ら、生きて帰れると思うなよ」
「黙れガキが、粋がってんじゃねぇぞ!」
見えにくいが、四対一で囲まれているのが見える。
(冒険者!?)
生き残りがいたことに驚くよりも、状況に混乱した。
「ズリエルさん!」
「サンレガシ様! お下がりください!!」
「一体どういうわけなのですか、この騒ぎは」
全員が抜刀済みで対峙している。
四人の冒険者は息を飲んだ。その胸が膨らみ、息を吸うのが嫌にゆっくりと見えた。
「女だ!」
「掴まえろ!!」
ゾッとしたのは気のせいではなかった。目の色を変えた四人の冒険者は、一斉にミルへ襲いかかってきた。
とっさに投げた障壁は、不意を狙ったはずだった。しかし誰一人触れることさえなく避けられる。
「<挑発>! サンレガシ様、後ろへ!」
「はいっ」
振り下ろされた剣が引きつけられるようにズリエルへ向く。
転がるようにズリエルの背後へ移動したミルは、その背中に手を付け唱える。
「<攻撃力増加魔法>、<移動補助魔法>、<魔法攻撃強化魔法>、<感覚強化魔法>」
くるりと杖を一回転。襲いかかる敵へ向ける。
「<毒状態付与魔法>、<鈍足魔法>、<感覚低下魔法>、<不調和魔法>!」
やけくそ気味に連発された魔法は一つ残らず当たった。避ければ軌道を変え、生き物のように動く魔法に怯んだ四人は、それぞれの魔法効果によって一瞬だけふらつく。その一番端、中腰になった男の頬を、ズリエルの小盾が打ち払い昏倒させる。と同時に隣の男の太股に、深々と剣を突き立てる。
「うがああ!」
「畜生、男から殺せぇ!!」
「<止まれ>!」
魔法が三人の動きを完全に封じた。
足を貫き、蹴りが顎を捉え瞬く間に二人の意識を奪ったズリエルは、残った一人の背中を切りつけた。
呻く輩を困ったように尻尾を振っていちべつし、腹に爪先を埋め込んで気絶させる。
「ご無事でよかった。アルブムはどこへ?」
「ポーションをお持ちではありませんか! 私を庇って怪我をしてるんですっ」
「すぐ行きましょう」
二人は手早く狼藉者を縛り上げると、アルブムの元へ走った。この騒ぎでモンスターが寄ってきたらどうしよう、襲われていたらどうしよう。ミルの頭は不安でいっぱいになる。
横たわったままのアルブムは、ミルが近づくと小さく尻尾を振った。
「即死ではなくて良かった……抜きますよ」
「ギュー!」
いたぁーい! と暴れかけるアルブムをなだめ、ポーションをかける。傷は塞がったが口から血を吐いて、ぐったりしたままだ。
「回復量が足りませんね」
「<回復増加魔法>をかけます」
最高値の十回を重ねかけして飲ませると、立ち上がったアルブムは小さくなり、ミルの腕の中に飛び込んだ。疲れちゃったと鳴きつつ、丸くなって目を瞑る。
「良かった。……ズリエルさん、ありがとうございました」
「我々はパーティです。礼は不要にて。それにしても、出会い頭に襲われるとは」
荷物、装備品一式の譲渡とパーティを引き渡すことを条件に、命だけは助けてやると言われたそうだ。馬鹿馬鹿しい提案だと吐き捨て、珍しく不機嫌に眉間に皺を寄せる。
そして、零すように言った。
「彼らは地上に戻るつもりが無いようでした」
「つもりが無いのではなく、できないのだ」
「誰だ!」
飛んできた物を盾ではじくが、それはミルのリュックだった。
背の高い草をかき分けて現れたのは、塗装が剥がれ、所々砕けた鎧の騎士だった。甲冑を脱いで現れた紫色の髪と瞳を見なくとも、その美しい顔だけで、二人は彼女が何者かを知っただろう。
ズリエルは膝を折り頭を下げ、ミルもまたスカートの裾をつまんだ。
「……。何者だ、と言うのは悪趣味だな。貴君ら、立つが良い。その顔に見覚えがある。アイクの血縁者であろう」
小さく息を飲んだズリエルは、顔を上げた。
「アイクの息子、ズリエルにございます。この度は、こちらにいらっしゃるミル・サンレガシ様を含めたパーティで、御身の救出に参上致しました。ファニー様でお間違いありませんか」
「無い。――そなたの父は、良い戦士であった」
差し出された手を掴み、ズリエルは貴人と目を合わせる。悲しそうに沈んだ瞳とかち合い、全てを悟った。
「当然です」
ファニーは「そうか。……そうだな」と小さく笑った。
ミルはファニーの顔立ちに、強烈な既視感を感じていた。
「失礼ですが、ディオニージ・ユグドと言う名に心当たりがございませんか?」
「久しぶりに聞くな。我が弟だ」
息を飲む。
ユグドの姉はグロリアスと婚約者であり、つまり彼は貴族だったのだ。
「頼もしい増援を送ってくれたようだ。我々の拠点へ案内しよう」
「いえ、ファニー様。私達に依頼されたのは別の者です。その者も一緒に来ているのですが、現在散り散りなっているのです。どうか、先に合流させていただけないでしょうか」
「愚弟ではないのか? そうさせてやりたいが、この階層は万華鏡のようでな。あるように見えて無く、繋がっているようで、切れている。あの天上にある門が見えるのも、三年ぶり。時が経つほどに、道がわからなくなる。手は多い方が良いだろう。先に我らの拠点へ向かおう」
気の良い奴だと零し、ファニーは攫うようにミルの手を取った。
「今の時間帯はモンスターが少なくてな。捜索するならば、今しかないだろう。迅速に事を進めるため人数は多い方が良い。納得していただけるか」
「それなら……わかりました」
十年の間、迷宮で生き残り続けて来た騎士は「よし」と頷くと問いかける。
「名前と特徴を道すがら聞きたい。方向……は当てにならぬ場所だったな」
「薬師という人族の女性とシャリオス・アウリール様がいます。アウリール様は吸血鬼で、黒い全身鎧を着ています。ご婚約者のグロリアス様も六十階層へ来ています」
「私達に依頼されたのは、グロリアスさんです」
「嘘だろう?」
ファニーのくくっている長い髪が膨らんだように見えた。それは次に上がった悲鳴が原因の錯覚だったかもしれない。
とにかく、彼女は錯乱したように叫ぶ。
「ま、まさッ! ま、まままさかっ、グロリアスが来ているだと!? そんな事が、あるはずが!! じ、冗談だろう!?」
「事実を申し上げておりますが」
「嘘だと言ってくれ!」
口の中を何度も噛みながら、ファニーは狼狽え続けた。