第十四話
五十七階層への道は、死を想像するほどになっていた。
上昇する温度、溶けた岩が流れる赤い海から顔を出すモンスター。
流れる汗は端から蒸発し、火耐性の魔導具が限界を試される。命綱のそれが壊れれば、一瞬で松明だ。
歩くには危険すぎるので、全員障壁に乗って飛ぶこととなった。
「いた」
魔導具を目に当てていたシャリオスが呟く。
止まった一行は、静かに様子を窺う。
火竜の数は報告通り二十を超えていた。巣穴も見える事から、もっと多いだろう。
「ドラゴニア迷宮と同じ規模って聞いたけど、攻略方法聞いたことある人いる?」
「確か、大人数で挑む、風魔法使いが翼を切る、酒を飲ませて酔わせるなど与太話が多かった記憶が」
「最後のは大蛇じゃないか。適当なこと言ってんじゃないよ」
「失礼」
真面目が服を着ているようなズリエルの謝罪を聞いた薬師は、半目だ。
「一つ思いついた。<煉獄>をかけまくって物理的に減らす。目指すは全滅。どうかな」
「やめたほうがいいと思います!」
<煉獄>は小さな羽虫のような黒い炎に食い散らかされ、咀嚼音が生々しい暗黒魔法である。
腰に縋り付いて懇願したミルの頭を撫でながら、シャリオスは聞き返す。
「どうして?」
「ええと、その……そう! 目立ちますし!! 数も多いですし、魔力の問題もありますし!」
「そっかー」
ミルはほっと冷汗を拭う。完全に暗黒魔法を見たくなかっただけの反対であった。
その横で、事情を知らない薬師が怪訝そうにしている。
「あの子、なんで嫌がってんだい?」
「……筆舌に尽くしがたく」
ズリエルはそっと視線をそらす。
「漫才が終わったなら、大断層を見ろ」
正面突破するには火竜の数が多く、駆け抜けるには五十九階層の様子が気になる。常識で言えば火竜より厄介なモンスターが下にいると考えるのが筋だ。
火竜の強さは地上に出れば災害指定されるほどだ。
黙って聞いていたグロリアスはジロリとシャリオスを睨む。どうにかしろと視線が言っている。
「とりあえず、一匹釣ってみようか。ミルちゃんが」
「私が!? あ、いえそうですね」
火竜とはモンスターの中でも上位に入る強さだ。
少し考えたミルは、障壁を体から一つ離し、全員後ろに回ってもらう。
「何をする」
「私達の姿を周りから見えないようにします」
「そんなことできるのかい?」
「光を屈折させます。私、光属性持ちなので」
言う間に周囲の景色が一瞬ぼやける。姿を消したのだ。
「行きます」
障壁は風のように飛び、群れから離れた一匹の頭に当たる。なんだと首を巡らせた火竜が暴れ出した。それを障壁の形を変えて縛り上げる。
(力が強いわ。……毒蛇の時よりもずっと)
レベルが上がったのに、飲まれるように魔力が吸い取られていく。
「腹じゃなくて関節を押さえな」
「何をしてるかわかるのですか?」
「火竜の動き見てりゃね」
見えない何かが火竜を押さえ込もうとしているのは、動きを見ていれば分かる。内心舌をまきながら、薬師は耳元で囁く。
「あんたはたいした子だけど、それをするなら生き物の生態について勉強しなきゃ駄目さね。相手はオムライスの中身じゃないんだ。包むだけじゃ馬鹿みたいに魔力ばかり持ってかれる。いいもんは良く使いな」
肩を引いた薬師が、ミルの頭の位置を下げ、指をさす。
考えなければいけない事は山のようにある。瞬時に判断するのは冒険者の力量だ。間違えて死ぬのも当然あり得る。生存への本能と努力を永遠に続けなければならない。
余力は多い方が良い。魔力は無限だが限りがある。
「竜種の急所は逆鱗と決まってるが、個体別さ。探す方が手間だね。出来るならやれば良いが、今日はよしておきな。さぁ、まずは口を閉めな」
「翼ではなくですか?」
「仲間を呼ばせるんじゃないよ。落ちたら周りが気付くだろう? モンスターだって生き物さ。奴ら、犯人捜しを始める」
モンスターは階層を下るごとに狡猾になっていく。
だから姿を隠したのだろうと薬師は言う。
相手の力量が分からない不安。数の暴力から逃れるための知恵がほしい。少しでも安全に迷宮を攻略したい――これは生物として必要な生存戦略だ。
「あんたは間違ってない。けど、これじゃ失敗が死に繋がるよ。自分だけが死ぬなら良いが、パーティも道連れだ」
心臓に杭を打ち付けられたような寒気が背筋を舐めた。震えた体を押さえるように、腕の力が強くなる。ぐっと体を寄せられる。
「目の前で何が起ころうとも、考えるのを止めちゃいけないよ。どんな大事な人が傷ついてもだ。助けられなくなる」
言葉の重みが痛い理由がわからない。
だが、薬師の瞳は雄弁だ。
「見捨てるのが嫌なら、最後にするんだ。さぁ、鳴けなくしたなら次は足と手。そうしたら翼を押さえてひっぱりな」
ぐ、と握った杖に汗が染みた。
火竜が一匹群れから外れ近づいてくる。すると何匹か目で追った。
(まずいわ……!)
「止めろ! あの火竜達は頭が良い。もう異変に気付いたね」
さて、どうしようか、とシャリオスが呻く。
「離しますか?」
「だめ。あの一匹はすぐに殺した方が良い。仲間に話すから。……けど、どう始末しようか」
他の冒険者は、何が理由で火竜を超えられなかったのか。
答えが目の前のどこかにある。
火竜の鳴き声は言葉。知能は比べものにならないほど高く、群れ意識が強い。数匹が周囲を警戒し、敵が居ないか探している。一匹にはならず、必ず数匹が共に行動をしている。
これはドラゴニア迷宮を超えるやっかいさだった。
一瞬考えたミルは大断層の下に掴まえた火竜を引きずり落とした。抵抗が酷くなり、周囲の火竜も慌てだす。
「なんだ、あれは」
「仲間を殺そうとしてるじゃないか!」
短い前足で引き上げようとした個体は、大断層の崖に生える木を超えたとき、それが境だとばかりに態度を変えた。
火を吐き、仲間を殺そうと躍起になっている。
鳴き声が酷くなり、ミルは障壁が剥がれそうになるのを、ありったけの魔力で押さえた。
「頑張って」
シャリオスの目は何もかも見通すように大断層へ向けられている。
背中に当てられた手が熱かった。
「何か、下から来ます!!」
吹き上がる何かに火竜が消滅していくのがわかる。それと同時に障壁が溶けるように破壊された。
膝から崩れ落ちたミルを、シャリオスが抱き留める。
「なんてこった……!」
「これはっ」
ズリエルが息を飲み、痛ましい物を見たかのように口を歪める。
グロリアスは、大断層を埋め尽くす炎にまかれ、絶命する火竜を目に焼き付けた。
火属性の耐性があるはずの火竜をも焼き尽くす業火は、天を突き抜けるような、澄んだ鳴き声と共に吹き散らかされた。
現れたのは一匹の、永遠の命を持つと言われるモンスター。翼から落ちる羽すら高密度の炎を纏う、再生を司る神と呼ばれる事もある、炎の化身。
持ち帰れば天井知らずの富を得られるという逸話はあまりにも有名で、吟遊詩人が歌い、祭る土地さえ存在していた。
「不死鳥か」
ただ一匹の不死鳥に殲滅された火竜の亡骸が、赤く燃える岩肌にうち捨てられる。二度旋回し、敵の姿を消し去ったそのモンスターは、大断層に潜り消えていく。
肌を焼く熱気は薄れたが、周囲は変貌していた。
手の平大の石を拾ったシャリオスは、無言で大断層に投げ込んだ。
悲鳴を噛み殺したミルは、石が落ちていくのを見守った。数秒して、同じ規模の火炎が巻き起こる。
大断層を降りれば、間違いなく不死鳥の餌食となるだろう。
「障壁は砕けた?」
「溶けました。まるでほどけるような感触で、一瞬のことでした」
「さっきのは良い判断だったよ。見て、火竜が出てくる。再配置されたみたいだ」
赤々と燃える岩にいくつもの亀裂が入り、卵の殻を破るように火竜が現れる。先ほどのように数匹単位で動く事はなく、散らばっている。
「偶然だけど、全滅したからリセットされて難易度が下がった。学習するタイプで間違いない」
少なくとも十年分の蓄積は消えている。
しかし先の不死鳥を思えば、楽観的になれない。
「黒門を探そう。ドーマは十年前、ここでパーティが瓦解したとき、普通なら気付く距離なのに、横から火竜に突っ込まれたって言ってた。ゴースト系かもと思ったけど、不死鳥が出てはっきりした。次の階層は幻想系モンスター中心だ。次が、ゴースト系」
四十二階層でもの悲しゴーレムばかり相手にしたため、頭から抜けていたが、仕掛けを作動させなければ、幻想系モンスターが出てくるのだ。
不死鳥は幻想系モンスターに分類される。
「魔力の固まりみたいなモンスターがいる階層かい。ますます、生きられるかわからないね」
「方針に変更無し。僕らは進む」
「手はあるか」
静かに問いかけたグロリアスは、落ち着き払っている。
「ミルちゃんが見つける」
「ちょっと待ってください。先ほどから、無茶が過ぎると思うのですが!」
「抜け穴探すの得意でしょう?」
「自分でも初めて聞く特技ですが!」
「でも、やっちゃうんでしょう?」
と謎の自信を持ちながら微笑んでくる。
「幻想系モンスターは隠れ穴を持ってる。身を隠すのが上手いから、ゴースト系と混同されることが多い。ヒントはドーマの言葉」
なぜ試練を課し、試すように問題を投げるのだろう。
うきうきした様子を隠さないシャリオスは、信じ切ってもいる。何度も蘇るモンスターを相手にしようと言うのに、一歩も下がらず恐れた様子すらない。
「私は、そんなにたいした人族ではありませんよ?」
「またまた。僕をここまで連れて来たのはミルちゃんだし。へへへっ」
「……なんで照れてるんだい。こいつ、天然なのかい?」
「振らないでいただければと」
こそこそ話す大人は役に立たないようだ。
道を探さなければならないのも確かだし、抜け道があると確信している。
(やってみるしかないわ)
幻想系モンスターはどうやって身を隠すのだろうか。
火竜の学習がリセットされた今、火竜に同じ方法で奇襲をかけられる心配がない。
ぐるぐるする頭を押さえて溜め息を飲み込む。
けっきょく前人未踏の階層に挑むのだ。ならば進む以外に道は無い。
ふと、赤々と燃えている大地にゆらりと煙が立った。
(あそこ、おかしいわ)
目をこらすと、ぽつりと蒸気がない場所がある。
光を屈折させると、ぽっかりと、火竜が一匹入れるような穴が現れる。
「見つけたみたいだね。ほら、言ったとおりだった」
「あうっ」
両手で頬をもにもにと可愛がられた。腹を押して何とか抜け出したとたん、後頭部を掴まれる。グロリアスだった。
「見つけたならさっさと行くぞ。まさか今の状況で留まるなぞ言わねぇな。やつら、窺ってる」
「わかってる」
視界がぶれたと思えば暗闇に飲まれていた。
それが穴に落ちたと分かったとき、浮遊感が全身を包む。
シャリオスの魔法で、影を潜ったのだ。
悲鳴を上げる間もなく足下から赤々とした炎が吹き上がり、シャリオスが纏う影が、炎を柔らかい布を引き裂くように二つに割った。
「なるほど、ここは火竜の寝床みたいだ。卵がある。再配置なのに、やっぱりモンスターは不思議な生態をしてるね」
「悠長に観察してる場合じゃないですよー!」
炎が照らす一瞬で見えたのは、横穴に夥しい巣があったこと。侵入者に気付いた火竜達が喉を膨らませる刹那、とぷんと何かに沈んだ。
影だ。
ぬるま湯に浸かるような暖かな闇が、全ての攻撃から一行を逃がす。光の一片さえ届かない闇の中、シャリオスは真昼で物を見るように、迷い無なく着地した。
「<沈黙魔法>」
全員の足にかけられた無属性魔法が足音を消す。
シャリオスはミルに向かって親指を立てたが、その姿を誰も見る事はできなかった。ちらちらと吐かれる火炎は一行の場所まで届かなかったからだ。
体を包む物が消え去り「こっち」と暗闇の中で手招く声に誘われて、一行は頭上で騒がしくする火竜から逃れるように横穴に潜り込んだ。そのまま進み、火竜の気配が遠ざかる場所まで来ると、シャリオスは布で入り口を閉じ、ランプを取り出す。
「大丈夫、何もいないよ」
「吸血鬼ってのは便利だねぇ」
「僕は皆が羨ましいよ。昼間よく見えるでしょう?」
「鳥目か」
「言い方! もー!」
小さく呟いたグロリアスは頬を拭う。
「落ちた感触だと、今大断層の真ん中辺りだね。この先二股になってるから様子を見てくる。皆はここで小休止をとっていて。ミルちゃん、<沈黙魔法>はどのくらい持つ?」
「今日一日は。伸ばしますか?」
「大丈夫。行ってくるね」
身を翻し、闇に溶けるように消えた。
横穴の中は蒸し暑い。ただ立っているだけでもじりじり空気が焼け、汗が滑り落ちる。装備がじっとりとして気持ち悪かった。
待ち時間に何をしようかと左右を見回すと、グロリアスと目が合う。
「……俺は、十年かけてもここまで降りることが出来なかった。お前達に話をしたのは、正解だった」
静かな口調だった。
茶化すように薬師が鼻を鳴らす。
「人数が多くても無駄だったってことだねぇ」
「前回の探索には、お前も混じっていただろうが」
「はんっ。問題はこっからだろ。不死鳥相手にどう切り抜けろってんだい」
「無い頭から絞り出せ」
「また来たよ、この暴言野郎が」
「お二人とも、そこまでにしてお茶を飲みませんか。冷たいものをお出しできますし」
「アンタもこの子を見習ったらどうなんだい。一杯もらうよ」
「ちっ」
険悪な二人に冷汗が出そうだ。
ずっと無言のズリエルは出入り口を見張っているので口を出せない。だが、片方の耳はこちらを向き、揺れていた尻尾はとまっている。
二人はお互いのことが気にくわないようだった。一緒にパーティを組んだ事があるようだが、完全に契約関係だったのかもしれない。気に入らない理由は分からないが、二人とも律儀な所は似ている。
(そういえば、ズリエルさんもシャリオスさんも約束を守ってくださるわ。冒険者って律儀な人が多いのかしら)
契約を守らなければ冒険者としてやっていけない面があるため、実力をつけるほど、その傾向が強くなる。どんなに争っていても、致命的に決裂しない以外、パーティは契約を遂行する。それが生き残る最善の道であり、できない者から死んでいく。
そのことに、ミルはまだ気付いていない。