第十二話
「はぁ、はぁ……」
灰色の王は陸上でも活動できる。エラ以外にも呼吸方法を持っているのは残念なお知らせだ。ミルは足が笑うのを感じながら、握り直した杖を振る。
「ううう!」
光の魔法を使えば指をとられて動けない。しかし時間が経つにつれ、魔法の感触がつかめてきた。張り詰め、相手の動きを縛ろうとするほどに魔力を持っていかれる。レベル一桁のときに戦った階層主戦と違い、魔力の基礎値が伸びていなければ、すでに腹の中だったろう。
(光の糸を動かせるようになってきたわ。拘束を五本に絞れなければ、私は死ぬ)
右手に流れている魔力をゆっくりと左に流していく。灰色の王は緩んだ拘束に気付き、暴れ出した。
「ぐうううっ」
ミルは五本全部を左に移し、背中の杖を抜き呪文を唱える。障壁を大きく左にスライドし、飛び上がった灰色の王の攻撃を避けた。
心細くて怖かった。もう丸一日立ち続けているような気がする。けれど、十分も経っていないに違いない。体感時間の長さに震えながら、負けるなと叱咤する。
(恐怖に負ければ、迷宮に飲まれてしまう)
水グミを取り出して青ポーションに浸す。そして<回復増加魔法>を重ねて飲み込んだ。薄まった青ポーションの味がするが、減った魔力がどんどん回復していく。
(これなら、長期間持つかもしれない。良かった)
しかしなぜ、光の魔法は成功したのだろうか。成功したのは二回とも階層主と戦っているときだけだ。自分より高レベルモンスターが相手じゃないと使えないのだろうか。わからない。そう何度も窮地に陥るのはごめんだし、試そうともしなかった。
「帰ったら、もっと魔法の幅を広げないと」
自分を励ますように想像する間に、モンスターがちらほらと現れる。灰色の王が藻掻いたのを見て、今のうちに逃げようとしているのだろう。どんどん大河の方に向かっている。
と、中の一匹がミルに向かって飛んでくる。
「<光障壁>――なっ! <障壁>!」
とっさに跳ね飛ばそうとした魔法は不発に終わった。慌てて障壁に切り替えて防ぐと、そのモンスターは着地と同時に別のモンスターとぶつかり、争いになった。共食いを始めたモンスターを気味悪く見ながら、早鐘のように鳴る心臓を押さえる。
「今、魔法が使えなかったっ?」
致命的な失敗なのか、震えながら確かめる。
「<光障壁>……嘘でしょう」
何の現象も起きない。魔法が失敗したときに起こる<魔力暴発>もだ。ゾッとしながら原因を考える。
(<魔力暴発>ではないわ。暴発したときの現象も起きてない。でも、<光障壁>は二度も失敗した。魔力も減ってない。でも<障壁>は使えた。違いは合成魔法ということ。もしかして光は他の光魔法が使えなくなる?)
「<光>っはついた……」
光を遠くに飛ばし、モンスターの目から自分を隠すように障壁を移動する。青ポーションをもう一口飲む。
光魔法は使えた。だったら考えられる事は一つだ。
光の魔法使用中は、一切の攻撃魔法が使えなくなること。
そして、
「魔法を解くことが出来ない……!」
光の糸は指先一本。集約できるが切ることが出来ない。切ろうとは思えないが、魔法使いとしての勘が言う。これは敵を滅ぼすか、自らが死ぬまで絶対に解けない魔法だと。
「代償付きの魔法。それが特上級魔法の特徴なの……?」
窮地に強力な力を発揮するがしかし、諸刃の剣。
――勝利は要らぬときた。
ヘテムルはそう言って笑った。
この体が盾ならば、我が運命に勝利は要らず――つまり、勝つための力を失う代わりに、盾となる力を得る魔法。
それが光の正体だ。
+
アルブムは走った。
休まず、背中に乗っている生き物が落ちそうになれば尻尾を巻き付ける。最初からそうしていれば良かったと今ならわかる。
そしてモンスターを蹴散らし、壁を蹴り、門を抜け、ただ一つの目的のための存在になり果てた。
後方に全てを主人を置いて行く。目的を果たすために帰るのだ。
アルブムが一階層へたどり着いたとき、足はくたくたで、膝を崩してしまった。背中の荷物を下ろし、咥えていた一匹を投げ捨てる。
「ま、待て! その状態で行っても死ぬだけだ」
「ギュルグルル!」
「ポーションを飲め」
差し出されたポーションと青ポーションの試験管を咥え、アルブムは仰け反った。液体が喉を通った瞬間、力が戻ってくる。
「二人とも、ここから先は自力で立ってくれ! アルトを頼む」
「わかっている。<剣を懐に、我が栄光の光を託す>」
「<剣を懐に、我が栄光の光を託す>。行きなさい、龍の仔よ」
「確かに受け取りました。――行くぞアルブム!」
母親に背中を叩かれ、ユーギはその背に飛び乗った。嫌がるアルブムをせかしたその体には、両親から受け取った闘気魔法が巡っている。
「俺を連れて行け。その方が速い――<この身に宿る龍の加護。日輪の加護よ>!」
ユーギを通り、アルブムの体に力と活力がみなぎってくる。
「キュオオオオ!」
アルブムは再び、疾走した。
+
ミルの体力は限界に達しようとしていた。
丸一日が経とうとしている。
アルブムは戻ってくるだろう。そのときに自分が死んでいなかったら再会できるに違いない。灰色の王の動きは次第に衰えている。食事を捕っていないからだろう。弱っているのはお互い様だ。それがなんとなく面白かった。
(私は貴族の令嬢だった。今もそうだけれど、どちらかというと冒険者のほうに傾いている)
馴染んできている自分が面白い。それが嫌だとも思わない。ただ恐怖で頭がおかしくなっているだけかもしれないが。
ミルは恐怖に勝つため、考え続けている。その成果が少しずつ体に噛み合い、出てきた。魔力の効率的な運用の仕方や、灰色の王の動きのパターンを観察する。
そうして過ごすうちに、一度も冒険者が通りかからないのは、きっと出入り口に灰色の王がいるせいだと予測する。状況は伝わっているのだろう。
(でも、誰も来ない……考えては駄目よ!)
滝のように流れた汗が冷え、体力を奪っていく。
ミルは障壁の上に杖を頼るように座り込んでいた。少しでも体力を温存するためと、杖による補助が命綱だからだ。
「――! ――!」
最初は幻聴かと思った。
しかし視線をやったとき、そこには高貴なる女王狐と、騎乗するユーギがいた。
「キューン!」
待たせたな! とアルブムが鳴く。そして走った勢いのまま、灰色の王に体当たりした。
「え」
凄まじい勢いで灰色の王がもんどり打って飛んでいく。あの巨体が、一瞬とはいえ宙に浮いた。
「今のうちに逃げるぞ!」
「ごめんなさい! 倒さないと、魔法を解くことが出来ないんです!」
「ハァア!? なんだそのクソ魔法は! ちっ、とっとと片づけるぞ!」
剣を振り抜いたユーギは打って変わって元気な様子。そしてアルブムの背中から降りると凄まじい勢いで灰色の王に襲いかかる。
「陸に上がった魚に勝機はねぇ! テメェが怖いのは水の中だけだ!」
目の瞳孔が縦に、髪がぶわりと膨らんだ。尾を一振りし、舞うようにユーギは動く。それは美しい剣舞のようだった。目で追うのがやっとのそれに見とれていると、アルブムが近づいてくる。ミルは背中に乗り毛皮をつかんだ。
「アルブム、ありがとう……!」
「キューキュッキュッキュ」
ペロリと頬を舐めた。
「今の俺は、いつもの三十倍強え!」
両親にかけられた魔法は龍族の種族魔法。同族に自分の力を一時的に貸し与えるものだ。今のユーギは一級冒険者二人の力を与えられている。反対に弱った灰色の王はまともに動けず拘束されたまま。
見る間に鱗が削れ、目をくりぬかれて灰色の王が死んでいく。凄まじい剣劇の嵐にモンスター達が慌てて逃げていく。
三枚におろされた灰色の王は、あの恐怖が嘘だったかのように骸を晒していた。剣をしまったユーギが振り返る。
「こんなもんか。この際だ、とっとと素材もって帰ろうぜ」
そんな余裕を言えるほど力がみなぎっている。では、なぜ最初から使わなかったのかと言えば、渡した者はその間、レベルによる恩恵も全て相手に渡すので、一般人程度の力しか出なくなる。そうすれば体力の無い二人は、アルブムに騎乗すら出来なかったろう。それは問題だけを増やすだけだ。龍族がここぞという場所で使う魔法である。
「なあ、ミル・サンレガシ。俺はグズが嫌いだ」
死骸の前でそんなことを言う。困惑したミルに、ユーギは苦く笑う。
「だが今回、グズは俺の方だった。周りが見えていなかった。お前を危険に晒したこと、許してくれ。俺が責任もって、お前を地上まで連れて行くから」
「……はい。お願いします!」
そうして灰色の王の素材を持てるだけもって、討伐は終了した。
+
ドーマには大目玉を食らった。いかな冒険者も、冒険するときは情報ももちろん、出来る準備を整えてから進むという。今回のミルは、あまりにも無鉄砲だった。
ユーギを裏切った冒険者達は、その後捕まり罪人となった。追放刑よりも重い、労働奴隷として働くことになるという。契約違反と迷宮での裏切り行為もそうだが、ユーギから物を盗んだことが、一番重い罪となった。
灰色の王は一日食べないだけで激しく弱体化するとわかって、三十四階層に挑む冒険者が増えた。どうやって餌絶ちさせるかで盛り上がっている。
アルトは一命を取り留めた。けれど、迷宮には二度と入れなくなった。食料庫であった事が心の傷となって、思い出すだけで震えてしまうのだという。元気になったら【火龍の師団】の拠点管理をして過ごす事になるそうだ。
そして【火龍の師団】は救助を断念した団員達とわだかまりが残った。これからどうするかは、話し合って決めていくのだという。
「あなた達には、感謝しているわ」
「娘も、俺達も助けてくれた。驚いたぜ。まだ到達階層が十五層だったんだな」
ユーギは悪かったな、ともう一度謝った。普通、低レベル冒険者を適正レベル以上の階層に連れて行かない。十分な準備と他のパーティがレベルが高いなら良いのだが。罰則はないが、褒められた行為では無い。
「私も軽率でしたので」
「ところでさ、ミルはパーティ組んでないのか?」
「え!? え、ええそうですが」
ドキリと視線をそらす。
「まぁ、付与魔法使いだもんな。俺もお前に会うまでは、魔法使い以下の存在だって舐めてたぜ。だけど、お前みたいなのもいるんだな」
「ふふ、この子ったら最近あなたの事ばかり話すのよ」
「ちょ、かあちゃん!」
「それで、良かったら俺達の【火龍の師団】に入らないかと誘おうと思ったんだが」
「え!? そ、そうなんですか! わ、私は是非とも――」
「一回故郷に帰って、鍛え直すことにした」
「はへ?」
変な声を上げたミルの頭を、ギスカは乱暴に撫でた。
「団員の動揺、主力が抜けただけで崩れるようなパーティは、いずれ全員が死ぬ。今度はどんな逆境にも動揺しない精神を持たせる」
そう言って、娘の尻を叩く。このっ! と尻を押さえたユーギは、父親を睨みあげた。
「あんたには本当に痺れた。低レベルながら灰色の王相手に一歩も引かない根性。肝が座っている。ウズル迷宮に戻ってくるとき、まだ一人だったら俺達のパーティに入ってくれ」
「そ、それはいつ頃の話でしょうか。一週間? 二ヶ月?」
「がはは! 五年はかかるだろうな」
「そんなに遅くねぇよ!」
「おぉ、頼もしい。本当にそうなれば良いがな」
「くっそ親父っ。それじゃぁな、ミル」
すっかり元気になった親子は、そう言って去って行く。
ミルは半泣きで背中が見えなくなるまで見送ったあと、我慢できずに叫ぶ。
「また、パーティ組めませんでした――!」
「キューン」
何で!? という叫びが青空に吸い込まれていった。
一章(完)